第11話 退屈

 夕暮れのファミレスでお茶とケーキの時間を楽しんだ小熊と南海は、店を出て帰路についた。

 各々のドリンクバーは自分のスマホで払ったが、ホットケーキだけは小熊が奢らせて貰った。

 吉村南海はバイクに乗るようになって、子供だから高校生だからと誰も特別扱いしてくれない世界を知ったが、それでもどうにもならない立場や境遇の差についても知りつるある。


 小熊は南海と同じく未成年ながらバイク便会社の提携社員として定収入を得ている。南海はまだ親から貰う小遣い頼り。小熊が勝手に頼んだケーキ代まで割り勘にするわけにはいかない。

 そう思ったところで小熊は、南海が小熊のために注文してくれたアイスミルクの勘定を彼女に払わせた事に気づいたが、まぁそれくらいの借りは残しておいたほうがいいだろうと思った。

 返すべき借りを相手に対して残していれば、次に会う理由も出来る。でもこの事は南海に教えないでおこうと思った、高校時代の同級生の礼子みたいに、普段は人から限度一杯まで借りといて貸しに関しては何が何でも取り立てる奴になったらたまらない。

 小熊はちょっとした服や工具を借りただけの恩を盾に、何度礼子に出先でカブが止まったり林道から滑落した時に助けを求められたか数えきれない。もっとも、もし南海がカブの不意のトラブルで困っていたら、小熊は無償無条件で助けると決めている。そうしないと、南海が困っていたらヘンな下心で助けてあげたいって奴が集まってきそうだし、そういう連中に先を越されても困る。


 スーパーカブC一二五で走る南海を後ろから見ると、既にカブを体の一部のように乗りこなしているようだった。

 彼女は夜にカブを乗り回す事はほとんど無いが、自分にとって大切な趣味である深夜の散歩、それを禁じられる事なく楽しむ自由を守るために、ここ数日八王子の自宅と本郷や駒沢の大学を何度往復しているらしい。人間は必要に迫られた時にこそ身に着けるべき技術を凄い速さで吸収する。小熊は自分がカブに乗れるようになった時の事を思い出した。カブを中古バイク屋で買って以来、自転車よりはるかに速く走るカブをおっかなびっくり走らせていた小熊が、不安なく自在にカブを乗りこなせるようになったのは、夏休みに甲府の高校との間を毎日二往復するアルバイトを経験してからだった。延々同じ道を走る行動を繰り返していても、バイクに乗っていれば天候や道路状況、寄り道などの変化は向こうからやってくる。

 そしてひと夏のバイトを終えた小熊は、もっと遠くまで自由に走りたいと思い、稼ぎをはたいて自動二輪の免許を取得し、カブのエンジンを52ccに拡大して原付二種登録をした。


 幹線国道沿いのファミレスからさほど長く走ることなく、南海の暮らす南大沢のタワーマンションに到着した。

 マンション敷地の奥深くにあって盗難リスクの低そうな駐輪場にカブを停めた南海と小熊はエントランスの前で別れた。

 南海がマンションに入る前に、そろそろカブのエンジン内部洗浄を兼ねた初回のオイル交換をしたほうがいいこと、紫のバイクについては家や本郷の大学で調べるのはいいけど夜に一人で外に調べに行くような事はしない事などを約束させ、手を振ってエントランスの中に消えていく南海を見送って小熊はカブを発進させた。

 小熊は南海のマンションから自宅までの短い帰路の中で、今日南海と話した内容を反芻した。

 南海は色々と興味深い物に出会っている。最近乗るようになったスーパーカブC一二五,本郷で新しく出来た深夜散歩仲間。そして紫のバイクという調べ事。

 普通の高校生にとってはちょっとした大仕事で、小熊もそれなりに苦労した記憶がある夏休みの宿題は、生まれながら知能に恵まれた吉村南海には書く手間以外の負荷を与える事が出来なかったようで、宿題が終わった頃合いで「写させて」と都合よく頼ってくる友達も高校の教室には居ないらしい。小熊は椎に泣き落としで助けを求められたり、宿題は出さないと決めている礼子に最低限の義務を遂行させた自分の高校時代を思い出したが、南海がそれより不幸だとは思えなかった。バイクさえあれそれ以外の事に関しては取るに足らぬ誤差のようなもんだろう。


 今の自分はどうなんだろうと思った。高校より長い夏休みの間に課せられた宿題は夏の過ごし方を報告する役所の許認可申請のような書類で、貰った日のうちに書き上げてしまった。

 バイク便の仕事は社長が猛暑を考慮して受注数を減らしているので、短距離の往復仕事が数件入っているだけ。

 人文学の講義によれば、人間を静かにかつ確実に殺すのは孤独、そして退屈らしい。

 小熊にとってはそんな何の武器も持たず襲ってくるような敵より、凶悪な武器を振り上げて問答無用で斬りかかってくる金欠のほうがずっと怖い。

 考え事をしているうちに、小熊のカブは自宅までの帰路の手前で北に曲がっていた。

 細い市道の左右は、小熊が暮らす木造平屋の賃料を下げ、静穏な環境にも貢献している市営の墓地になっている。

 道を曲がりそこなったのか、無意識に退屈な帰路から外れたのか、細く車通りも無く、街灯も疎らな市道をカブのヘッドライトを頼りに走る。 


 たしかこの市道を走った先には大型のスーパーがある。食材が足りていなければこのまま買い物に行っていたところだが、今は冷蔵庫の中に充分なストックがある。

 用が無ければ帰ろうと思い、途中にあった神社の前でカブをUターンさせ、来た道を戻る。

 道の向こう側、墓場の方角から一台のバイクがこちらに走って来るのが見えた。

 車のすれ違いは少し難しい道幅だが、バイク同士なら問題ないだろうと思い、小熊がカブを左端に寄せると、向こうもバイクを反対側の端に寄せ、難なくすれ違う。

 小熊は、たった今自分の横を反対方向へと走り抜けていったバイクに向かって振り返った。

 車種はホンダPCX。原付二種で最も多く売れているありふれたバイク。音を聞く限り無改造。服装は道が真っ暗なので黒っぽい服とヘルメットということしかわからない。

 色はPCXの純正色には設定の無い紫色だった。


 小熊はカブを停め、紫のバイクが走り去った道路をしばらく眺めていたが、頭を振って自宅に向かって走り出した。

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