025 密談場に帳が下りて、ヒトは

   ◆◆◆


谷川恵空たにかわえそら──ああた、なぜここへ」

「なに、って。夜回りってところだよ。いやはや、生徒が非行に走らぬよう、気にかけて回っているわけだ。そういう日々の努力を疎かにしてはならない。いい先生であるためにはな」

「嘘おっしゃい。S2CUエスツーシーユーの任務……そうでしょう?」

「大人の考えをすぐに見透かすのは、可愛げがないぞ。高校生なら、もっと鈍感であれ」


 谷川が息を吸い込んだ。そののち、椎名しいなをじっと睨みつけて、銃口を揺らした。


「とにかく、そいつを解放してくれるかい? じゃないと、撃っちゃうぜ?」


 緊迫感が、我が家を包み込む。谷川が椎名を牽制している。椎名は、睨み返している。


「なあ、早くしてくれよ。解放してくれたら撃たないし、それに先生だって、いい大人なんだから。可能な範囲で答えてやったっていいぜ? せっかくだし、ひとつ解答をくれてやろうか」


 谷川はそう言って、顎を突き出す。


「さっきお前は、なぜ先生がここに、と訊いたね? その答えは単純さ……ずっとマークさせてもらってたよ。危険因子、椎名留名るな

「ずっと……どういう」

「およそ一か月前から、かな。ほら、あの事件の。S2CUとしてはアレで解決、って話だったけどさ。まー普通に違和感は残るわな。あいつらお役所仕事で、まいっちまうね」


 痛みに耐えながら、僕は言う。


「そんなこと、一言も……」

「そうだな。暁月あかつきにも言ってなかったな。つまり、先生が独りで名探偵していた、ってわけだ。どうだ? ご理解いただけた?」

「わたくしの正体を知りながら……泳がせていた? そういう……ことですか」


 その質問に、谷川は鼻で嗤った。


「泳がせていた、なんて性悪な思惑はないさ。ただ、そちらが動き出すまでは静観しよーって考えていただけでね。ただ、動いちまったなあ、椎名。こうなると、ちょーっとマズいんだわ」

「…………」

「S2CUとしては、社会の安全を優先せにゃならん。それがどういうことか、分かるね?」


 危険因子に出くわしたときの対処法は、唯一。排除、のみだ。


 ということを、僕は理解している。そして……椎名も同様だろう。身の危険を感じたのか、刀を握りしめていた両手を離し、身体の方向を変え、谷川に襲い掛かろうとしていた。


 まずい。谷川がやられる……そう思い、叫び声をあげそうになった。


 が、谷川はいたって冷静だった。銃口の向きを変える。椎名から、僕へ。


 その意図を、僕は瞬時に理解した。


 僕は、右手の小指を立てた。刹那、谷川は、ピストルの引き金を引いた。銃弾は椎名の長い髪をすり抜け──僕の小指をぶち抜いた。


 小指の先端が、宙を舞う。身体の一部が、分断された。それは、ミアキスである僕にとって、この状況を打開するための唯一の手段だった。


 意識を小指へと移動する。身体を棄てる。そして、磔になった胴体はサラサラと崩れていき……僕の身体は、小指をコアとして、復元された。


 自由になった身体を動かし、床に転がる刀を拾い上げる。


 そして、そいつを思いっきり──椎名の背後に突き立てた。


   ◇◇◇


 これは明らかな危機だ、と思っていた。

ミアキスを知る人間に、密室に閉じ込められた。パパの正体を看破された。そして、きっと私は捕虜か何かにされて、パパの身に危険が及ぶことになるのかもしれない……そんな想像をしていた。しかし、もしかしたら、少し話が違うのかもしれない。と、考え始めたのは、


「椎名留名はね、君たちを信用していたみたいだよ」


 と、先輩が語り出したあたりだった。


「使い魔の伝手を使って常磐西ときわにし高校に紛れ込んで、この春から人間みてーな生活を送るんだって、そうやって社会に溶け込むんだって。いっちょ前に、青春ごっこをする気だったらしいさ。で、君と知り合いになって、カラオケにも誘われてさ。なんかね、あの日のことは、良い思い出だったって話していたよ」

「そう……なんですか……?」


 だんだん混乱が加速していく。夕辺ゆうなべ先輩と留名ちゃんはどっち側……? なんて疑問が浮かんだ。どっち側、なんて考えるのは、おかしい。明確に、パパと敵対しているのに。だって、パパの腕を斬り落としたじゃないか。襲撃してきたじゃないか。だのに、


「でも、駅の階段から転げ落ちた暁月日々輝ひびきを目撃して、椎名留名は疑念を抱くことになる」

「やっぱり……それが、」

「すべての発端といえば、そうだね。あの出来事があって、あたしたちは動き出したわけで」


 そして、じゃあもういちど訊くよ、と夕辺先輩は口ずさんで、


臥待ふしまちくるみさん。君は、何者?」


 私は答えられなかった。なぜならば──私にも分からないからだ。しいて言うならば、人間で女子高生で、常磐西高校の生徒で……暁月日々輝の娘。それ以外に肩書はない。S2CU職員でもなければ、使い魔でもない。けど、いやだからこそ…………、


