第7話「海について」

031 十二年前の任務、その延長戦だよ

      ◆暁月日々輝◆


 開港祭の花火大会に、くるみは現れなかった。約束の時間になっても連絡はなかった。電話をかけても繋がらなかった。スマホの充電が切れたんじゃないか、それで迷子になったんじゃないか。いろんな想像が頭をよぎって、その最後に──最悪の予感がよぎった。


 いてもたってもいられず、人混みをかきわけてくるみを探した。人間で大渋滞を起こしたみなとみらいの夜を駆けまわる。くるみ……くるみッ! どこ……どこだ…………どうか無事であってくれ……、その心からの祈りは、たぶん声として漏れていた気がする。


 奇異な視線を背に受けて、それでもお構いなしに僕は叫ぶ。彼女の名を、なんどもなんども。


 打ちあがる花火の爆音にかき消されないよう、必死で喉を震わせた。


 花火大会が終わっても、みなとみらいにくるみの姿はなかった。走って家に帰っても、くるみは帰宅していなかった。電話はまだ繋がらなかった。不安が膨張して、夜に押しつぶされそうになって、時間だけが流れて……それでも、くるみは帰ってこなかった。


 谷川たにかわから連絡があったのは、深夜一時を過ぎた頃だ。


『明日、任務がある。詳細が決まり次第、改めて連絡を入れる』


 ただそれだけ言い残して、谷川は通信を切ろうとした。しかし僕は、この異常事態にいてもたってもいられなくなり、谷川に協力を仰ぐのが正解だと思い、


「谷川ッ……待ってくれ。くるみが、くるみが帰ってこな──」


 しかし、


『案ずるな。暁月あかつき


 谷川がそう答えた。まるで状況を把握しているかのような落ち着き方だった。


「谷川…………お前、知っているのか。なにが起きているのか……」


 返答に迷うような沈黙がしばしあって、それから、


『言っておくが、十二年前に交わした約束は、現在も有効だぜ。すなわち、お前と私とで、臥待ふしまちくるみを護るという約束だ。いいか? お前が、じゃない。お前と私と、でだ』

「…………。任せろ、と言っているのか」

『そうだ。お前は、ただ、待て』

「そんなことッ……!」なりふり構わず、声を荒げた。「出来るかよ! くるみは、僕の娘だ! あいつのことを、誰よりも心配しているんだ! 僕は……」

『暁月』そんな僕を宥めるように、谷川は最後に、『人間を、信頼しろ』


 さらに時間は流れた。いつしか窓の外がほの明るくなっている。午前四時。


 午前六時になっても、部屋には僕ひとり。朝陽が目を焼くように眩しい。


 午前が午後に変わっても、谷川からの連絡はなく、くるみはここにいない。とにかく待つしかない。谷川を信じるしかない状況が、苦しくてしかたがなかった。耐えて、耐えて、耐え抜くしかできない自分が、悔しくてたまらなかった。それでも、僕は待った。


 そして、その時はやってくる。午後五時十七分のことだった。


 ダイニングテーブルの上、スマホが音を立てて震えた。僕は、足早にテーブルまで向かう。どうかどうか、と心の中で祈りながら呼吸をする。画面を見て、そこに表示された名前を確認して、僕は急いで電話に出た。


『……もしもし』


 スマホを耳にあてて、声が聞こえて、涙が出そうになる。


『パパ?』


 電話の相手が、確かに、そう言った。


「…………くるみ」


 相手の名を呼ぶ。くるみの名を呼ぶ。


『うん。そうだよ、私』


 声のトーンも、うんの柔らかさも、そうだよの語尾の上がり方も、くるみのそれに間違いなかった。くるみが電話の向こうにいる……腰の力が抜けた。フローリングの上にへたり込む。


