022 密室じゃないとできないコト、始めよっか

   ◇◇◇


 こういう場所を訪れるのは、もっと遠い未来のことだと思っていた。というか自分事になる日が未だに想像できない。ここがどういうことをするための施設かは知っているけど、正直恋愛とかよく分かんないから、その先のあれやこれはもはや都市伝説みたいな認識だし、そもそも未成年だから本当は入れない場所だ。


 ラグジュアリーな照明。大きな画面のテレビ。背の低いダブルベッドに、二人掛けのソファ。


 先輩に導かれるまま、ベッドに腰を下ろす。隣に、先輩が座った。

 あまりにも落ち着き払って平然としている夕辺ゆうなべ先輩が、不思議で仕方ない。


「先輩は……こういうところに入るの、抵抗ないんですか。初めてじゃ……ないんですか」

「はは、なにその質問。えっちなビデオの撮影でも始まるのかと思ったよ」

「……ピンとこないんですけど」

「あ、そうかい。この冗談が通じないなんて、君はウブなんだなあ」


 夕辺先輩はそう言って、私の膝に左手を置く。ちょっとの接触さえ過敏に反応してしまうのは、この空間が醸し出すムードのせいか。はたまた、


「さあ、臥待ふしまちさん。さっそくだけど、密室じゃないとできない内緒話コト、始めよっか」


 得体のしれないこの女性から、逃げることが出来ない状況に追い込まれたせいか。


 夕辺先輩と目を合わせると、意識が飲み込まれそうになる。何も言えなくなってしまう。だから私は、視線を彼女から逸らした。ともすれば視界に映り込むのは、違和感満載の内装。


 ここはホテルの一室だった。建物の入口に設置されたパネルで部屋を選ぶタイプの、いわゆる……なんていうの、愛の営み専用ホテルだ。


 それから、視線を落とした。ド派手な金色をしたジャージのラインが視界に入る。さっきまで着ていた制服と違って、この服装はあまりにも私らしくない。それは、来る途中で寄った、二十四時間営業の量販店で購入したもの。制服じゃ入れないからさ、これに着替えなよ。夕辺先輩はそう言って、私にジャージを買い与えた。


 その行程はどこか宮沢賢治の『注文の多い料理店』みたいに思えた。服を脱がせて、身体にクリームを塗らせて、さあさあおなかにおはいりなさい……、そう言われた心地だった。


 あながち見当違いでもないだろう。すでに私は、夕辺先輩の企みの中だ。


 これからどんな会話が始まるのだ。いいや、会話、なんて甘く見積もりすぎかもしれない。詰問や拷問の類が始まってもおかしくはない。だってミアキスの存在は、世界的に秘匿されているらしいし、仮に正体が世間に知れたらおおごとなのだ。だから私とパパは、これまで十二年間、秘めごとを貫いてきた。平穏を守るために。だというのに……、


「そうだなあ。まずは、あたしの自己紹介から始めるべきだね。夕辺みつ。君と同じ、常磐西ときわにし高校の生徒。二年生。そして、君と同じく、ミアキスを認知している」


 夕辺蜜は、その平穏をぶち壊す。


 先輩の右手が、私の膝から太ももへと這うように動く。反射的に、身体がビクつく。だのに、金縛りにあったみたいに、私の意思で身体を動かすことはできない。先輩の顔がすぐそこにあって、またしても反射的にのけぞってしまった。するとそのまま私の上半身は、重力によってベッドへと押し倒された。先輩の手は太ももから離れて、私の頭を挟むように置かれた。


 視界の先には、天井。そして、私を見下ろす先輩の顔。


「はっぁ、どい……どいて、くれませんか」


 先輩が首を振る。


「イヤ。ねぇ、あたしは自己紹介したよ? 次は、君の番」

「私の番って……なん、ですか」

「君について教えて欲しいんだ。これまでしてきた生活のこと、とか、どうしてミアキスを知っているのか、とか。そもそもいつから、キッカケはなにで……あるいは、その目的、とかね」

「わたっ、私……知らないです。ミアキスって……なんの話」

「あー、そう。誤魔化す? まあ、そうくるか。でも、ごめんね」言って、夕辺先輩はスマホをジャージのポケットから取り出して、操作を始めた。そして少ししてから、一枚の画像を私の眼前につきつけた。「こっち、証拠あるんだよね」


 証拠、と先輩は言った。その意味は、一目瞭然だった。一面が真っ暗闇で、ほとんど何が映り込んでいるか分からない画像だったが、しかし、私には分かってしまった。暗闇の左上隅に、見覚えのある影がひとつ……いや、ふたつだ。


