第4話 夏の桜

 信号が青になり、渋滞していた車が流れ出したので、小熊と南海は並んで走った。

 二輪免許を取り、カブで走り始めて一か月足らずなのに南海の走り方は安定していた。当然というか走行中は前を見ていて、余所見やお喋りなどしない。

 八王子の高校に通い、夜の街を歩き回る事を趣味とし、そして類まれな知能を持つ吉村南海。

 小熊は彼女と夜のハンバーガーショップで知り合い、彼女が抱えている問題の解決に一役を買い、そして友達になった。

 混雑した道路で前の車がまた信号待ちで停まった。小熊はヘルメットのバイザーを上げた。


 南海は驚いた様子でもなく、ただ小熊の言葉を待っている。

 小熊はひとつ息を吸い、それから南海に話しかけた。

「どこに行くの?」

 我ながら馬鹿な問いを投げかけたもんだと思っていた小熊の耳を、南海の声が心地よくくすぐる。

「家に帰るところです」

 そういえば時刻はもうう夜。空はまだ明るさを残しているが高校生が出歩くべきじゃない時間になりつつある。

 小熊は自分が高校生だった時の事を思い出した。時間とか目的など関係なく、走りたくなった時は走っていた。


 とはいえこのままでは、南海と一緒の時間が終わってしまう。この幹線国道から南大沢にある南海の家まではそう遠くない。そこまで走ればもうお終い。小熊はそうしたくない気分だった。

 視野の端で、前方の信号が赤から青になろうとしているのが見えた。南海にも見えたらしく、シフトペダルを踏んでニュートラルに入れていたカブのギアを一速に切り替えている。

 南海の視線が小熊から離れ、前方に向こうとしている、それをどうにか繋ぎとめたくて小熊は声を上げた。

「何か、冷たいものでも飲んでく?」

 小熊が指差した先には、国道沿いでよく店舗を見かけるファミリーレストランチェーンがあった。

 ひとつ唾を呑み込んだ小熊に、南海は真夏には季節外れな桜の花が咲いたような笑顔を浮かべた。

「ええ、喜んで」

 南海のスーパーカブC一二五と小熊のハンターカブ。同じエンジンから同じ音を奏でる二台のカブは、ウインカーを点滅させロードサイドのファミレスへと入っていった。


 駐車場より店舗に近い場所にある駐輪スペースを見まわし、店の窓からバイクが見えて盗難のリスクが少ない場所だと判断した小熊は、後からついてくる南海の駐輪スペースを意識しつつカブを停めた。

 南海のカブは身軽に小熊が空けたスペースに滑り込んでくる。南海のカブC一二五は小熊のハンターカブより車重が軽く、後部にバイク便用の荷物ボックスも着けていない。

 長時間の走行をしたのか、少し足元が覚束ない様子の南海の前でカッコつけるべく、出来るだけスムーズな仕草で降りたが、南海はヘルメットを外すのに忙しい様子。

 自分のヘルメットを脱いだ小熊は、カブの少し面倒臭いヘルメットホルダーにバックルを掛けようとする南海の肩にそっと触れた。


 顔を上げた南海の前で小熊はハンターカブの後部ボックスを開いて見せた。自分のヘルメットを入れた後で手招きをする。南海はヘルメットを差し出した。二つのヘルメットはバイク便用FRPボックスに問題なく収まる。

 カブの後部キャリアにボックスを着けている人間が多い理由。大概のバイクにはヘルメットホルダーが標準装備されているが、ストラップを切断して持っていくような奴には無意味だし、むき出しのヘルメットは悪戯に遭うこともある。何より、ボックスを開けて放り込むほうが手っ取り早い。

 カブに乗る上で何かしら便利な装備があるならば、必要を説くより目の前で使ってみせて羨ましがらせたほうが効果的で、小熊も何度となく散財させられた。 


 小熊が南海のヘルメットを自分のハンターカブのボックスに仕舞ったもう一つのささやかな理由。

 もしも自分が何か馬鹿な事を言って南海を怒らせてしまい、彼女が席を立って先に帰ろうとした時は、ヘルメットを自分のハンターカブの後部ボックスに仕舞っておけば、ご機嫌を直すまでの時間稼ぎが出来る。

 南海はこんな企みに気づいているんだろうかと小熊は思ったが、小熊の真横に立った南海はすべてを知っているかのような神秘的な瞳で小熊を見つめながら、小熊の腕を取って店の入り口へと歩き出した。


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