04 青年は伝える。

バネッサは警戒を強めた。

青年となったクラウス・マキナと確信はしても、本当に自分の知るあのクラウスなのかはわからない。彼を構成する魔力素は見知ったものでも、随分と時が経って、変容している。自分ではもう太刀打ちできるか五分五分なくらい、彼の力が大きくなっている。

何より、クラウスの腰に挿されている剣が、こちらに向かないとも限らない。

いつ攻撃を仕掛けられても大丈夫なように、バネッサは魔法を発動させる心構えをした。


「貴女は、俺の知るバネッサで合ってるのか…? 貴女は時渡りの魔法をした記憶があるのか? この言葉に思い当たりがなければ首を横に振ってくれ」


クラウスも、目の前のバネッサが自分の知るバネッサ本人なのかわからないでいる。

彼の物言いには、既視感があった。選択肢を潰して、沈黙すらも返事に変えてしまう、退路を立つような言い方。

バネッサは少しだけ警戒を緩めて、言葉をかけた。


「私はまさに今、時を渡ってきた。君の成長を見るに、どうやら過去ではなくて未来に来てしまった……あるいは何か誤作動をして並行世界にでも跳んだのか」


何はともあれ、失敗した。

バネッサが肩を落とす。

クラウスはゆっくりとバネッサに歩み寄った。自分よりも小さかった少年は、すっかり見上げるほど大きくなっている。バネッサの体にクラウスは影を落とした。

「教えて欲しい、君と別れてから、いったい何年が経ったんだい?」

森の雰囲気や植物の瑞々しさから、季節は時を渡る前と同じだと思える。

クラウスが呟くように、小さな声で言った。


「……20年」


バネッサは目を見開いた。

「に、にじゅう…?」

信じられないとバネッサが顔を上げる。クラウスの表情は切ない。

「俺は、28になった。バネッサよりも年上になってしまったな」


時を渡る前、クラウスの成長を見てみたかったという後悔を胸にした。けれどそれはあくまで叶わぬ願望、実際に目の前にすると、自分の失敗を突きつけられる心地がして胸が苦しくなる。

バネッサの表情が歪み、後ろによろけた。クラウスが心配して支えようと手を伸ばすが、パシンと払い除けられてしまう。


「君はどうしてここにいるんだ」

未来に来た。クラウスは成長した。家は古くなった。それはもうどうしようもない現実。

考えることはたくさんあるが、まずは目の前の人物の目的を知ろうと尋ねた。

「…今日は、バネッサがいなくなった日だから。……それに、この家を知る者は他にいない。たまにこうして管理しに来ている」

「………村長は死んだのか」

「村長は、バネッサの家を知っていたのか?」

「一人くらい協力者がいないとこんなところに居を構えられないよ」

村人は確かにバネッサに攻撃的だったが、村長がただ一言「最低限接してあげなさい」と御触れをだしていたためなんとか買い物くらいはできていた。

けれどクラウスの表情からして村長は既に亡くなったのだろう。これからどうしたものかとバネッサは思案する。もう一度時渡りの魔法を使って今度こそ過去に向かいたいが、もう触媒はないし再度探すのも非現実的だ。となれば、諦めてこの時間で生活をしなくてはならない。

深い深いため息をつく。それをみかねたクラウスが「生活だけど」と口を挟む。

「俺がバネッサの援助をするよ」

「……そんなことをしたら村人に迫害されるよ?」

20年の時が経ったとて、村人の価値観が変わっていると思えない。彼らは普通の人間の、特に醜い容姿の者を受け入れることはない。だからだ。

目の前に立つクラウスが変わり者なだけだ。本来なら、こうして言葉を交わすこと自体があり得ない。


「なんで君は私を忌避しないんだい?」


怪我をしたクラウスを助け、その縁で魔法を教え合う関係になった。子供の魔法への好奇心がバネッサの存在を上回っているのだと思い込むことで、当時は考えないようにしていた。

