028 ここらで花火の音でも鳴ってくれ
◇谷川恵空◆
高校の屋上から眺める景色ってのは、ノスタルジックでいいもんだね。まともな学生生活を送った記憶なんてサラサラないが、それでもこうして感傷的な気分になれるんだから、高校って場所はなにかしらの魔力を秘めているのかもしれんな。
タバコに火をつけて、吸い込む。夜は更けて、街の灯りが景色を彩る。みなとみらいの街並みも遠くに見える。もう間もなく打ちあがる花火を鑑賞するには、絶好のスポットかもしれん。
「本当に残念だよ。せっかくのシチュエーションだってのに、同席してんのがお前だなんてな」
パラペットの向こうにある夜景に背を向けて、そいつと目を合わす。まったく、ここまでまっすぐな憎悪をもらったことなんてないから、新鮮でいいぜ。
「なあ、どうだい。いったん、ふたりで花火を楽しんでみるってのは。細かいことなんてどーでもよくなるかもしれないぜ?」そして、そいつの名を呼ぶ。「
「お断りします。わたくしは早急に片を付けたいのです」彼女が、私の名を呼ぶ。「
「だはっ。まー、そうだな。泥仕合は勘弁だ、手短にいこーぜ」
椎名との距離は、およそ十メートル。一瞬で、命を刈り取られる距離だった。けれど、今のところ戦闘の意思はないらしいな。そもそも殺すつもりなら、高校の屋上まで呼び出さなくても、夜道を歩いている時にでも背後から襲えばいい話だ。それぐらい造作もないだろう。
そうしなかったということは、椎名の目的は、私から情報を引き出すこと、ってわけだ。
「で、お前は何が知りたい? 期末テストの出題内容以外なら、答えてやらんことも無い」
「そうですか。でしたら、単刀直入に尋ねることにします。谷川恵空、
思いのほか、直球で来やがったな。私はタバコを、深く吸い込んだ。吐き出す。
「椎名は、やけにそいつが気になるんだなあ。逆に訊くが、どこに疑問があるんだい?」
椎名は、しばし沈黙した。言葉や考えを整理しているのか、ともかく意味ありげな間を空けたあとで、私のタバコの先から灰が落ちるのとほぼ同時に、
「
ああ、と肯きひとつを相槌代わりにする。
「ともすれば、ミアキスを認知している人間は、それこそが危険因子のはず。ミアキスの存在が世間に知れ渡る危険性を孕んでいるわけですから。だのに、
「だなあ」
「わたくしは考えました。最初は、それもS2CUという組織の陰謀かと疑いましたが、どうも辻褄が合わないのです。ですから、わたくしは大胆な仮説を立てることとしました」
「仮説? おもしろい。聞こうじゃないか」
「それは、谷川恵空……ああたが、S2CUの反抗分子である、というものです」
夜の静寂が、あたりを包んでいる。どうやら、戦況が変わってきたみたいだ。静かだと困るな。ここらで花火の音でも鳴ってくれないと、
「椎名。お前、けっこう賢いんだな」
世界中に、私の秘めごとが聞かれちまうかもしれん。
「ご名答だ。先生はな────S2CUを欺いてんだよ」
もう戻れないところまで、辿り着いちまったみたいだ。
間違いなく、現在の私は追い詰められている。物理的にも、状況的にも。ここは屋上、背後には十五メートル超の奈落、目の前にはミアキス。誰も助けにきてくれやしないし、そんなことより開港祭を満喫していてほしいしな。誰もかれもが、平穏な一日の只中であれと願うよ。
暁月日々輝は、もちろん。
「椎名留名、お前も。お前の使い魔たちも。臥待くるみも、な」疑心暗鬼の擬人化みてーな少女に、この言葉は届くだろうか。いや関係あるまい、ひとりごとだ。「不幸にしたかねーんだ」
「この期に及んで、同情に訴えかけるおつもりで? 命乞いにしては、陳腐なセリフです」
ほらな。やはり、曲解されちまう。思わず、笑いが零れるよ。
二本目のタバコに火をつける。人生最期の一服かもしれないしな、そいつを深く吸い込んだ。そして、煙を吐き出す。その動作の間、椎名が動き出すことはなかった。
なんだよ、躊躇ってんのか。だったら、と思う。まだこちらに勝機はある、か。
