033 終着点が近づいていることを、知る

   ◆◆◆


 六月三日。土曜日。午後七時五十二分。


「さあ、乗った乗った。臥待ふしまち椎名しいなは後ろな。目的地までは、景色を堪能するといい。暁月あかつき、てめーはカーナビ以外見ちゃダメだ。運転する先生をサポートしろ」

「……さてはお前、旅行かなんかだと思ってるだろ」

「なんでもかんでも楽しんだ方が得だ。そうだろ?」

「わたくしは、谷川恵空たにかわえそらに賛同します。よいではないですか、旅行。ワクワクします」


 僕たち四人は、谷川の車に乗り込んだ。


「そうだね。なんか、修学旅行の予行練習みたい? っていうか。いいじゃんね、こういうの」

「お前ら、呑気だな……」


 さて、と谷川がハンドルを握った。


「行くぞ。覚悟はいいか?」


 後ろから、元気のいい「うんっ」と「はい」が聞こえた。


「暁月も、いいな?」


 即答したかったが、一瞬、呼吸が詰まったせいで、タイミングを逃した。それでも、僕の答えは変わらない。というか、今更臆病になっても仕方がない。


「ああ」決意を声に乗せて、言う。「くるみの母親に──会いに行こう」


   ◆◆◆


 谷川の話によると、これから車で六時間ほど北へ向かうとのことだ。


 くるみの母親がいる地──目的の場所。それを知っているのは谷川だけだ。だからこの旅は、谷川が運転する車に連れられるがまま、到着を待つしかないらしい。


 途中で休憩を挟むとして、到着は深夜もしくは早朝になるという。夜のドライブ、景色を楽しむには向かない旅路だ。走り出して三十分もしないうちに高速道路に乗り、窓の外は同じ光景の連続になった。後部座席に座る二人は、特に会話もなかった。僕と谷川も無言で、車内には沈黙がこだましていた。ルームミラーを覗き込むと、くるみと椎名はそれぞれ窓の外へ視線を向けていた。


 血の繋がらない親子と、偽りの教師と、仮初の女子高生を乗せて、車は高速道路の上を行く。カーナビの表示が、すでに50㎞も進んだことを知らせてくれた。それで僕は知る。


 まだ見えぬその場所は、確実に近づいている。


 僕たちの十二年間。その終着点が近づいていることを、知る。




 六月三日。午後十一時二十三分。


 いつのまにやら、後部座席の二人は眠りに落ちていた。くるみはさておき、ミアキスのくせして椎名もちゃんと寝るんだな、と思った。S2CUエスツーシーユー職員の車に乗っているってのに、無防備な寝顔を晒している。なんていうか、危機感がないというか。


「四六時中警戒していたら、疲れんだろ。椎名にも、心休まる時間があった方がいい」


 と言って、谷川はタバコをふかす。ここは、サービスエリアの喫煙所だった。とはいえ、個室になっているわけではなく、ほぼ野外に灰皿が設置されているだけの場所だ。


 くるみと椎名が眠ったことだし、先生にも一服の時間をくれ。とのことで、ちょうど通りかかったサービスエリアで休憩をとることになった。


「椎名留名るな……あいつ、横浜でずっと野良をやってたんだよな」

「ああ、そうだな。上手く隠れながらやってたんだろう。S2CUにもバレず、ひっそりと。なかなか才能があるよな。フツーは派手に事を起こして、すぐに捕まるもんだが」

「そういう事例は、過去にあるのか?」

「しょっちゅう聞くな。この時代でも、野良のミアキスに関する事件は多い」


 谷川がタバコを灰皿に押し付けて消火する。そのあとで、もう一本いいか、と人差し指を立てた。僕は肯く。


「あいつも、この件が無けりゃぁな」と谷川が煙を吐き出した。「ずっと恐れていたんだろう」

「恐れていた? S2CUに、か?」

「もちろんそれもだが。平穏が壊されること、そのものに、だよ。だから、先生たちが現れて、過度に警戒して、暴走しちまったんだろうなあ」


 ここからでも、駐車場に停まった谷川の車が見える。車内の様子も、小さくだが見える。まだ椎名は眠ったままだ。くるみと頭を合わせて、それがどこか仲の良い姉妹みたいに見えた。


