第3話 夕暮れ

 外に出た小熊は、さっき閉じたばかりのコンテナを開けた。

 開扉バーはまだ熱いが触れられぬほどではない。

 熱気と機械油の臭気の籠るコンテナに入った小熊は、中に停めてある二台のカブを見て少し考えた結果、グリーンのハンターカブを引っ張り出した。

 土の湿気からスチールコンテナを守るため嵩上げされたコンテナから、小熊が栗の無垢材を三角柱の形にカットして自分で作った傾斜版経由で地面に下ろす。鉄道の枕木にも使われている栗材は原付一台程度の荷重かかかってもビクともしない。


 ハンターカブのエンジンをセル始動させた小熊は、コンテナの扉を閉じて施錠し、空を見上げた。

 時刻はもう夜といってもいい時間なのに、空はまだ明るさを残していて、西には太陽が沈んだ直後の残光が見える。

 もしも今、目を閉じ、さっきFMラジオで聞いた現在時刻の記憶を消し去って再び目を開けたなら、今がまだ昼間であると勘違いしてしまうかもしれない。

 小熊は夏至近い季節の、体内時計がエラーを起こしてしまいそうな感覚が嫌いではなかった。一年の間で今しか味わえないもの。遊ぶ時間が伸びるのはいいこと。冬至もまた、早い日暮れが夜空の美しさを再確認させてくれる。

 小熊は暖気を終えたハンターカブに跨り、もう一度西の空を見た。まだ明るいが太陽は完全に沈んでいる。

 これから夜が始まる。

  

 ハンターカブに乗って小熊は走り出した。通勤や買い物、あるいは外食の車で渋滞している幹線道路を避け、裏道的な稜線沿いの道路を適当に走る。

 自分のスーパーカブ90じゃなく、バイク便会社貸し出しのハンターカブを出した事に深い理由は無かった。ただ昨日今日と仕事が休みで、ハンターカブには丸二日乗っていなかった。

 機械的なトラブルの最大の要因は動かさない事。毎日エンジンが冷える間もなく走らせているタクシーは走行距離に対して故障が少ない。結局それも言い訳で、旧式カブ特有の色々な手順が少し面倒臭くなっただけ。そんな些細な機嫌の変化にも対応できるという理由だけでも、一台は借り物ながら二台持ちして良かったと思った。

 風は相変わらず暑苦しいが、空を見るとやっと陽が暮れてきたので、小熊は稜線道路を外れて幹線国道へとハンターカブを向けた。


 思った通り混雑している国道は、すりぬけしやすい道幅も手伝って快適な走行状況だった。隣の車が発する排気ガスと、エアコンの効いた車内に居るドライバーの表情を意識しなければの話だが。

 空は暗くなり、ロードサイド店舗の灯りが目立つようになってきた。この光景も小熊が好きな物の一つだった。

 人間がそこに居て活動している証。国道沿いのマンションに並ぶ窓明かりを見て、少し帰りたくなる気持ちも嫌いじゃない。

 国道の端をぼんやりと走っていた小熊に、突然熱風が吹き付けてきた。ファミリーレストランのエアコン室外機。業務用エアコンは生ぬるい空気と共に、料理の匂いを運んでくる。

 もしも今、空腹ならばそのまま店に飛び込み、食事と冷房と賑やかな空気を味わっていたところだが、あいにく今は先ほど夕食を済ませたばかりで腹は満ちている。ハンバーグレストランらしき店の焦げた肉汁の匂いに、小熊は少々胸焼けさせられた。

 

 そろそろ家に帰り、明日の講義と仕事に備え、夜更かしする事無く早寝しようか、それともこのまま国道を隣県の山間部まで走り、夏の早い夜明けが来るまで夜の森を走りまくろうか。そう思っていた小熊の考えは、前方に見えたきたものを認識した瞬間に変わった。

 ブルーグレイのスーパーカブC一二五。白いヘルメットに桜色のカーディガン、茶色のコーデュロイパンツを身に着けた女性が乘っている。

 小熊は前の車との車間が開いたタイミングでハンターカブのアクセルを開け、C一二五の真横に並んだ。

「こんばんは、小熊さん」

 小熊が東京に出て初めて出来た友達、吉村南海が小熊のほうを向き、微笑んだ。

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