けれど28にもなったならば、混血エルフの末裔として価値観が磨かれているだろう。

なのに彼は遠ざかるどころか、バネッサに触れようとしてくる。


「……なんでだろうな。あなたの瞳が綺麗だからかもしれない」

「はあ?」


歯が浮くようなセリフにバネッサは眉を上げた。

クラウスがバネッサの長い前髪に触れてかきわける。バネッサの青い瞳が露わになる。


「俺は小さい頃、あなたと街でぶつかったことがあるんだ」

「……はあ」

「その時は親に聞かされていたから、肌が溶けてしまうんじゃないかって恐怖していた。まだ3歳の頃だ。水と泡で皮膚が赤くなるくらい体を洗ったことがある」

バネッサを病原菌扱いしていた事実を本人の前でつらつらと喋るものだから、いくら自分の扱いを知っていると言っても限度があるだろうとクラウスにツッコみたくなる。

「でも結局なにも変わらなかったし、魔女本人の体や衣服に害があるわけではないんだって知ったんだよ」

だからクラウスは出会った時、バネッサに触れること自体は無害だと言い放ったのだ。


「……それでも、本能的に私の容姿を避けることがほとんどだ。君、なにか認識に欠陥でもあるのか?」

「ひどい言い方だぞそれは」

「それほどおかしいって言っているんだ。君たちの種族がどうして私みたいな人間を忌み嫌うか理解しているかい? 君たちの肌・髪・瞳・体組織の全てが高純度の魔力素で成り立っている。魔力素の安定は生命力に深く密接する。君たちの容姿が美しいのはその安定とイコールで結びつくバランスだからだ」

「そうだな。学校でも習ったよ」

「………だから、私みたいに髪の毛もボサボサで、肌の色が汚くて、頭身が低いってなると、本能的に不安定な生命力を彷彿とさせるんだ。だから触れたくない、気持ち悪い、隣に立ちたくないって考える」

バネッサの視点で例えるなら、腐乱した肌を持つ生きた人間と手を取り合えるか否かという話だ。

正直、バネッサはそんな人を見たら避けるだろうという確信がある。

話を一通り聞いたクラウスは、改めてうーんと考え込む。

「…もしかしたら」

と、一つ思い当たることに行き着いたのか、表情を明るくして答えた。

「あの日俺の足に魔法をかけたせいでバネッサの魔力が俺に取り込まれて、認識が変わったのかもしれないな」

「……いやいや、前にも言ったけど、たとえ魔法をかけたからって私の何かが君の中に取り込まれることはないんだけど」

「本当にそう断言できるのか? バネッサは確かに魔法について博学だけど、全てを知ってるわけではないだろ?」

「………」

そこまで言われると、反論できない。そして反論できないことをわかって彼は言葉を紡いでいる。幼少の頃から変わらない口ぶりだ。

けれど、確かにその可能性はあるかもしれない。

触れて魔法をかけたことで、バネッサの魔力がクラウスの魔力を変容させた、ということは大いにあり得る。

「他の村人にも魔法をかけたら、バネッサへの認識が変わるかもしれないな」

夢物語を語るのも、昔のクラウスと変わらない。


バネッサの気持ちが冷える。

そろそろ突っ立って会話を続けるのも疲れるので、バネッサは部屋に入ってソファに座った。ソファには埃はなく、誰かが手入れしてくれたのは確かなようだった。

クラウスも当たり前のように部屋に入り、バネッサと向かい合うように椅子に座る。


「いつまで居座るつもりなんだい? 私はやることがあるんだよ」

「それは俺たちを救ってくれるっていうやつか?」

「げ………」


しまった、そうだ。もう二度と会わないと確信していたからつい言ってしまったのを思い出す。

まさか20年も覚えているとは。


「バネッサは、俺たちのためにこんなところに住んでいるんだろう?」

「………」

「あなたがいなくなってから、村人の死亡率が格段に上がった。おかげで今は、20年前の半分くらいしか人が残っていない」

「え……」

ドクンと心臓が嫌な音を立てる。

「あなたの姿を見なくなったから、人々は魔女の呪いだと信じてやまなかった。本当は因果が逆なのに、誰も気づかない。俺が何を言っても妄言としか捉えられない。なんとかまじない師が術を編んで村の病気には対処できるようになってきたが、今度は村の外に出ると、砂になってしまう病気にかかる人が増えた」

「……あ、ああ、あ………」

「? バネッサ…?」


砂になる病気。

まさに、エルフを滅ぼした奇病のことだ。


バネッサはかつて、村の外に蔓延している呪いの魔力素を回収して、成長するのを阻止していた。しかし回収する人間がいなくなったら、それは必然的に大きくなり、ついには呪いそのものとして彼らを襲う。

バネッサが組み上げた魔法は、あくまで魔力素を破壊するもの。呪いになってしまったものを消す魔法は、まだない。


本来なら、奇病が蔓延する直前の時間に戻り、呪いの元となるものに編み出した魔法をかけて消す予定だった。

そうすれば奇病が流行ることはなく、大量死を免れたはずだった。


自分は失敗したのだと、改めて思い知らされてバネッサは両手で顔を覆う。

深い悲しみに包まれる。けれど涙を流すことは許されない。唇を強く噛み締め、血が滲む。


椅子が動く音がすると、縮こまっているバネッサは包まれる心地がした。

背中に温かな熱を感じる。


クラウスが、バネッサを抱きしめていた。

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