「くるみの母親の件だが」


 谷川は煙草を口にくわえたまま、「ん」と相槌を打った。


「椎名の暴走を止めるためには、しょうがなかったんだろうか」

「少なくとも、先生にはこの策しかなかった。臥待の母親の真実を明かして、その証拠をつきつけるほかに納得させる術がなかった。そのための夜のドライブ。まぎれもない任務、だ」


 ふぅー、と谷川が煙を吐き出して、夜に溶け出していく。


「それと」そのあとで、谷川は僕に視線をくれた。「ちょうどいい、と思ったのもあるな」


 ちょうどいい? なにがだ。


「だはっ。そんな不安気な目をするな。妙な企みがあるわけじゃねーよ。ただ、先生はな」


 それから、谷川は言う。


「お前ら親子も、先へ進むべきなんじゃないか、って思っただけだ」




 六月四日。午前三時七分。ふとルームミラーを覗けば、くるみは目を覚ましていた。


 再度車を走らせてから、三時間半と少し。高速道路を降りて、しばらく田舎道を走ると、右手に海がチラリと映った。が、すぐに防波堤が視界を覆ってしまった。垣間見えた景色は、僕をなんだか懐かしい気分にさせた。自然のままに残された浜辺。人工的な匂いのしない海岸。


 そういえば僕はここに来たことがある気がする、となんとなく思った。その景色が、普遍的なノスタルジーを刺激するようなものだった、とかそういう意味でなく、実際に足を運んだことがあるのではないか、という実在の記憶がある、と感じずにはいられなかった。


 そうなのだろう。前方に見えてきた灯台に、見覚えがあった。僕も、


「アレ……そうだよね? パパ?」


 と言ったくるみも、だ。


「ご名答だ。あの灯台は、お前らの始まりの場所。そしてこの辺りは、臥待がかつて暮らしていた土地だ。三歳の頃だから、覚えていないと思っていたが」

「忘れるわけないよ。この辺りの道とか景色は覚えていないけど……でも、あの灯台は、パパと会った場所だもん。ハッキリ、覚えてる。……ってことは、お母さんはまだこの地に──」

「間もなく着くぜ」


 その、間もなく、は意味の通りだったらしく、一分と経たずに谷川は車を停車させた。そこは、田舎道の真ん中。進行方向の右側に防波堤があって、左側は藪で覆われている。右斜め前方に灯台が見えるが、大きさを考えるとまだ少し距離がある。背後には一直線に道路がどこまでも伸びていた。


「さあ、行こう」


 言って、谷川がシートベルトを外した。運転席から降る谷川を眺めながら僕は、困惑していた。くるみが椎名の肩を揺らす。椎名は目を覚まして、車窓から外を見て、首を傾げた。


 戸惑わずにはいられない。見渡す限り、ここには何もないのだ。


 民家は見える。五十メートルぐらい先、左手にポツンと一軒。あの家にくるみの母親がいる、ということなのだろうか? 他に、人の気配は無い。


 僕らは全員、車から降りた。


「……で、目的地は?」


 問うた。すると、谷川がゆっくり右手を挙げて、目的地の方角を人差し指で示した。


 その人差し指が向いた先には、民家など無かった。車の進行方向と逆、左後ろ斜め。あるのは、腰の高さぐらいまで生い茂る藪のみ。


「どういうことですか? 谷川恵空」

「まあ、行けばわかるさ」


 一歩、谷川が踏み出す。僕らは、頭に浮かんでいる幾つもの質問をこの場に放置して、彼女の後ろを着いていく。躊躇なく、谷川は茂みへと突き進んでいく。僕らもその中へと行く。ほどなくして、ほぼ舗装されていない石階段が現れた。谷川が上っていく。僕らも後に続く。


 十段ちょっとの石階段の頂上に谷川が到達すると、彼女は足を止めた。


「目的地、到着だ」

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