第6話 紫の空

 夕暮れのファミレスで、小熊と南海は取り留めもない会話を交わした。

 小熊は相変わらず退屈ながら、主に講義のノートを効率的に取る方法を編み出す事など、ノルマを消化するテクニックを色々と試すといった方向で暇つぶしをするようになった話や、相変わらず胡散臭い金儲けに励んでる竹千代の話、所属するライダーの負担を考慮して意図的に仕事の量をセーブしている葦裳社長の話など、あまり内容の無い話。

 小熊は自分の言いたい事を言うのではなく、南海の反応を楽しんでいる自分に気づいた、これが友達というものなんだろう。

 南海も期末試験後の試験休み期間中にオンラインで行われた全国模試で、学校始まって以来の順位を叩き出した話や、彼女が日本で最も権威があるとされる国立大学のサークル部員の一人として公式サイトに名前が載った事で教師たちが自分を見る目が変わった事を話す。相変わらず教室では孤立しているが、彼女はそれについて苦悩したり不利に思ったりする事は無く、単なる現象のひとつと捉えている様子。


 今日も南海は本郷まで行き、幣亭翠に昼食をご馳走になったらしい。森脇を下宿の部屋から引っ張り出し、遅刻させる事なく講義に出席させたのは、翠があの大きな時計のある講堂の地下にあるナイトピクニック・サークルの部室まで届けさせた鰻重に足るものらしい。

 南海がちょうど今が旬だという鰻をご馳走になったなら、自分も一緒に行けば良かったと小熊は思ったが、あの大学で自分に出来る事と、それに見合った報酬はといえば、せいぜい鰻のタレをかけたご飯だろう。

 南海はドリンクバーで注いだ緑茶が少し濃かったのか、グラスのお冷やを注いで薄めながら言った。

「ジェニーさんは小熊さんに会いたがってましたよ。ジムニーをまた谷底に落として車体が潰れたから、板金のうまい人間に手を貸してほしかったって」

 もしかしたら、タレつきご飯にお新香くらい付けられるかもしれない。


 小熊は一旦席を立って飲みもののお替りを注ぎに行き、それから自分の席に戻る。

 南海と一緒に注ぎに行くのは、自分のペースを乱されるのを嫌う小熊はあまり好まないし、南海の分の飲みものを注いであげるほど互いをよく知っているわけじゃない。南海に注ぎに行かせるのも何か違う。

 小熊はふと自分の高校時代を思い出した。ファミレスのドリンクバーには随分世話になったが、同級生の椎はよく小熊のグラスやカップが空になるとお替りを注ぎに行ってくれた。彼女はいつも小熊が次に飲みたいであろう飲みものを選んでくるが、大概間違っている。小熊はといえば椎のために多少なりともカロリーのありそうなものを選んでいたが、彼女は変なこだわりが多く、小熊が植物性のクリームを入れたコーヒーを持ってきた時は汚物を見るような目でコーヒーを一瞥した後、一口も口をつけず全部隣の礼子に飲ませた。

 礼子はといえばドリンクバーの飲みものを混ぜてヘンな液体を作って人に飲ませるのが好きで、何度顔にぶちまけたくなったかわからない。


 ドリンクバーでコーヒーのお替りを注ぎながら、高校時代の事を思い出していた小熊は、自分と同じくお替りを注ぎに来たらしい南海がやってきた。

 さっきまでの小熊との会話で笑い疲れた様子の南海は、小熊とすれ違った時に、今までとは別人のような低く艶のある声で囁いた。

「後で少し、お話があります」

 自分の席に戻った小熊は落ち着かない気持ちで南海を待った。なんの話だろうか、少なくともここ最近で南海を怒らせたという記憶はない。

 さほど待つこともなく、南海は烏龍茶のグラスを持って席に戻ってきた。

 冷たい烏龍茶を一口飲んだ南海は向かいに座る小熊に顔を近づけ、ついさっき聞いたばかりの囁き声で言った。

「小熊さん、紫のバイクの話を聞いたことがありますか?」

 ようやく日の暮れた夏空は、夜の始まりの色を見せていた。

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