「私がミアキスを知っている。それ自体がおかしい、って疑っている……?」

「ざっつらーいと。そうだよね、論理的に考えれば、その答えに行きつくよね。君も」


 夕辺先輩はベッドの上で膝立ちになり、じりじりと私との距離を詰めた。


「野良ではない暁月日々輝が、S2CUでない人間に素性を明かしている。ここには何か大きな秘密があるって疑うのが普通。あたしが真相究明って言ったのは、まさしくそのことだよ」


 先輩の顔が、眼前まで近づいた。


「君と暁月日々輝の関係性が、人間社会において異質。それは言うまでもないよね。けど、もう一方の社会……ミアキスにとっても、君たちは異質なんだよ。……だからね、臥待さん」


 先輩の表情は、どこか恍惚としていた。相変わらず、魂胆も感情も読み切れない。だけど、なぜだかその表情は、声色は、私の胸に迫るものがあった。懇願にも似た、あるいは愛情表現にも似た……ここ、ラブホテルの一室においては、それこそがあるべき感情の形に、


「あたしが、その謎を解いてあげたいの」


 私には、見えてしまっている。


   ◆◆◆


 涙と唾液でぐしゃぐしゃになった顔を床に密着させて、椎名留名は嗚咽を漏らしている。死にはしない。こいつも僕と同じく、ミアキス。命を生と死の狭間に固定された存在だ。ただし痛覚は存在する。痛いだろう、苦しいだろう。それでも、この状況では解放などできない。


 谷川と視線を合わす。そして、


「谷川。どうするよ、これ」

「だはっ。そうだな。改めて、取引でもしとこうかね」


   ◇◇◇


 先輩の両手が、私の肩に触れた。そして私の胸に、今日いちばんの困惑が芽生えた。


 その手が、震えていた。顔を伏せている。

「臥待さん」それに、声も。「あたしが使い魔になったのは、中学二年生の冬だった」


 唐突な語りに、動揺した。そして動揺は加速する。中学二年生の冬……その時期が、前にヨーコから聞いた話と、夕辺先輩が学校に来なくなった時期と合致していたから、だ。


「あたしね、椎名留名が人を食うところを見ちゃったんだ」

「……え、人を……食うって、」

「だから、こうなるしかなかった。殺されるか、使い魔として尽くすか。その二択を迫られたんだよ。でも……生きたいじゃん。どうしたって、死にたくないじゃん。……だから」


 先輩が顔を上げた。目からは、一筋の涙がこぼれていた。


「あたしの覚悟、伝わってくれる?」

「覚悟……って、なんです……?」

「日本刀の男の仕事は、暁月日々輝がミアキスであるかどうかを確認すること。それだけだったんだ」その涙は、私の心を揺さぶる。「だのに、それだけだったのに……ミアキスに殺された」


 先輩が、私の肩を掴む力が強めた。無意識かもしれない。震えは止まっていない。


「あたしだって、そうなるかもしれない。命令とはいえ、この接触が向こうにバレたら、危険因子として駆除されることになる……きっとそうだ。でも、あたしは君と話したかった。だって、あたしは人間だ。君も人間。同じ、ミアキスを知る側の、けれど確かに人なんだよ」


 めちゃくちゃだ。パパが人を殺すなんて、夕辺先輩を殺すかもなんて、あるはずがない。そう、信じたい。信じたかった。


「臥待くるみさん。……あたしと君で、協力しようよ。そうすれば、なんとかなるかもしれない。このバカバカしい命懸けの生活から、抜け出せるかもしれない」


 信じたいけど……心のどこかに疑心暗鬼が花開く、そんな気配がした。


「もう一度言うよ。どうか、お願い」


   ◆◆◆


「椎名。このままだと、お前も、使い魔たちもまとめて危険因子だ。共謀関係にある人間はみな駆除され、お前は捕虜にされるこったろう。でも、それだと先生も心が痛む。だからさ、こうしないか? お前の存在を秘匿してやるよ。S2CUに情報は流さない」


 その代わり、と谷川は言う。


「お前も、今日の出来事を、胸に秘めておきなさい。先生との約束だ、いいね?」


 僕には秘めごとがある。それは、椎名が突き付けた矛盾点と、密接な関係にある。どうして、臥待くるみと生活を共にしているのか。どうしてS2CUでも使い魔でもない人間に、僕の正体を明かしているのか。


 すべて、谷川と共に貫き続けてきた、十二年間の秘めごとだ。




 対象は、臥待くるみ。

 その内容は──────




「つまり今から椎名は──先生たちと共犯関係にある、ってこったよ」

 

   ◇◇◇


 パパから連絡があったのは、午後十時をまわった頃だった。


 先輩から解放され、ひとり、帰路についていた時。電話が鳴った。




『ああ、くるみ? すまない。急に仕事が入ったんだ。だからさ、今晩は谷川のところでお世話になってくれないか? ああ。駅まで迎えに行かすよ。……大丈夫。安心してくれ。


 心配することは、なにもない』




   <第6話に続く>

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