第6話「〈親子〉の結末」

026 誘拐された女子高生、って感じ

      ◇臥待くるみ◇


 六月二日。金曜日。


 私は卸したての浴衣を着て、夜を待っていた。その日は、みなとみらいで大きな花火大会が開催される予定だった。開港祭、という横浜市の伝統的な市民祭で、毎年必ず六月二日に開催されているらしい。江戸時代に横浜港が開港されたことを記念するイベントで、市内の市立校は全校お休みになるほどの大々的な行事だという。


 今日、私とパパはふたりで開港祭に行き、花火を見る。

 そういうことに、なっている。


「もう着替えたのか」浴衣姿でリビングに顔を出すと、パパにそう言われた。「気が早いなあ」


 時計を見れば、まだ午後五時をまわったところ。花火大会が始まるのは七時すぎ。


「なにそれ。まずはさ『可愛い』とか『似合ってるね』とか、そういう褒め言葉があってもいいと思うんだけどな」


 パパは、まだ部屋着のままだった。学校も休みだからって、気を抜いた服装をしている。家事も一段落して、ソファに座ったまま、ぼんやりとテレビを見ていたみたいだ。


「はいはい。似合ってる」

「うわっ、褒め言葉の前につかない相槌ランキング一位、『はいはい』が出たっ!」


 ややオーバーなリアクションでツッコミをお見舞いしてから、私は、


「じゃあ私、さき行くね」


 と言った。するとパパは、「えっ?」と声を出した。まあ、当然の反応だ。二人で行く約束をしていたのだ。出かけるタイミングも一緒、そのつもりだったんだろう。


「あ、言ってなかったっけ」なので私は、首を傾げながら、「ちょっと寄りたいところがあるんだよね。だから、現地集合にしよ? 遅れそうだったら電話するからさ」

 と、即興の嘘をつく。


   ◇◇◇


 普段使っているスマホをポケットにしまってから、もう一方のスマホを取り出した。透明なゴム製カバーを着けただけの、シンプルな装飾。それで、地図アプリを起動。


 目的地には、バスで行った方がよさそうだ、と確認する。


 私は、少し離れたバス停まで歩いていき、バスの到着を待った。看板に記載された停車場を、上から下まで視線でなぞる。そのどこにも、「みなとみらい」の文字はない。むしろ、私が乗り込もうとしているバスの終着点は、まるで逆方向だ。


 私には、花火大会に向かう気などなかった。パパとの約束を守るつもりはなかった。


 今夜、私が守ろうとしているのは、夕辺ゆうなべ先輩との約束だった。


『あたしは、しばらく姿をくらまそうと思う』


 あの日。ラブホテルの一室で、夕辺先輩が私にそう言った。


『予定の時間は過ぎてるのに、椎名留名しいなるなから連絡がない。たぶん失敗したんだ。ってことは、わりと危ない状況だからさ。ああ、大丈夫。あたしは不登校で幽霊部員、なんの問題もないよ』


 なんの問題もない、わけがない。


 女子高生が逃亡生活を余儀なくされる現実は、どう考えたっておかしい。それを簡単に選択できちゃう先輩も、受け入れちゃう私も、ぜんぶが問題だらけだ。だから、引き留めたくなって、私は先輩のジャージの裾を掴んだ。すると、先輩は笑う。


『なに、心配してくれるの? はは。君、やっぱり他人想いなんだ。けど、ごめん。今はこーするしかなさそーだし、あたしは行くよ。気持ちだけもらっとく。……ね、もし少しでも臥待ふしまちさんに協力の意思があるんだったらさ、』


 そう言って、先輩はスマホを差し出した。


『準備ができたら、このスマホに連絡する。だから持っといてほしい。そして、助けにきて』


 そのスマホはいま、私の手に握られていて、行き先を示してくれている。


 助けにきて。その言葉に応えるため、私はバスに乗り込んだ。パパとの約束を、みなとみらいを背にして、バスは進む。私は戻れない。


   ◇◇◇


 夕辺先輩が指定した場所は、横浜市の郊外にある寂れた商店街だった。


 ほとんどのお店がシャッターを下ろしていて、お世辞にも活気があるとは言えない。人通りも少ない。それに当然だけど、私みたいに浴衣を着ている通行人はいなかった。


 アーチがかかった入口から歩いて、七、八軒目あたり。右手に小劇場があった。どうやらここも営業はしていないみたい。入口に『閉館のお知らせ』の紙が貼られていて、その日付は十年近く前のものだった。地図アプリを見る。小劇場の部分にピンが立てられている。