「よかった……本当に……」


 だから、声になったのは、ただそれだけだった。

 対して、


『ねぇ、パパ』くるみが言う。『迎えに来て』


   ◆◆◆


 くるみが『迎えに来て』と指定したそこは、因縁の地だった。


 商店街の中、廃れた小劇場。いつか、任務で訪れた地だ。


 中に入ると、人影が三つ、僕を出迎えてくれた。


「パパ。迎えに来てくれてありがとうね」


 僕に微笑みかける、くるみ。そして、


「ようこそ。暁月日々輝ひびき椎名留名しいなるな

「やあやあ、暁月。お待たせしてすまないね」不敵に笑う、谷川。


 その異色かつ不穏な組み合わせに、動揺するほかなかった。


 僕はとにもかくにもくるみの元へ駆けつけて抱きしめた。たしかに、くるみの感触があって、肩幅の狭い華奢な身体があって、それが現実だと分かって、本当の意味で安心した。


「ちょッ……ぱッ……パパ! 急に、や、やめてよ。はずいって……」


 腕の中でくるみが言う。直後、谷川の笑い声が聞こえた。構うものか。


「いやいや。感動の再会だね。いい画だ。……しかし暁月、それどころじゃないんだ」


 顔を上げる。谷川と目が合う。彼女が言葉を続ける。


「我々と椎名たちとの問題に、決着をつけねばならない」

「そうだよ、パパ」言って、くるみは、僕の両腕を優しく身体から剥がした。「私はまだ、誘拐されたままなんだから」

「誘拐……?」


 物騒なフレーズだ、と思う。しかしくるみの表情は明るい。冗談だよ、という補足説明をその笑顔でしているつもりなのだろうか。


「いかにもです」椎名が口を開いた。「わたくしは、まだ、ああたがたの主張を百パーセント信用しておりませんので」


 娘との再会を喜ぶ隙も与えられないまま、彼女らは一方的にトンチンカンな話を進める。理解が追いつくハズもない。


「要するにね、パパ。私と一緒に──」


 くるみと向き合う形になる。視線がぶつかる。


 そこで、くるみの真剣な眼差しに気づく。なにがなんだか分からないが、ただひとつ確かなのは、冗談めかしていた先ほどまでの様子は、もはや眼前にないということ。


 くるみが、続きを言う。


「──お母さんに、会いに行こう」


   ◆◆◆


 それから谷川は説明を始めた。昨晩、開港祭の花火大会の裏で何があったのか。


 僕が知らない間に、椎名が何を企んでいて、何を想って谷川と相対したのか。その結末。


「つまるところだな。十二年間に渡る先生たちの秘めごとは、ついに暴かれちまったわけさ」


 くるみの隣に立ちながらも、谷川は堂々と言い放った。くるみは神妙な面持ちで肯く。その様子で、谷川が語ったことが全て真実だと知る。


「そして、今朝。行方知れずだった臥待から、先生のもとに連絡が来た。内容は驚くべきものだったねぇ。要約すると、こうだ。決着をつけたい」


 決着、とはなにか。尋ねずとも、答えはすでにくるみの口から発されていた。


「母親に会いたいから、協力してくれ。そういうお願いだったさ」


 その内容は、僕の心を揺さぶるに充分だった。


「母親に……」


 僕はそのフレーズをオウム返しした。僕と谷川二人で隠し続けてきた真実そのものであり、くるみに知れたことで心に傷を負わせたろう、凶器のようなフレーズを。


「……会いたい、だなんて」


 けれどくるみは、それを受け入れ、更には再会を望んだという。


「臥待くるみの母親と会う、という目的は、わたくしとしても好都合でした」


 次に口を開いたのは、椎名だった。僕の視線の向きが、椎名へと移る。


「谷川恵空えそらから口頭で受けた説明に、完全に納得していたわけじゃありませんでしたから。裏を取るべき、と思案しておりましたし、ならば、と協力することにしたのです」

「で、だ」と谷川が口を開く。「ここに異例の協力体制ができたってわけだ。S2CUエスツーシーユー職員、野良ミアキス、さらに──献餐孤児けんさんこじ・臥待くるみ。三人一組のチームとなって、かつての危険因子を訪ねることになったわけだ。十二年前の任務、その延長戦だよ」

「そしてああたにも協力いただきたく、お呼びした次第です。暁月日々輝」

「ちなみに、目的地は先生が把握している。こっから泥臭い調査活動なんてねーから安心しろ」

「どう、パパ? ドューユーアンダスタン?」

「………………」


 返答としてのイエスもノーも躊躇ってしまった。正直、僕はまだ混乱の最中にある。秘めごとが暴かれてしまったことに対する絶望と、再会に対する安堵とがごちゃまぜになって分別待ちかつ廃棄待ちの状態で、心がいっぱいだった。そこへ更なる情報を投げ込まれてしまえば、もうどうしたらいいか分からなかった。視線を外し、俯く。


 どうして、と言いかけて、一旦呑み込む。どうしてくるみは、母親に会いたがっているんだろう。会わなくてもいい──いや、会うべきじゃないのに。


「なんてことを……」声が漏れ出した。視線は地面へ落としたまま。「君たちは……どうして。くるみを母親に会わせるだなんて、そんなこと……するべきじゃない。そうだろ」

「パパなら、絶対、そう言うと思った」


 くるみの声が聞こえて、反射的に顔を上げた。


 両腕を後ろに組んで、目線はまっすぐ僕をとらえている。


「だから、パパに黙って動いてたんだよ。家に帰らなかったのも、帰りたくなかったからじゃなくて、このことをパパにバレたくなかったから。反対されるって分かってたから」

「……そうだ。僕は、反対だ」

「でも私は、お母さんに会いたい」

「なぜだ」


 と問うてすぐ、「……教えてくれ」と付け足した。するとくるみは鼻から息を吸い込んでから、自分のつま先を見下ろし、逡巡を始めた。


 しばらくして口元が動く。けれど、くるみが口にしたのは、僕が聞きたかった答えではなく、


「なんで、反対なの」


 という、質問返しだった。


「……言わなきゃ、分からないか」

「うん。全然分からない」


 くるみの目をまっすぐに見つめる。彼女も、僕の目をじっと見ている。互いが互いを牽制するように視線がぶつかり合う。もちろん僕に苛立ちの感情はない。ただ、くるみの頑なな意思によって、僕の意思が折れてしまわぬよう、目線を逸らさないことで耐えるしかなかったのだ。


 無言が長く続いた。


「……分かった」


 先に無言を解いたのは、くるみだった。


 それから彼女は、僕に背を向けた。そのまま、ゆっくりと奥へ歩いていく。彼女が向かう先には、椎名留名が立っていた。人形のような華奢で優美なシルエットの前で、くるみは足を止め、再度、こちらを振り向く。そして、右手を首の裏に回して、ゆっくりと襟足を持ち上げた。


「じゃあ──」


 くるみは、露わになったうなじを椎名留名に見せつけるようにして、


「──私、留名ちゃんの使い魔になる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る