03 魔法に失敗した魔女は時を渡る。

クラウスがバネッサの家に魔法を学びにくるようになって早くも三ヶ月が経った。

クラウスがやってくるのはバネッサからすればランダムで、予想がつかない。二日おきの日もあれば、十日空いた日もあった。その時はバネッサも「飽きたのかな」と考え肩の荷が降りたと微笑んだほどだったが、その瞬間に扉をたたかれたので気が滅入った。


クラウスは案の定飲み込みが早く、既に基礎的な生活補助魔法を理解するに至った。

マッチで擦ったくらいの炎を起こす、遠くにある小さなアイテムを手元に引き付ける、ランタンのように手元に光を灯す。など。

元々エルフの血筋があり、日々成長しつつあるおかげか、魔力素を操作できる量も日に日に増しているようである。

このまま学び続ければ、村一番のまじないい師になれるだろうと思った。

(そしてその頃には、私の業務を引き継いでくれないだろうか。なんて)

自分の使命を明かせないのに、そんな空想をしてしまう。


「バネッサ、この炎を大きくするには詠唱が必要なのか? それとも魔法陣を組めばでかくすることだけなら可能なのか?」

「後者だね。新しい役割を得るわけじゃないから、詠唱で魔力素を集める必要はない。まさか魔法陣に手を出そうとしてる? 覚えるのも大変だよ」

「教えてよ、それとも俺が覚えたら何か問題でもあるの?」

「はぁ……君はいつもそうやって退路を断つような言い方をするよね」

「?」

天然だな、この反応は。身近な誰かの口癖なのだろうか。

「まあ良いか。魔法陣を使った魔法は絶対に人前で使わないでね。君の年齢にしては高度な内容なんだから」

「わかってるよ。バネッサの存在がバレるようなヘマはしない」

「……なら良い」

三ヶ月……正確には、ぎゅっと縮めて三十日ほどだが、クラウスと過ごしてきて、彼が約束を守る少年であることはバネッサも理解していた。

賢く真面目で正義感があり、規律には従うようだ。

バネッサを襲いに来たあの日は、幼馴染の少女の肌が荒れ、魔女の呪いなのだと子供達の間で騒ぎになっていたことがきっかけだった。大人に訴えても反応が悪かったから、自らバネッサの棲家を探したのだという。大人の反応が悪かったのは、少女の肌が荒れた原因が植物であったことを知っていたからである。けれども魔女のせいという言葉を否めない気持ちがあり、口ごもってしまったのかもしれない。村人の自分に対するプライドの高さをバネッサは理解していたので、想像に容易だった。

そんな状況を、クラウスも考察していたようで、バネッサはまた目を瞬かせた。どうやらクラウスは、物事を俯瞰して考える癖がついているようだ。

「君、そういえばいくつなんだい?」

「…7」

「最近の子供はこんなに賢いものなのかい?」

「知らないよ」

クラウスが口を引き結んで顔を背ける。ニヤつく顔を必死に堪えている。

「バネッサはいくつ?」

「私の年齢なんか知って何になるんだい」

「……も、目標になるだろう。バネッサの年齢になればそのくらい魔法が使えるようになる、とか」

「うーん……私は25だけど、君が25になった頃にはきっと私よりもすごい魔法を使えるようになるよ」

クラウスは振り返って目を輝かせる。

「本当か!?」

「まあこのまま勉強を続ければね。そんなことが許されるかな」

「できるよ。大きくなればもっと自由な時間も増えるし、そうすればバネッサとの時間も増える。魔法を勉強してるって周りに言っても変だと思われなくなる」

「………そうだね」


バネッサの返事は、いつも以上に覇気がなかった。クラウスは、微妙な反応に違和感を覚えて首を傾げた。



***



クラウスが帰った後は、日が沈んで再び上がりきるまでは絶対に戻ってくることがない。

完全にクラウスが村に戻ったであろう時間を計算して、ようやくバネッサは地下への隠し扉を開ける。

村に息を潜めている奇病の破片を研究する時間が始まる。


クラウスと交流すること早一年。


奇病の元となる呪いが込められた魔力素は、今でも村の側で観測されている。村はバネッサの張った結界で守られているが、放置して大きくなったら再び病となって村を襲うかもしれない。

バネッサは時折それを回収して、瓶に封印してこの地下に安置している。そして回収したものを用いて分析と実験を進めていた。

クラウスが家に訪れるようになってからは彼にこの魔力素が付着しないように緊張感を高めて接していた。なので前よりも研究の速度は遅くなったが、ようやく呪いの魔力素の分解を促す魔法が完成しそうだった。


