02 少年は再訪する。
朝、パンを一切れと卵を一つフライパンに落として胡椒をかけたものを朝食に…と準備をしていたら、ガンガンと金属がぶつかり合う音にバネッサは眉を顰めた。
カーテンを少しだけずらして窓の外を見ると、なんと昨日の少年がどこから持ってきたのか金属管を片手に突っ立っている。
「はぁ……」
面倒臭い。そう思う気持ちを抑えることなく、バネッサの口角は下がった。
昨日のように勢いよく扉を開けて早々
「家に危害を加えることはやめてくれないだろうか」
と迫力を込めて言った。
「おい魔女、呪いは解いたか?」
「君が家に危害を加えたら発動しちゃうかもしれないよ」
「な!」
少年はパッと金属管を手離した。そして、金属管は少年の足の上にまっすぐ落ちた。
「あああっ!」
「!!!」
痛みで雄叫びをあげる少年は後ろに倒れ込んでのたうち回る。バネッサは急いで少年に駆け寄り、患部を診た。どうやら鋭利な部分が突き刺さり、彼の右足から血を流させている。
魔力素が溢れ出るのを感知し、これではまずいとバネッサも青ざめた。
「君、名前は」
「うっ、うう、名前…? そん、そんなの、教えてやるもんか、呪いに使うつもりだな…?」
「馬鹿なことを言うんじゃない! 怪我を治すには名前が必要なんだ! このままだと傷が残るよ」
「!」
傷が残ると言われれば、少年も事の重大さに喉の奥をひゅっと鳴らした。血が流れるのと同時にドクンドクンと心臓が鳴り響く。
「ク、クラウス……クラウス・マキナ」
「クラウスが名、マキナが姓であってる?」
少年、もといクラウスは小刻みに何度も頷いた。
「少し痛むが、暴れないでね」
バネッサが傷口に手を添える。血液が付着するのも厭わず、ピッタリと患部に触ると、クラウスが痛みに身じろぐ。
「暴れないで!」
「っは、はあ、うう……」
「『拡散されしマナよ、我が右手に集え。名はクラウス、姓をマキナ、回復せよ、結集せよ、そなたの
「あ、ああっ痛いっ、痛い!」
暴れるクラウスを、押さえつけている右足に強く力を込める事でなんとか抑えるしかない。クラウスがまだ幼い少年でよかったと思いながら、バネッサは額に汗をかいた。
足の周りに点在する魔力素が光り輝いて、バネッサに右手に吸い込まれるように移動する。手のひらがじわじわと熱くなる。沸騰しているのではないかと感じられるほどの血の巡りに、バネッサもクラウスも表情を歪ませる。
やがて、じわじわと光が落ち着けば、バネッサの右手がようやく離れた。
目尻に涙を浮かべてクラウスが呼吸を荒くする。もうダメだと絶望していたが、ふと右足に強い痒みを覚えて体を起こす。
「なんだこれ!うわあ、気持ち悪い!」
「よかった、回復しているようだね。それもすぐ治まるから我慢しなさい」
「うう、う……あ、あれ、血が………傷がない」
足に違和感を覚えつつも、そこにあった自分の右足がいつも通りきめ細やかな肌のまま何も変化がないことを不思議に思う。
そしてようやく、バネッサが魔法を使って自分を治したのだと理解した。
「あ、お、お前……」
立ちあがろうとするバネッサの服の裾を掴む。
ぐんと引っ張られて、バネッサはクラウスを覆い被さるように倒れた。
「なんてことをするんだ…」
「お前、俺に何をした! 変なのを埋め込んでいないだろうな!?」
「そんなことをして私に何の得があるんだい?」
「だって、いや………俺たちの体は、いい材料、なんだろう?」
「いつ誰がそんな出鱈目を言ったんだい全く……」
「じゃあ、じゃあ今のは、何を……」
敵だと信じ込んでいたバネッサの行動に理解が追いつかないクラウスは困惑してしまう。
体を起こして立ち上がったバネッサは、クラウスに手を伸ばして言った。
「空気中に拡散された君の魔力素を再び戻して君の傷を修復しただけ。私の手は媒介にすぎない。君の体内には何も残っていない。疑うなら
クラウスは、まっすぐな瞳で伝えられ、確認方法まで示唆する物言いに嘘はないのかもしれない、と納得し、恐る恐る手を取った。
バネッサがそのまま手を引き、クラウスを立たせる。立って改めて、自分の足がもうなんともないことを実感する。
魔女と嫌悪していたバネッサに助けられたことで、クラウスは胸中が穏やかでなかった。
「…………ありがとう」
「え?」
小さい声で感謝を告げたクラウスは、そのまま走り出して森の中に消えた。
長らく言われてこなかった感謝の言葉に、バネッサは耳を疑った。
誤解が解けたのだろうか。別にどちらでもいいけれど。でも………
クラウスの足に触れた右手の熱を思い出す。今日は良いことをしたと誇らしげな気持ちで、朝の活動を再開することにした。
***
そんなことがあった次の日だった。
また同じ時間にコンコンと今度は丁寧なノック音が響いた。
村長がお忍びで何か用だろうか、と身なりを整えて静かに扉を開けると、クラウスが立っていた。彼は大人しく直立していた。
「………えーっと、クラ、ウスだっけ」