「なん……ですか、これ」

「演技やめなよ。見りゃ、分かるでしょ」


 先輩が、左上隅の部分にある影を、人差し指で指し示した。


暁月日々輝あかつきひびき。こっちが君の知り合いで、」そして、人差し指をもう一方の影に移動させる。「君らを襲った刀の男。こっちが、あたしの知り合い」

「へ…………?」

「そーなんだよ。実はね、あたしたちってどうやら因縁の仲、らしいよ。だから、こうして話し合いの場を設けたってわけ。どう? スッキリ? 全部の謎が解けた快感ある?」


 快感なんて、無い。困惑だけがある。


 私は、先輩に見せられた画像の光景を知らない。でも憶測は立つし、きっと当たっている。


 これは、あの事件の顛末だ。パパが襲われて、腕を斬られた事件。谷川先生によってセーフハウスに匿われた、その裏側で起きていたのが画像の出来事。そうなんだろう。理解できたからこそ、余計に心臓の鼓動は早くなった。


 パパの胸には刀が突き刺さっている。刀の男は、パパに首あたりを嚙まれている。


「もういちど、訊くね。君と暁月日々輝は、なにが目的で一緒にいるんだ。教えてよ」


 先輩がスマホをポケットにしまう。それから、ゆっくりと顔を近づけた。


 先輩の顔は、私の鼻に触れそうな距離まで近づいたところで、軌道が変わった。鎖骨へと向かう。身体が硬直する。最悪の想像が脳をよぎった。


 私はミアキスのことをほとんど知らない。けれど、画像に映るミアキスは、フィクションの中の吸血鬼みたいに見えた。もしもそういう存在ならば……私は先輩に、噛まれる?


「ああ、もしかして誤解してる?」と、覚悟したのだが、先輩の唇は私の耳のすぐ近くで止まった。「あたしが、ミアキスだって」


 そして私の思考も、同時に止まった。


 まるで、自分はミアキスじゃない、と否定するような言い回しだ。し、実際に、


「言っとくけど、あたしは違うよ」


 先輩は、そう言った。


「じゃ、じゃあ……人間…………なんですか」

「心外だなあ。どっからどう見ても、そうでしょ」


 夕辺先輩は、あっけらかんとそう言い放ってから、右手のひらで私の頬に触れた。


「言ったでしょ。君と同じ側。ミアキスを認知している人間だ、って」

「なら、どういう……。もしかして、えすつー……なんとかの」

「? ああ、S2CUエスツーシーユー? それも違うかな。……よかった。君がボロを出してくれて。これでもう誤魔化しが効かないね」しまった、と思った時にはもう遅かった。「君は、ミアキスに関する情報を持っている。それがハッキリした」


 先輩は、ベッドに着いていた手をどけて、グッと上半身を起こした。その隙に、私も身体を起こして壁際まで下がり、距離を取った。


 先輩が、膝をベッドの上に乗り上げた。布団の上、私たちは向き合うようにして座っている。


「だいいち暁月日々輝みたいに、S2CUに所属しているミアキスと違って、うちのははぐれものなんだ。だから、そういうエリートな知り合いはいないし、あたしだって違うし」


 ただでさえ思考が追いつかないほどの情報量に飲み込まれそうなのに、


「うちの……?」


 先輩が何気なく口にしたそのフレーズは、私をさらに動揺させた。


 それってつまり……パパの他にもミアキスはいる、っていうカミングアウトじゃないか。


「あ、うん。……そうか、言ってなかったか。君たちとは違う形で、あたしはミアキスと関わってんだよね。S2CUのエージェントミアキスが人間に尽くす存在だとすれば、うちのは違う。なんていうかな、あれだ。社不。定職に就かない、社不ミアキスって感じ」


 夕辺先輩は、一呼吸おいて続きを言う。


「だからまあ、あたしたち人間がミアキスのしもべやってるわけなんだけど。今もこうして、そいつの指示で絶賛仕事中、ってわけ。……って今更ぼかして言うこともないか。ねえ、臥待さん。実はね、うちのミアキスと君は、知り合いなんだってさ」

「……え、それって、どういう……」

「鈍いなあ。だから、つまりね────」


   ◆◆◆


 椎名しいなを家の中に招いて、直後。僕は違和感に気がついた。


 まず、彼女の陰りのある表情。次に、重たい沈黙。


 そして、手元に握られた────ナイフ。まて、ナイフ?


「椎名、どういう……」


 と口にしたのが先か、それとも椎名が僕に向かって一歩踏み込んだのが先か。判断がつかなかった。僕の身に感じた痛み──脇腹にねじりこまれた刃に意識を取られてしまったから。


「……ッ!」言葉にならない声を吐き出す。「……ッだ……これ……」


 その刃を突き立てている張本人、小柄な女子高生が、声を出す。


「暁月日々輝。わたくしは、ああたが……」腹に突き刺さった刃をねじりながら、彼女は続ける。「……何者か、知りたいだけです」


   ◇◇◇


「椎名留名るな。それが──あたしのミアキスの名だよ」




   <第5話に続く>

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