024 未明、傷口に秘する犬は吠える
◆◆◆
「では、本題ふたつめです。ああたがたは何者なんですか?」
刀を僕の頬に当てたまま、
いったい、こいつは何を考えているんだ。何を疑っているんだ。腹の内が読めない。どういう理由を携えて、この家を訪れたのか。そして僕の推測通りなら……どうして、あの刀の男、危険因子を送り込んだ? 一切分からなかった。少なくとも、敵対視されていることは確かだ。
僕が答えずにいると、椎名は溜息をついてから、口を開いた。
「ああたは、わたくしたちの種族名──ミアキス。その由来をご存じです?」
「……何の話だ」
「遥か昔に実在し、絶滅した動物の名前です。ダーウィンの進化論的には、犬や猫の起源として有名です。おもしろいですよね」
「知ったことか。いったい、お前は何を……」
僕の言葉を遮って、椎名が発言をする。
「いまや犬や猫は、人間の伴侶動物の代表格です。が、その歴史は古く、三万年前にはすでに、狩猟用のオオカミの家畜化がなされていたらしいですよ。猫も同様です。害獣であるネズミを駆除するために、昔から人間に飼われていたらしいです」
で、ですよ。と椎名は、刃を、僕の頬に強く押し付けた。痛覚が刺激される。
「自分たちの都合に併せて飼いならした動物たちの祖先の名を、わたくしたちに与えたのです、人間は。はてさて、これはいったい、どういった皮肉でしょうか。まるで、わたくしたちを『害獣駆除のための家畜』だと言っているみたいじゃないですか」
その語気の強さに、息をのむ。教室にいるときの椎名とはまるで違う。
「つまり、わたくしは人間を信用しておりません。そんな者どもが、不審な動きを見せたならば気になるってもんです。今宵、わたくしはその矛盾点をつきつけに参ったのですよ」
そして、僕の心の急所を、
「ああたは、
一直線に、突いた。
なるほど。これはだいぶマズい状況らしい。ミアキス相手に敵対視されること自体はさほど問題じゃないが、そこを突かれたとなれば、話は変わってくる。僕は左腕につけたスマートウォッチ型の通信機に、右手で触れた。頬に痛み、血が滴り落ちていく。
「……黙っていては、答えになりませんが」
沈黙が答え、なんてトンチを利かせたわけじゃない。答えるつもりがないだけだ。僕は言う。
「なあ、椎名。こういうのはどうだろう。この件は、無かったことにしてやる」
僕は通信機を腕から外し、床に落とした。
「取引だ。僕は椎名の正体を、担当者に報告しない。代わりに、これ以上は踏み込むな」
椎名は首を縦に振らなかった。
「立場を弁えてないようで。逆ですよ、わたくしが脅迫しているんです。臥待くるみの存在に納得いく説明をくれなければ、彼女に危害を加えます。そう言っているんですが?」
「納得いく説明、ねえ。そもそも不信感を持たれているやつに真相を明かして、信じてもらえるとは思えないな。それに、」言ってから、僕は右足を、「椎名には関係のない話だ」
一歩、踏み出した。そのまま、椎名との距離を詰める。
こうなりゃ、力づくだ。僕は、彼女との戦闘を決断した。
椎名が刀を振るう、そいつをしゃがんで躱し、すかさず腹に一発、蹴りをお見舞い。
「あうッ……ぐぅ……」
悲鳴を上げた椎名に、回し蹴りをくらわす。よろよろと怯んだ椎名が、刀を振り上げた。
「そんなリーチが長いもん、狭いところで振り回すなよ」
刃は天井に当たり、軌道がブレた。その隙を、逃さない。椎名の右腕を掴み、ねじり上げた。刀が地面に落ちる──と同時に、椎名が地面を蹴った。身体が宙を舞う。
右腕を掴んだ左手が、椎名の体重に引っ張られて、身体の重心を崩してしまった。左手から地面へと倒れる僕の、顔の右側に衝撃を食らう。
蹴られた──椎名の足が、僕の右頬にクリーンヒットした。
「ッッつぅ──!」
脊髄反射的に、右手のひらが右頬に伸びる。その隙を突いて、椎名の蹴りが再度、僕を襲った。今度はみぞおちに一発。強烈なやつ。その勢いで僕の身体は、階段へと吹き飛んだ。
「あがっ……くそ、」
顔を上げる。すると椎名が、日本刀を拾い上げ、眼前まで迫っていた。慌てて、左側へ身体を転がす。すかさず視線を椎名へとやる。
隙だ。今しかない。かがんだ体勢のまま、左手を地面に着き、右足を振り上げる。そしてその足先を、椎名の身体へと一発。ちゃんと、入ったようだ。椎名は一瞬の悲鳴をあげ、
「あの、」フラフラと立ち上がった。「痛いんですが」
そこにもう一撃、蹴りを入れた。椎名の手から刀が落ちる。素早くそれを踏みつけ、椎名の手に届かない後方へと蹴り飛ばした。
「くるみはどこだ。言え。………はやく言えッッ!」
椎名は答えない。それどころか僕を睨みつけて、まだ戦う意思を露わにしている。僕はもう一度、息を吸い込み、声を上げようとした──瞬間、椎名が、左手を自分の胸元に突っ込んだ。血が噴き出す。そして開いた傷口に手をねじりこみ、まるで身体を鞘みたいにして、もう一振、日本刀を引き抜いた。
そんなイリュージョンみたいな武器の隠し方……という思考が、油断に繋がってしまった。
椎名の左手に持たれた刀は、僕の胸元を貫通して、廊下の壁に突き刺さった。
「あぐぁッ……! し、椎名……!」
「じょっ、状況は……変わりましたね。さあ、
マズい。まるで昆虫標本みたいに、僕の身体は壁に磔となっていた。椎名は両手で刀を握り、全体重を乗せている。両手足は自由だが、身動きが取れない。両手で刃を掴み、引き抜こうともがく。上手く力が入らない。
「答えてください。臥待くるみは何者ですか」
「っ……答え………ない──あがぁっ」
「痛覚はミアキスにとって最大の弱点、わたくしはそう思います。人間はいいですよね、死ねて。苦しみから解放されることが出来るのですから」
その皮肉が、僕の痛覚を強烈に刺激する。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──痛い。
そのうえ、呼吸が苦しい。刀は肺を貫いているのだ。的確に苦しむ部位を突いている……。
「観念なさい」吐息が当たるほどの距離で、椎名は僕を睨みつけている。「ああたの負けです」
椎名の声が鼓膜を震わす。あきらめちゃいないが、打開策も思い浮かばない。それでも、
「すまんな、椎名。相手が誰であろうと言えないな。秘めごとを貫くと……誓ったんでね」
「では、ああたがどこまで耐えられるか、試してみましょうか」
「ああ……我慢比べだな。この体勢のまま……ッ、百年くらい生きてみるか?」
無理やりに口角を吊り上げて、答えた。
直後、だった。
「はぁーい、そこまで」
気の抜けたウザったい声が鳴ったのは。
玄関の扉が開かれた。そこには──スーツ姿の人影がひとつ。
「なにごとかと思って来てみれば、なんだその体勢は。新時代の壁ドンかい? 盛っちゃってまあ。もしや、お邪魔だったかな」その人影が、笑う。「先生、イケないところ見ちゃったかね」
サイレンサー付きのピストルをかまえた
「た、谷川……」
「やあ、椎名。元気かい? 宿題はちゃんとやったかな?」
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