「その、二日間、迷惑をかけた。ごめんなさい」
そう言って素直に腰を折って、バネッサは目を丸くした。呪いを解けと息巻いていたクラウスと重ならない。
「…君、双子の兄弟でもいるのかい?」
「なんだそれ!? いたとしてもなんで別の人間が謝りに来るんだよ!」
それもそうだな、と答えに納得したバネッサは「確かに」と呟いた。また、今の反論の声が、昨日と一昨日の迷惑な子供の声と同じだったなあと脳内で一致した。
「俺、昨日考えたんだよ。お前がこんなところに住み続けられているのも、別に変なことをしているわけじゃないからだって……だって本当に迷惑をかけていたら、俺の父さんが真っ先に討伐に来るだろうし」
「君のお父さんは強いのかい?」
「村の騎士団長をしているんだ。魔獣が襲ってきても絶対に首を狩ってくるんだ!」
「それは頼もしいねえ」
父を誇らしく讃えるクラウスの可愛らしさに微笑むバネッサと、父を褒められてさらに嬉しいクラウスは笑顔を向け合った。
そしてクラウスはハッとして、バネッサから目をそらし、耳を赤くした。
「と、とにかく、大人たちが、お前が村に来るのをとりあえず許してるわけだし、危害を加えているわけじゃないんだということは俺の中で答えとして出た。だから、勝手に決めつけて襲ったのは、俺が間違っていたんだなって反省した」
「おお……」
歳の割に、主観的になりすぎないクラウスの言い分に思わず感嘆の声が上がった。
クラウスがふんと唇を尖らせて、腕組みをした。
「やはり君は賢いのかもね」
バネッサの言葉にクラウスがもう一度バネッサを見上げた。
長い前髪に隠れがちな瞳は、クラウスからは覗くことができる。その表情の優しいことにクラウスは心が温かくなるのを感じて、戸惑う。
バネッサの言葉は、自分を強く肯定してくれている気がして、気分も良くなった。
「お………、ま、魔女、名前を、教えろ」
「どうして」
「俺の名前を教えただろう、俺だけ知られているのは不平等だ!」
「そうか……まあ、いいか。でも、できれば村の人に言わないようにね。守れるかい?」
「教えちゃダメな理由があるのか?」
クラウスは訝しげな視線を向ける。
「名前は、大切な人にしか教えたくないんだ。呼ばれるたびに、私を縛るから」
そう言うバネッサは、切なく笑う。
クラウスは、なぜ彼女がそんな表情をするのかわからない。
「呪いに使う方法がやっぱりあるのか?」
「呪いに名前はさほど影響力はないよ。そういう理由じゃない」
「……それが真実かどうか、俺にはわからないじゃないか」
「それもそうだね」
バネッサはクククッと喉を鳴らした。褒められたはずなのに、今度は馬鹿にされている気がしてクラウスはムッとする。
「私の名前はバネッサだよ。これでおあいこかな?」
「バネッサ……」
クラウスが名前を覚えるために反芻する。
「おい、バネッサ。俺に魔法を教えろ」
「え?」
クラウスが玄関に入り込もうと一歩前に出てバネッサに近づいた。
「バネッサが本当に名前を呪いに使わないのか、俺にはわからないんだから、俺が理解できるまで魔法の仕組みを教えろ。教えることを断る理由はあるのか?ないなら教えてくれ」
生意気な態度と迫ってくるクラウスにバネッサは面倒臭さがふつふつと湧いてくる。
「そもそも君の村の人が許さないだろう」
「秘密にする! 俺がここにくるのも、休みの時だけだ。怪しまれないようにする。それでもダメなのか!?」
「君と交流していることがバレたら、痛い目に遭うのは君じゃなくて私なんだよ…」
「っ……だ、だとしても、そうだ、それこそ俺が仕組みを理解してバネッサが何をしているのか知れば、村の人に説明ができるし説得できるかもしれないじゃないか!」
そんなのは夢物語だ、とバネッサは鼻で笑った。
バネッサが村のためにしていることは、クラウスにはおろか、どんなに信頼できたとしてもあの村のエルフの末裔である以上、伝えることはできない。
決して叶うことのない、村人との対話を語るクラウスを見て、やはりまだ子供なのだと実感する。
「残念だが、それは———」
「受け入れてくれなかったら、明日父さんをここに連れてくる」
「………はぁ」
それはもっと面倒くさいなあとバネッサは天秤にかけて折れた。
「それじゃあ好きにすれば。ただし毎日1時間こっきりだからね」
クラウスの表情がぱあっと明るくなった。
脱力して家の中に戻ったバネッサの後ろについて、クラウスが家に上がり込む。
部屋中に飾られている魔道具や植物を興味津々に眺め、しばらくはしゃぐ。その様子をバネッサはソファから眺める。
(まあ、地下にさえ入れさせなければいいか)
「なあ、秘密の部屋とかないのか?」
「なっ、ないない。質素な暮らしなんだ、そんな敷地があってたまるか」
「ふーん」
(なんて鋭いやつなんだ……)
その日から、バネッサとクラウスの奇妙な交流が始まった。
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