029 私の■■■■■として献上します
◇◇◆
「そんなことだろうと思いましたよ。つまるところ、危険因子の排除を口実に、
やはり、か。まだ納得してくれやしねーな。
「そういう腹黒い思惑がないと、臥待を取り巻く状況に説明がつかない。と言いたいんだな?」
「ええ、そうです。そもそも
矛盾。それ自体は認めよう。
「なるほどな。ただなあ。残念だが、お前の推理には、決定的に抜け落ちているものがあるな」
椎名は、無言で首を傾げた。
分からんか。……分からんだろうな、お前には。
なにも、それはお前が悪いんじゃない。社会のせいさ。とかいうと、ウザってー老害みてぇだが、私にだってこの世を憂う心ぐらいあるんだ。だっておかしいだろ。おかしいと思うさ。人を殺さなきゃ生きていけない種族との共生。抑圧された日々を送らねばならぬミアキス。それらぜんぶ無視して、口裏を合わせて、平穏を装う世界。どこもかしこも、欠陥だらけだ。
それでも、私たちは生きねばならん。平穏を守らねばならん。秘めごとを貫くしかねーんだ。
スーツジャケットの内側に右手を入れた。それを見て、椎名が身構えた。おおよそ、ピストルでも取り出すんじゃねーか、と警戒されたんだろう。違うぜ。傷つけるつもりはないさ。
そして私は、答えを告げる。椎名の推理から抜け落ちたものの名を、口にする。
「それはな、慈愛だよ」
スーツジャケットの内側に忍ばせたそいつに触れる。そのまま、引き抜く。
「……なん、ですか。それは……?」
椎名が目を丸くして、そいつを見ていた。予想外の物が出てきた、って反応だな。
「こいつは、先生の切り札だ。お前に渡そう。そして、自分の目で真相を確かめな」
「……真相、ですって?」
「ああ。言い換えれば、先生と暁月がどうしても貫きたかった、秘めごとだよ」
それから私はそいつ──〈封筒〉を椎名の足元へ放り投げた。
左手のタバコの先から、灰が地面へと落ちる。タバコはフィルターのすぐ近くまで燃えてしまっている。それがなんだか、命の火が灯ったロウソクの話を思い出させた。たしか落語だったっけな。てけれっつのぱー、とでも唱えたら、足元の死神は消えてくれるんかね。
椎名による私への殺意は、消えてなくなってくれるんかね。ま、難しいだろうな。
だから必死で考えたけど、これしか思いつかねーんだわ。勝手にやらせてもらうぜ。
「そいつはな、臥待の母親から暁月へと渡されたもんだよ」
言いながら、脳裏に浮かんだのは、十二年前の暁月の顔だった。
真実をすべて隠して、臥待くるみを永遠に騙しきる。谷川も、協力してほしい。なんて、頭を下げていたっけか。今考えても、アホだ。出来るハズがない、と嘲笑してやりたかった。
でも、彼は今日まで、それをやり遂げている。私も、その過程を横で見守り続けた。
けどなあ、暁月とは根本が違うんだよ。いまの私になら、そう分別がつく。
それは種族の差異ではなく、守るべき範囲の差だ。
臥待くるみ、ただ一人を護りぬくと決意をして生きる暁月と、この世界全体の安寧を護りぬくため、ミアキスと人間の橋渡し役に徹する私、その役割の差だ。
そういうわけだ。すまないが、お前との約束を反故にさせてもらうぜ。
椎名の右手が、足元の封筒へと伸びる。
「今から、十二年間の真実を明かそう。この戦争に終止符を打つために、な」
そして、封筒は椎名の手に渡る。あの夜に何があったか。どうして今の彼らを──仮初の親子を作り上げたのか、ということを。真実を。
◇◇◇
息を潜めて、私と夕辺先輩は屋上へ続く扉の前にいた。
私は選択したのだ。すべてを知る、という決断を。だから、先輩とともに、ここにいる。
正直言えば怖かった。未だに、感情の整理がついていなかった。でも、それ以上に知りたかった。だってやっぱり、信じたかったのだ。パパのことを。
そうして、私は耳にした。
あの夜に何があったか。どうして今の私たちを──仮初の親子を作り上げたのか、ということを。真実を。
◇◇◆
十二年前の夜。灯台の麓。危険因子である臥待くるみの母は、そこを訪れるはずだった。だから、暁月はそこで標的を待ち伏せた。
しかしやってきたのは、幼き少女だった。
「こ……これ……お母さんから……」
少女が怯えながら、暁月に手に持った一通の〈封筒〉を差し出した。
暁月はおそるおそる、それを開封した。
封入されていたものはふたつ。
フシマチ、と読めるアルファベットが刻まれた指輪と、手紙。
暁月は、その場で手紙を読んだ。そこに書かれていた内容に、彼は動揺したという。
予想だにしなかったのだろう。当然だ。ミアキスでも、人間社会が倫理や道徳を基盤として均衡を保っていることぐらいは知っているし、ともすればその手紙の内容が、ひどく人間的倫理から逸脱していることを一瞬で理解できるものだったからだ。
例えば、それが「娘の保護を依頼するもの」だったならば、どれほどよかっただろう。