「椎名、一つ訊かせてくれ。お前が望んでいるのは、安寧。それで合ってるか?」
首を縦にも横にも振らない。ならば、沈黙はイエスと捉えるぜ。
「じゃあよ。仮に、先生と暁月の望みも同じだとしたら、お前はどうするよ?」
「ばかおっしゃい。ああたの望みは……世界の均衡を壊すことでしょう?」
なるほどなあ、と心の中で相槌を打つ。ようやく、敵対視される理由が分かった気がしたよ。
ずっと、こいつが何を恐れているのか分からなかった。野良としての自由が侵害されること、S2CUに平穏がブチ壊されること、そいつを恐れているとばかり思っていた。
けどこいつは、私がS2CUの意志に背いていることを言い当てた。その上で敵対する姿勢を変えなかった。……おかしい、辻褄が合わねえ、と困惑した。でもそういうことだったんだ。
椎名は、私と暁月を──世界を破滅に導く巨悪、だと誤解しているらしい。
まあ、ある意味では正解かもしれん。実際に、私たちは禁忌を犯しているわけだしな。
臥待くるみ。彼女を、私たちのエゴに巻き込んでいるのだから。
「なあ、椎名。先生が死なずに済むには、あと何をしたらいいよ」
「もはや、ああたの死は回避できないかもしれません。ですから、悔いが残らぬよう、洗いざらい情報を吐いてもらいたい。わたくしは、そう願います」
「ハナから殺す気なら、語ることは無いね。それに、お前の中で答えが出てんなら、余計に対話は必要ねぇんじゃねーの? さっさと殺れや」
「沈黙を守って、秘密と共に死ぬつもりですか。そうはいきませんよ」
言って、椎名はスマホを取り出した。画面を見せつけて続ける。
「観念なさい。どうか……臥待くるみが、わたくしの使い魔となる前に」
画像には、捕縛された浴衣の少女が映っていた。どうやら臥待らしい。なるほどねえ、そう来たか。以前と似た手口だが……本気度のケタが違う様子だ。
「使い魔、ね。そうか、交渉決裂の果てにあるのは、臥待の命を奪うことじゃなく、」
「ええ。臥待くるみをああたから奪取し、野望を打ち砕くことです」
思わず笑いが漏れた。言うまでもない、苦笑いだ。
「……交渉が上手くなったな。最適解、ってやつじゃないか?」
「わたくし、高校生活は初めてですが……先生に褒められても嬉しくないものですね」
さて、と椎名が一歩踏み出した。後ずさりするも、背後のパラペットにぶつかるのみだ。
私の選択は間違っていない。そう信じることこそが正義だと思っていた。が、しかし。
「すまんな……暁月」こうも芳しくない状況に追い込まれると、決心が鈍るもんだな。「私は、約束を守れないかもしれない」
タバコの煙と、夜の空気を同時に吸い込んで、
「ったく……お前は先生たちを買いかぶりすぎだよ。我々を魔王軍かなんかだと思ってんのか? ちげぇ、ちげぇ。全部的外れだ。先生たちの野望はもっと小規模で、ささやかなもんだ」
そして私は、秘めごとを口にする。
「
椎名は眉一つ動かさなかった。なんだよ、予想通りってか。
「献餐孤児。その言葉を、お前は知っているな?」
「ええ。危険因子の駆除によって天涯孤独となった子供、の呼称ですね」
ああ、そうだ。私は、肯き返した。
それは、S2CUが持つ秘めごとのひとつだ。
対象は、世界。
内容は、献餐孤児という存在について、だ。
我々S2CUの任務は、世に蔓延る危険因子を選定し、排除すること。
そしてそいつらをミアキスに、食糧として献上することだ。
誤解を恐れず言えば、我々は人を殺すための組織だ。しかし我々だって、どんな極悪人相手だとしても、無関係な家族にまで手は出さんよ。あくまで排除は本人のみ。
危険因子の家族の命は奪わない。ましてや子供の命など。むしろ身寄りがなくなった子供は、S2CUが保護することになっている。未来の職員として育成するため、という建前つきでな。
そして、こう呼称される──献餐孤児、と。
「臥待くるみの母親は、危険因子。彼女は献餐孤児だ。本人は知らない真実、さ」
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