 ここ……こんなところに、夕辺先輩はいる。私は、意を決して、一歩踏み込んだ。


 入口から入ってすぐ、正面にもう一枚、扉があった。その扉を開ける。


「来てくれて、ありがとう。って、なに? その恰好は」


 手前に客席、奥にステージ。夕辺先輩はステージ上に座って、私を出迎えてくれた。


「ずいぶん気合い入ってるじゃん。ま、でもそっちのが、リアリティがあっていいか」


 それから、事前に打ち合わせた内容の確認作業みたいに、


「まさに、突如として誘拐された女子高生、って感じがするよ」

 

   ◇◇◇


 先輩から預かったスマホに連絡がきたのは、いまから三日前のことだ。


『次の作戦内容が決まったよ。けど、それには臥待さんの協力が不可欠なんだ。気持ちが変わっていないんだったら、どうか手伝ってほしい』


 私はただ一言、『内容を教えてください』と返事した。するとすぐに、次の連絡が入った。


『六月二日。横浜開港祭の当日が決行日。そこで、君に頼みたいことは三つ。まず、暁月日々輝を開港祭の花火大会に誘ってほしい。次に、彼に断りを入れず、その約束を反故にしてほしい。そして最後に、君はその足で、あたしが指示した場所に来てほしい』


 それに、どんな意図があるんですか? 私は尋ねた。


『目的一、暁月日々輝あかつきひびきをみなとみらいの人混みの中に誘い出し、身動きを取れにくくする。目的二、椎名留名とS2CUエスツーシーユー職員がサシで接触可能な状況を作り出す。目的三、君を「人質」というテイで拘束し、S2CU職員との交渉材料に使う。……どう、協力できそう?』


 どこまで信じていいか分からない。どこまで肩を持つべきかも分からない。それでも、


「……分かりました」私は人質役を望んで受け入れた。「先輩を助けに行きます、から」


 そして今、私はパイプ椅子に座らされて、全身を縄で縛られて、顔に布袋を被せられている。見事なまでに人質の様相だった。


 シャッター音が一回、二回……だいたい四回くらい、鳴った。布袋で顔を覆われているせいで、視界は真っ暗だから正確には分からないけど、たぶん夕辺先輩が、私を誘拐した、という証拠写真を撮影した音だろう。


「終わったよ」


 先輩の声が聴こえてすぐ、視界に光が広がった。布袋が顔から外されたのだ。とはいえ、小劇場内は灯りのない空間。その光は、先輩の手元のスマホが発しているものだった。


 人差し指でスマホの画面をタップした後で、先輩は私と目を合わせた。


「椎名留名に送信した。これで役目は完了だ。君の人質役もオールアップだよ。お疲れ様」


 先輩は私の背中に回って、手首を縛り付けている縄に触れた。しばらくして縄は緩んで、私の両手は自由になった。本当に、私を「人質役」以上に扱うつもりはないみたいだ。本音を言えば、乱暴ぐらいされてもおかしくない、って思っていた。でも、夕辺先輩はそうしなかった。


 だからこそ、私はもどかしい。


 正直、人質役を終えた今も、私は迷っていた。誰を信じるべきか、どっち側につくべきか。そもそも、留名ちゃんたちとパパたちの争いは、どうして起きてしまったのだろう、とさえ考えている。たらればにすがっている。それぐらい、心の焦点が定まらない。


「…………。この争いに、幸せな結末なんてあるんでしょうか」


 廃墟となった、静まり返った小劇場に、私の問いがこだました。


「少なくともあたしは、そいつを目指している。だからまずは、君の秘密を暴かなきゃ」


 後ろを振り返る。椅子に座る私を見下ろす位置に、先輩の顔があった。


「こんなことして、なにになるんでしょう。ただ逃げ出すことだってできたはず、です」

「? あれ、助けにきてくれたんだとばかり思ってたのに、まさか、否定しにきたの?」


 弱弱しく首を振る。


「だよね、そうだよね。……ありがと。あたし、君がいるから戦えるよ」


 と微笑んだ後で、先輩は言う。


「暁月日々輝と、谷川恵空たにかわえそら」と自然に谷川先生の名前が出てくるあたり、留名ちゃんたちが持つ情報の正確さがうかがい知れた。「あいつらの企みを、打ち砕こうと思えるよ」

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