第5話「TOKYO 〈使イ魔〉 HOTEL」

023 未明、決壊を告げる猫は啼く

   ◆◆◆


 血が、宙を舞っている。僕の、だ。


 脇腹から抜かれた刃──小型ナイフの軌道に沿って、血が飛び散る。椎名しいなの足元に滴る。


 反射的に、傷口を両手で抑えた。強烈な痛みが、そこにある。


「……見せてもらってもよろしいでしょうか」椎名が、淡々と言った。「傷口ですよ」


 僕は未だ、状況を吞み込めずにいた。混乱する頭で整理を試みる。


 目の前の椎名は、女子高生でクラスメイトだ。物静かな少女……が、だ。到着するやいなや、僕の脇腹を小型ナイフで刺した。


 最悪の想像が浮かんだ。そして、それは的中する。


「……べつに、わたくしからでも、よいですけど」


 言って、椎名はナイフを自らの首元に突き立て、そのまま一直線、横へスライドした。


 カラン、とナイフが地面に落ちる音と同時に、彼女の首から鮮血が噴出した。しかし、その直後から、首の傷は塞がっていく。


 その光景に、観念するほかなかった。


 僕は脇腹を押さえていた両手をどかす。傷は塞がっている。


「やはり、ミアキスですね。ま、分かってはいましたけど」


 椎名はまたしても淡々と述べる。


「痛かったですよね、すみません。しかし、互いの正体を確認するには、こうするのが手っ取り早かったものですから」


 玄関の扉の前、椎名が立ち塞がっている。背後にはリビング。くるみと僕の、秘めごとだらけの我が家の中。逃げ出すことも、場所を移すことも許されない雰囲気。椎名は、なにを企んでいる。どうしてここを訪れた。それに、


「どうして僕以外のミアキスが……この地域に配備されてんだよ」


 言うと、椎名はくすりと笑った。


「ミアキスはS2CUエスツーシーユーに仕えるもの。担当の人間と共に、世界各地に一体ずつ配備され、その地域の安全保障に努める。ああたはこの度、日本国神奈川県横浜地区の担当となり、越してきた。そうですね?」


 椎名が、僕の事情を寸分違わず言い当てた。なるほど、S2CUとの契約内容も把握しているあたり、ミアキスに間違いないようだ。しかし、だとすれば余計におかしい。S2CUには、同じ地域に二体のミアキスを配備しない、という暗黙のルールがあるからだ。


「で、さきほどああたが尋ねたことですが……まったく、嫌ですねぇ。前提が違いますよ。ああたみたいな人間の犬と違って、わたくしは自由気ままに暮らす猫です」


 椎名は両手の拳を顔の前に出し、にゃあ、なんて鳴き真似をして、おどけてみせた。


「なるほど……野良か。まだいたんだな」


 野良。つまり、S2CUに属さないミアキス。それが椎名の正体なのだと知る。


 しかし、現代社会において、それは赦されることじゃない。人間の「生」を自在にコントロールできる生命体・ミアキスを野放しにするなど、あってはならないことだ。ただ一方で、すべてのミアキスを管理下に置くことが容易でないことも、重々承知している。なぜならばミアキスは、人間と見分けがつかない外見をしているのだ。判別は困難極める。


「わたくしも、なるほど、と思いました。どうやら、わたくしのことは存じ上げなかったみたいで」椎名はパチンと両手を合わせた。「ならば、いったん、その件は忘れて先に進みましょう」

「……忘れられるかよ。すぐに、担当者に報告を────」


 瞬間、鋭利な何かが、僕の頬をかすめた。


 どこから取り出したのか……それは、見覚えがある刃物だった。あの夜、土砂降りの駅前で、そして寂れた小劇場の中で、危険因子が手にしていたものとよく似た、


「椎名……、まさかお前…………っ!」


 それから椎名は、人差し指を唇の前で立てて、


「ダメですよ。いったん、二人きりの密談、にしておきましょう。ああたも、臥待ふしまちくるみを危険にさらすわけにもいかないでしょう?」

「くるみ、くるみがッ……なんだって……?」


「臥待くるみは現在、わたくしの〈使い魔つかいま〉が接触中です」


   ◇◇◇


「野良に尽くすあたしみたいなのは、どうやら〈使い魔〉って呼ばれるらしいよ。よほどミアキスの方が魔物っぽいのに、人間が〈使い魔〉とはこれいかに、って感じだよね。ちなみに、日本刀の男も一緒さ。椎名留名るなに仕える使い魔だった」


 先輩の説明は、ことごとく私の心に深い傷を負わせた。それってつまり、パパを傷つけたのは留名ちゃんの仲間で……あの事件の黒幕は、留名ちゃんってことになるじゃないか。


「理解してきた? そうだよ。椎名留名は、君たちを危険視した。だから、使い魔を向かわせた。で、結果は君の知る通り。あたしの知る通り。暁月日々輝あかつきひびきはミアキスだということが判明。そしていま、真相究明の第二段階として、君と接触しているわけさ」

「真相……って?」なに、なんのことだ。「暁月さんと私を危険視? なにも……私たちはなにも悪いことはしていないのに」


 そもそも、だ。


「暁月さんを襲ったのは、そっちじゃないですか……? そう、でしょう。なんであんなこと」


 その質問に、先輩は沈黙を返した。しばらくして、天井を仰いだのち、


「そうか。君は、この違和感に気づかないわけか。どこまで鈍感なんだか」


 視線を、こちらへと戻した。


「臥待さん。ミアキスには二種類いる、って言ったよね。組織に所属するものと、野良。でさ、どちらも、人間が支配する現代社会においては協力者なしでは暮らしていけない。そのミアキスに協力的な人間が、片やS2CUで、片や使い魔ってわけ。ここまでは、お分かり?」

「……」そういうことになるのか、と考えを整理したあとで、私は肯く。「……はい」

「じゃ、ここで質問です。臥待くるみさん。君は、?」

「え?」


「だから、君はS2CU? それとも使い魔? どっちなんだ、って訊いてんの」

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