魔法に失敗した魔女は時を渡る
巻鏡ほほろ
01 魔女は迫害されている。
西の外れの森には醜い魔女が住んでいる。
触れれば我らの美貌も失われる。決して好奇心で近づいてはいけないよ。エルフの美貌を失いたくないのなら、魔女を見ても近づいてはいけないよ。
醜い魔女ことバネッサは、今日も今日とて石を投げつけられながら日用品を買いに村へやってくる。
なぜこんなに迫害されているのか。それは村人たちの血筋にわけがあった。
この村は、美しい。それは外観だけでなく、住む人たちも例外ではない。美人が住まう村である。
美人とはこの国の基準では、目鼻立ちが均整の取れたポジションに収まり、程よく大きな瞳、すっと通った鼻筋、張りのある肌や唇を持ち、頭身は高く、女性ならば細く、男性ならば筋肉が程よくついているスタイルの良い人間のことを言った。
容姿を形成する全てのものは魔力を帯び、彼らの生命エネルギーを保護している。美貌はすなわち、生きる上で必要不可欠な要素。顔に傷やしみが残るようなことがあれば、死も同然という価値観だった。
対して醜い魔女バネッサは、身長が成人女性にしては低く、頭身も低く、肌は村人と比較すれば黄色く、肌にはそばかすが点在し、目つきが悪く常に隈を携え、姿勢も良くない。普段から薄汚れた黒い衣を纏っているので、余計に汚らしく見えるのか、村で見かけると人々は近寄らないように距離を取る。もはや病原菌扱いだ。
「今日の運勢最悪だわ」
なんてじろりと睨まれるのはいつものこと。
「あんたが来ると売り上げが下がるんだよ…」
と店主に迷惑がられるのもいつものことなので、バネッサは村中の店をランダムで全て回っている。
「なんでこの村に居着いているの? 魔女は僕たちを見て楽しんでたとしても、こっちは不快になるだけなのに」
「迷惑を考えて家移りしてくれればいいのになあ」
バネッサだって好きで悪口を聞きたいわけではない。できることならそうしたい。
しかしバネッサには役割がある。西の森に住んで、村を見守らなければならない理由があった。
エルフの混血の末裔とされる村人たちは、今となっては貴重な血筋であり、国からこっそり絶滅危惧種として指定されている。
正統エルフの絶滅を引き起こした奇病が、十年前、この村の人々にも蔓延した。その被害を最小限に食い止めたのが、他でもないまだ15歳のバネッサ本人であった。
この奇病は、人為的なものであった。誰が作り、広めたのか。それは残酷なことに、バネッサの一族である魔法使いだった。バネッサはその日から、一族の罪滅ぼしも兼ねて奇病の根絶のために魔法を使って原因解明を急ぎ、ある日は重病患者にこっそりと薬を作り助ける医者のような役割も担っていた。
この事実を知るのは村の長のみ。絶滅危惧種と知られることも、奇病の存在も、バネッサの存在意義も、村人に知らせてはならない。知れば混乱が蔓延する他に、屈辱と恨みをバネッサにぶつけて攻撃しかねない。バネッサがいなくなれば、今度こそこの村が助かる道は途絶えてしまう。
いつまでかかることかは分からない。けれどバネッサはその
だから何を言われても、彼女の意思は変わらない。奇病を生み出すために命をかけた愚かな一族を思って、呆れながら今日も魔法陣を描く。
「おい!魔女!呪いを生み出すのをやめろ!!」
家に篭ればいつもは静かなはずだったのに、その日外から聞こえた少年の勇ましい声に驚いてバネッサは手元を滑らせた。
組み上げていた魔法陣の文字が混ざり合う。これではどうしようもならんと深いため息を吐いて片付けると、バンと苛立ちを込めて扉を開けた。
家の前には美しい少年が仁王立ちで構えていた。
年は10になるか満たないか。
客人などほとんどないバネッサは興味津々に来訪者を観察した。勢いよく現れたくせに何も言わず自分を見るバネッサを気味悪く思って、少年は構えを解いて一歩後ずさる。
「お、おい、なんとか言え」
「………」
「魔女は口が聞けないのか?」
「……君、ここに来てはいけないと大人に言われなかったのか?」
少年は明らかに村の子供だろう。幼いながらも目を見張る美貌を形成する肌や髪から強い魔力を感じる。
「そんなことよりも諸悪の根源を滅するほうが大事だ」
大人の言い分を跳ね除けるほどの正義感で少年はこの場に赴いたのだという。
「私が、一体君たちに何をしたのかな」
「とぼけるな! お前の作る魔法が村を脅かしていると言っている! みんなはお前の呪いが触れると移るからと放っておいているが、俺はそんなことはないと知っているんだぞ。本当の秘密は、この家にあると思って俺は来た!」
「…!」
「さあ呪いの術を今すぐ解け! 証拠を目の前にするまで、俺はここから動かない!」
ビシッと指をさして叫んだ少年は、言い終わると少しだけ息が切れたのか、肩を上下させる。
バネッサは黙したのち、一歩一歩少年の方に近寄る。
「な、なんだよ」
またしても何も言わないバネッサに戸惑い、恐怖を覚えながらも、視線はまっすぐに彼女に向けた。
バネッサは彼と視線が合うように、少しだけ前屈みになった。
「逃げないのかい?」
「逃げない…! お前自体はか弱いただの人間だってことを知っているぞ」
「……ふふ、そうか」
バネッサは、久しぶりに笑った。少年はまさかの反応に戸惑った。
「君は、村の誰よりも賢いみたいだな」
そうしてぽんぽんと少年の頭を撫でる。撫でられた少年はすぐさま飛び退いて、体を硬くした。
「なんだっけ、呪いの術? それがあるかないか確認して行くかい?」
自分の家を指差し、少年を誘導しようとするも、少年はぶんぶんと大きく首を振る。
「そうやって俺を取り込もうって気だな!?」
「そんな趣味はないよ」
「嘘つけ、魔女にとって俺たちエルフの末裔はいい材料だって聞いたことがあるぞ!」
「なんだそりゃ。それなのに君はこんなところに大人も伴わず来たのかい? 訂正しよう、君は愚かだな」
「な、な、さっきは賢いって言ったじゃないか!」
ムキになって反論する少年に、バネッサはつい鼻で笑ってしまった。所詮子供だと再確認し、もう飽きてしまったのか、これ以上は無駄な時間を浪費するだけだと思って踵を返す。
「怖気付いたのか!?」
「そうだよ〜こわいこわい。おうちに篭ることにするから君も帰りな」
適当に手を振って、しっかりと扉を閉めた。
面倒なことにならなければいいけど、と思いつつも、手応えのない相手だと思ってもう二度と少年がここに来ることはないだろうと思案する。子供とはそんなものだ。
バネッサはこの束の間の会話を忘れることにした。
一人で西の森に行ったと村で言えば折檻ものだ。厳しく大人に指導されるに違いない。
———私は、罰なのだから。
悲しいという感情はとうになくなっていた。
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