034 貫き続けた秘めごとの最果てに
◆◆◆
そこから見える景色に、人影は一つもなかった。
人が住むような建造物もなく、ただ、そこにあったのは──。
「そういう……こと……」
くるみは、悲鳴とも安堵ともとれるトーンで、ぽつりと呟いた。
僕たち四人の前に開かれた光景。まさにこの場所に、くるみの母親はいる。それは間違いないのだろう。かつての危険因子は、確かにここにいる。眠っている。
『
と名付けられているこの場所の、地面の下に、彼女の母親は眠っている。
「そんな……まさか……」
「ああ」と谷川が肯く。「
どうやら、僕たちはたどり着いたらしい。
この十二年間の終着点に、貫き続けた秘めごとの最果てに。
最低最悪の結末に、たどり着いたのだ。
◆◆◆
臥待くるみの母親は、この十二年の間に亡くなっていた。
死因は不明だが、他のミアキスや
「彼女は逃げ切ったんだな。そして、生涯を全うした。ミアキスや我々に命を捧げるのではなく、自らの寿命を自らの為に使い切った。どこかでひっそりと暮らして、それなりに他者や社会と関りを持ちながら、その時まで生き続けたんだろう」
僕と谷川、そして椎名は霊園の入り口にいた。二十メートルほど先に、くるみの母親の墓石がある。その前でくるみは呆然と立ち尽くして、ただただ母親が眠る場所を見下ろしていた。
「そういうことに……なるのか」
「……という解釈が一般的だ、って話だ。真相は分からん」
「でも、それじゃあ……」
「そうだな。臥待の願いが、真の意味で成就したかどうかは、分かりかねるよ」
それで、と谷川は続ける。
「
椎名の顔を見る。彼女の表情にも陰りがあった。その心情を完璧に読み取ることはできない。ただ、なんとなく分かるような気がした。
これが、この戦争の結末なのだ。自らの平穏を賭して、S2CUに立ち向かった末に突き付けられたのが、この真相。そのどこにも黒い思惑はなかったし、椎名の安寧を脅かす存在もいなかった。ただただ、臥待くるみという少女を守るための秘めごとがあっただけで、彼女の心を蝕むような残酷な事実を、本人に突き付けただけ。
これで、決着だ。もちろん、椎名が真実だと受け入れてくれれば、だが。
椎名の横顔を見つめる。くるみの方をじっと見つめたまま、しばらくして声を出した。
「わたくしは……もう、どちらでもよいのです。これが真相だというならば、それで。ただ、」
そしておもむろに、ポケットから小型のナイフを取り出し──突然、自分の腹を掻っ捌いた。
僕は混乱した。彼女が腹の中から取り出したのが……一丁の拳銃だったからだ。
「椎名っ、お前……なにを……!」
「
椎名の不穏な声色に、咄嗟に僕の足が反応した。しかし、それを谷川が止めた。
谷川は、僕の肩を掴んで、首を横に振った。
「……谷川、どうしてっ……」
どういうつもりだ。椎名は危険因子、そいつが隠し持った拳銃を手に、くるみに近づいている。それをどうして見逃せるのだ。僕は、谷川を睨みつけた。すると、彼女は言う。
「いいから。椎名の言う通り、黙って見てろ。……あいつの好きにさせてやれ」
視線を椎名へと戻す。彼女は、一歩一歩、ゆっくりとくるみへ近づいていた。そしてくるみの背後まで迫り、拳銃を持った右手をゆっくりと挙げた。
「椎名ッ…………やめろッ!」
という僕の叫び声に振り向く素振りも見せず、拳銃を──くるみの手に、握らせた。
「……え」という声は、くるみが発したものだ。もしかしたら、ほぼ同時に僕の口からも漏れていたかもしれない。「なに……これ……」
細く弱弱しいくるみの声に、椎名が応じる。くるみの手に、自分の手を重ねて、
「わたくしができることは、これぐらいですから」
くるみの背後に回り、まるで二人羽織のような態勢で、くるみに拳銃を構えさせた。
その銃口は、まっすぐに墓石へと向いている。
くるみの呼吸が荒くなっているのが、ここからでも分かった。
「ほんとうに……申し訳なく思っているのです。だから、贖罪がしたい」
そして、椎名は言う。
「臥待さん。ああたが望むなら、わたくしは共に引き金をひいて差し上げます」
直後、谷川の呼吸音が隣で鳴った。僕は視線を、谷川へと向けた。
「……言ったろ。好きにさせろって。たしかに、椎名は危険因子だ。だがな、それと同時に」
彼女の視線は、椎名とくるみへまっすぐ伸びていた。口角が吊り上がっている。
「臥待くるみのクラスメイトで、友人なんだよ」
僕はまた、墓石へと銃口をつきつける二人の方を向いた。くるみは、口元を震わせている。拳銃を持つ手だって震えていた。椎名はくるみを支えるように、背筋をぴんと伸ばしている。
「ッ…………ぅ、はッ…………」
「いいんですよ、臥待さん。好きにすればいいんです」それから、慈愛に満ちた声で言う。「ああたも、正直になっていいんです。臆することはありません」
「…………っはぁ……ふぅ……はっ……」
「わたくしが共に抱えます。撃つも撃たないも、恨むも恨まないも、ああたの自由。後ろめたさだけを、わたくしが共有して差し上げますから。……わたくしが、ここにいますから」
僕は、その様子を見守ることしかできなかった。
本音を言えば、戸惑っていた。くるみの心情が分からない。墓石の前で、あの夜の真実を直接問いたかったその人の死を前に、もはや対話すら叶わないという残酷な現在を前に、なにを想っているのか、僕には知る由もない。だから、椎名の行動だって正しいか分からない。もしかしたらくるみをさらに苦しめることになっているかも分からない。それでも、
「どうか、思い残すことのないよう。……それが、わたくしの最後の願いです」
その椎名の言葉に、僕は黙って見守ることが正解なのだと気づかされた。
椎名の親指が、拳銃の安全装置を解除する。くるみの人差し指が、引き金に乗る。くるみの手は、いまだ震えている。緊張感が、一帯に充満する。二人の覚悟の瞬間を待つまでの静寂と、深夜の暗闇だけがここにはあって、そして永遠にも感じる時間が流れた後で、
「…………あ、りがとう。
くるみは、そう言って、
「先生、パパ」拳銃を、ゆっくりと下ろした。「もう、帰ろう」
◆◆◆
車まで戻ると、くるみは来る時と同じく、後部座席に腰かけた。谷川は運転席で、僕は助手席。その後で椎名がためらいがちに、くるみの隣の席に乗り込んだ。谷川はエンジンをかけてすぐ発車しなかった。考え事をしているかのように、上を見たり、足元を見たりを繰り返した。
車内には、息が詰まりそうな沈黙だけがある。
はたして、これで良かったのだろうか。母親の墓前に連れてくるだけじゃ、彼女の気が晴れるはずがない。何も解決しえないという事実だけを傷痕として残してしまったのではないか。
谷川は、母親の死を知っていた。それでもここに連れてきた。本当にそうすべきだったのか。勿論、彼女に責任転嫁しようなどという気はない。そんな子供の駄々みたいな感傷に縋りつきたくない。そういう話じゃなくて、僕らはこのままで、いいのだろうか。
結局、何も出来ないままで──。
「なあ、お前ら」
谷川が、車内にこだまする沈黙を解いた。
彼女は窓の外、遥か先をボーっと眺めながら、ここではない何処かに思いを馳せているみたいに、輪郭の定まらない声色で、問うた。
「海、見たくないか?」
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