バネッサはこの魔法が完成し次第、もう一つ大掛かりな魔法を使い、奇病の根絶を実行する。


そのもう一つの魔法というのは、時渡りの魔法だった。


「クラウスの成長する姿は、ちょっと気になったんだけどね……」


すっかり自分も、彼に絆されてしまったと自嘲気味に笑う。

彼が数日来ないと、飽きてしまったのかと考えることが常だったが、いつの日かその思いに寂しさが含まれていることを実感していた。

まさか、こんな関係を得ることになろうとは、予想していなかった。

出会えて嬉しかったと思うと同時に、彼との別れに胸が痛む。


三日、四日、そして十日が経った。

クラウスが長く来ない日が、よりにもよって研究の最終工程と重なるとは。


彼を待ってもよかった。けれど、バネッサは早く自分の使命を果たしたいという悲願も抱いていた。

これ以上、クラウスを待つことはできない。


完成した魔法を必死に覚え込み、バネッサは大魔法の準備を始める。

この魔法のために集めた貴重なアイテムたち。永久を生きるドラゴンの涙、500年に一度しか咲かない花の花弁、日食の時に生まれた不死鳥の羽。

それらを触媒に、バネッサは陣を組み上げる。

己の血液を床に垂らせば、地下の部屋は青く光り輝いた。


「バネッサ!」


「!?」

部屋と階段の境目に、慌てて檻を張った。

しまった、地下室への扉を開きっぱなしだった。

運悪く、クラウスが来訪してきたのだ。


「やっぱり秘密の部屋を隠してたんじゃないか。何をしてるんだよ、通してくれよ!」

「それはどうしたって聞けない話だね」

「なんか……この魔法、なんなんだよ、なんでこんな、恐いんだ…? なあバネッサ、何をするんだよ。ついに、俺たちを呪うのか?」

「……」


クラウスはもう、この魔法が呪いなんてものではないということも本能的に理解している。

強大な因果を捻じ曲げる魔法に、体内の魔力素がざわつきを覚えている。

バネッサが魔法陣の中にいることが悲しい。彼女を救い出したい。そう訴える声がする。クラウスは光の檻に手をかけて入ろうとするが、びくともしない。


もうこれが、最後だろうとバネッサが微笑んだ。


「私は、君たちを救いに過去に行く」

「……え?」

「この魔法は、時間を飛び越える魔法だ。私は、今から十年前のある日に跳ぶ。君は生まれていないから、私と会うことはきっともうないね」

「そんな、なんで……救うって、どういうことだよ。十年前になにがあるんだよ」

「これ以上は教えられない。けれど、どうかこれだけは伝えさせてほしい」


クラウスたちの矜持を守らなくてはいけない。彼の心に残していいのは、師匠との別れのみだ。それ以上の情報は、与えられない。

もしかしたら、過去を変えることでここで彼の記憶も書き変わってしまうかもしれない。だったら余計に他の情報を与えることは無意味だ。

だから、どうか彼が少しでも心を軽くしてくれればと願って、バネッサは告げる。


「クラウス、君と過ごした日々は、私にとっても宝物のようだったよ。あの日私を退治しにきてくれてありがとう」


バネッサは魔法を発動させた。クラウスの伸ばした手は、ついぞ届かなかった。


一瞬で、光も音もない、無の空間に投げ出される。自分の体と境界が曖昧になって、引っ張られるような押し込められるような、無茶苦茶な感覚に混濁していく。

時渡りの魔法は強大でほぼ実現不可能とされるだけあって、前例を知らない。あったとしても、パラドックスが起きて記録がかき消されているのかもしれない。

次に何が起こるかわからない状況に、バネッサはただ考えを巡らせようと必死だった。

永遠かに思われる無との共存に、精神が壊れてしまうんじゃないかと激しい恐怖を襲った、その時だった。


ドンッと強く全身を打ち付けられる痛みに、バネッサは久しぶりにまともな呼吸をしたかのように息を激しく吸い込んでは吐いた。

目を閉じているせいなのか、中心から先まで、心臓が血液を巡らす熱を強く感じる。止まっていた時間が動いた時とは、こんな感じなのかと考える。両手両足を投げっぱなしのまま、熱さを堪能する。


指先を動かすことができて、ようやくバネッサは目を見開いた。

青い空が眼前に広がる。空気がある。草木の香りがする。肌に触れるものは新緑の柔らかさ。


「成功、した……?」


わからない。そもそもこの場所はどこなのか。予定としては、十年前の同じ場所に落ちてくる算段だった。

十年前はまだ家を建てていないので草の上に落ちるのは予定の範疇だ。バネッサはぬか喜びにならないように高鳴る胸を抑えるのに必死だった。


まだ力がうまく入らないので、強化の魔法を自分の足と腰にかけて、ようやく普通に立ち上がった。

鬱蒼とした森の中、自分の棲家の周りの環境に似ている。

あとは今がいつなのかを確認できる術を得なければならない。ある程度場所を把握したら、村を探そうとエリアを変えた時だった。


目の前に、自分の住んでいた家があった。


バネッサは絶望した。

想定通りの時間に跳べたのなら、ここに家があるはずがない。


「………」


一年、二年、もしくは数日しか戻れていないのかもしれない。

自分の家ならば日付を確認する術がある。

悲しい気持ちで扉を開けると、ふと違和感を覚えた。

「………? 古い………?」

家の内装に変わったところはないように思えたが、全体的に古さを感じた。

正確には、生気が少ない。

急いで魔力時計に魔法を注いでみるが、起動しない。これでは時間と日付がわからない。

壁にかかったアナログなカレンダーを見てみるが、時渡りを実行した日と全く同じものがかかっている。

しかし、紙は色褪せ、触れるとざらりと古めかしい感触がした。

これは確実に


ドクンと不安がバネッサを襲った。

まさか、と口から漏れる。


その時だった。


「………バネッサ?」


低い男性の声。自分を縛る、その名を呼ぶのは一人しかいない。


振り返ると、木漏れ日に照らされた男性が、目を見開いて立っていた。

背がずっと伸びて、美しさは芸術家が丁寧に作り上げた彫刻のように磨き上げられ、思わず逃げ出したくなるほどだったが、間違いなく、彼の名前をバネッサは知っていた。


「クラウス……」


そして気づいた。

魔法は、失敗した。


過去に行くはずだった時渡りの魔法は、バネッサを未来に運んだのだと。

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