しかし、違った。その対極に位置するような、残酷極まりない文章だった。
『ミアキスやS2CUに殺されるつもりはありません。〈
それから、
『その少女を食糧に、私の死の代替物として献上します』
◇◇◇
一瞬にして世界がひっくり返った。そんな錯覚に襲われた。
もしかしたら、聞き間違いかもしれない。勘違いかもしれない。そうじゃないと、納得がいかない。まさか、そんなわけがない。
おかあさんが──わたしを────そんな。
うそだ。うそでしょ。
しばらくして、壁の向こうで、
「臥待の母親は、自分が危険因子に選定されたことを知っていたんだ。その夜に灯台の麓へ、自分を殺すためにミアキスが訪れることも知っていた。だから、先手を打ったんだ」
けれど、先生が続けた内容は、信じたくない真実を補強するもので、だから、もう私の勘違いとか、聞き間違いとか、夢とか幻とか、都合のいい解釈で誤魔化すには無理があった。
無理があると知って、胃の中身を全部、吐き出しそうになる。慌てて、口元を塞ぐ。
「どうやら臥待の母親は、我々のことを熟知していたらしい。ミアキスが人間を食糧にしていること。任務完了の証明物として、生前身に着けていたモノが必要であり、それを〈脱殻〉と呼ぶこと。……ゆえに、彼女は暁月に提供しようとしたんだ。〈脱殻〉としての指輪と──食糧としての、臥待くるみ。その二つを、ね」
谷川先生の声が、一言一句、漏れることなく、私の耳へと届く。届いてしまう。
「そうして、自らは生きながらえようとしたわけさ」
呼吸が、難しい。
「ミアキスに捕食された人間が消滅することも知っていたんだろう。〈脱殻〉と食糧さえ提供してしまえば、このまま身を眩ませてしまえる。そういう算段だったんだ。……だが、暁月はその提案を吞まなかった。あいつはその夜、臥待を生かしたまま、任務を放りだして、自宅へ連れ帰った。先生が事の次第を聞いたのはその時さ。そして翌日、暁月はバカげたことを言ったんだ。『僕が彼女を護る。彼女を永遠に騙しきってみせる』……とね」
床と足が完全に接着してしまったみたい、そんな感覚に襲われる。聞くに堪えない真実に、心が木っ端微塵に粉砕されて、頭の中で轟音が鳴り響いて、いまにも倒れこんでしまいそうな気持ちなのに、身体が微動だにしない。
「これが、椎名の知りたがっていた真実、お前が野望と呼んだものの正体だよ。そして、先生と暁月だけの秘密として墓までもっていくつもりだった──臥待に隠し通してきた過去だ」
その言葉が鼓膜に飛び込んできて、それがスイッチになったみたいに、右足が床から離れた。やっとの思いで身体が動いて、ならば、我慢ならず、そのまま足を前に出した。
瞬間、また、私の身体が止まった。すぐに、その原因が左腕にあることに気づく。目をやる。私の左腕を、思いっきり掴んで離さない、
「まさか……信じないよね……? こんなこと。ねぇ、臥待さん……?」
「………………」
「はは……まずいな。こんな、こんなつもりは、なかったんだよ。こんな……」
先輩は私の顔を見ようとせず、ずっと、下を向いたままだった。
「あたしは、臥待さんが……臥待さんを助けるつもりで……。いやあ、最悪だ」
最悪だ。その言葉は、私の心と素直に共鳴した。
「ごめん。ごめんよ……臥待さ──」
だから、余計に、ここにいたくなかった。
私は、彼女の手を振り払って、駆けだした。
◇◇◆
扉の向こうで、足音が鳴った。ふしまちさん、という女生徒の声も聴こえた。
なるほどな。ついに、平穏がブチ壊れちまったな。
それでも私は後悔してないさ。いいや、後悔しないように突き進むのみだ。
「以上だ。てなわけで、椎名
椎名の表情が歪んだ。なぜそれを……? とでも問いたげだな。
逆に訊きたくなるぜ。なぜその程度のことを予想できないと思ったんだ。臥待までマークしてんだって明かしたのはお前だ。暁月の元へも使い魔を向かわせたと考えるのが普通だろ。
「……わたくしは、まだ完全には信用────」
「んなこたあ、もう関係ねえよ。はやくしな。暁月に指一本触れてみろ。お前らは即座に駆除対象になる。そうさせたくねーんだ。お前に、臥待の真相を明かした意味が、まだ分かんねーって言うんかよ?」
ちょうどその時、空が明るく光り輝いた。それから一拍おいて、破裂音が鳴り響く。
どうやら、はじまったみてーだな、花火大会。みなとみらいは、さぞ盛り上がっていることだろうな。誰も彼も、アホみたいに幸せそうな顔して、悪人の命やミアキスの自由が犠牲になっていることを知らずに、楽しんでいるこったろう。
そして私は、そういうバカバカしい世界を、守り続けたいんだ。
だから、そのためにも、
「お前ら全員、まとめて救ってやるっつってんだよ」
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