021 耳元で鳴って、ようやく
◇◇◇
演奏が終わると、ヨーコは真っ先に、
「せっ、先輩っ! き、来てくれたんですね」
「ん。
全力で演奏した後だからか、汗だくで、息を切らしていた。休憩するよりも、喋りたかったのだろう。先輩も先輩で「ついで」なんて言っているけど、演奏が終わってからすぐ帰らなかったあたり、ヨーコを待っていたんだろう、って私は思った。
「うぃ~! 大仕事、しゅーりゅー」
「くるみっち、
「珍し。来てくれたんすね」
と、夕辺先輩に気づいた。千乃ちゃんたちと先輩が知り合いだということが、一瞬、不思議に思えた。けれど、部活の先輩で中学も一緒なのだ、面識があるのも当然か、と合点した。
先輩は、顔の向きを千乃ちゃん達へ変えて、
「リズム隊が双子って、ズルいな。息ぴったり」
「なはは~。でしょ? ウチら最強なんで」
「蓮沼も」と言ってから、ヨーコへと視線を戻した。「中学の時より上手くて、びっくり」
ヨーコは、不意を打たれた驚きと照れと嬉しさがごちゃ混ぜになったような顔で、慌てて視線をあちこちに動かして、「えっ、いや、そのっ」と言葉にならない声を発した後で、
「あっ……ありがとう、ございます……」
と言って、顔を伏せた。
「あのっ、すみませんがわたくし……そろそろ、おいとまします」
「あ、もう帰っちゃうの? んだよー、留名ちん。もっといたらいいのに」
「いえ。わたくし、これから用事がありまして。代わりに臥待さんが残りますので」
和やかなムードを壊さないためだろうか、留名ちゃんは、冗談めかして私の背中を押した。
「えっ、え。あ、でも、うん。私はもうちょっと見てこうかな」
ステージ上の転換が間もなく終わり、四組目の演奏が始まりそうな時間だった。留名ちゃんは会釈一つして、出口へ向かう。それを見送った後で、千乃ちゃん姉妹も場を離れた。見れば、他のグループの人たちと会話を始めている。
ヨーコと夕辺先輩、私だけがこの場に残った。
「あ、じゃあ、わたしもそろそろ」とヨーコが口を開いた。「楽器、楽屋に放置してきちゃったから。戻って、片付けするね。くるみ、ありがと。……それに、先輩も」
夕辺先輩は無言で挙手一つ、それが返事の代わりらしかった。
「うん、分かった。あ、言い忘れてたけど、凄くカッコよかったよ」
言うと、ヨーコは、にひひ、といつもと同じ笑顔を、私にくれた。
そのまま去ろうとしたヨーコに、私は近寄り、
「あのさ、ヨーコ」先輩に聞かれないよう、内緒話のボリュームで言う。「良かったね」
「! い、いや。まあ、うん。……くるみのおかげで、先輩とちゃんと再会できた」
ヨーコが照れくさそうに頭の後ろをかいた。
「ううん。別に、私はなんもしてないよ」
「そんなことないでしょ。ライブハウスに連れてきてくれたのは、くるみじゃん」
私のおかげ、だなんて大袈裟だ。これは謙遜じゃなくて、本当に何もしていないから。仮に今回の出来事に功労者がいるとしたら、言うまでもなくヨーコ自身だ。
先輩を信じて、待ち続けたヨーコ自身だ。そうでしょ?
そもそも、ヨーコと先輩は、以前に再会していたじゃないか。夕辺先輩が私のこと知っていたのって、ヨーコが話題にあげていたからでしょ? そういう会話ができるくらいには元通りだったってことじゃん。だから、そんなに感謝しなくてもいい。
そこでふと、私はあることを閃く。
「そうだ。前、言ったこと覚えてる? 先輩も遊びに誘っちゃおうよ、ってアレ」
「あはっ。あー、言ってたね」
「うん。今度さ、ちゃんと実現させようよ」
言うと、ヨーコは照れくさそうな表情を浮かべて、「えぇ~っ」と大きな声を出して、
「そ、それは……。もうちょい話せるようになってからの方が……。それにマジで誘うとしたらさ、くるみたちのことちゃんと紹介しないと、じゃんね」
まんざらでもない、といったように苦笑した。
「でもまあ……そう言ってくれるなら、こんど話してみようかな。くるみのこととか、さ。彼女はわたしの親友で、わたしがいちばん仲のいいクラスメイトで、とかさ」
それから私は、ヨーコが次々に並べ立ててくれる温かい言葉の外に存在する──
「実は長野から引っ越してきた子なんだあ~とか、」
──矛盾に、不意打ちを食らった。
「そういうこともさ。ちゃんと教えておくよ」
「……へ?」
「ほんと、ありがとね。くるみ、愛してんぜっ」
ヨーコが楽屋へと消えていく。放心しかけた意識を、すんでのところで引き留めて、私は勢いよく振り返った。そこにいる、ウルフカットの女性……夕辺先輩へ。
先輩は腕組みをして、私をじっと見つめていた。視線が交わる。
変わらず、真顔だ。それが、今はなんだか、不気味で仕方ない。
だって、先輩……私のことはヨーコに聞いたって言っていた、ハズなのに。
夕辺先輩が腕組みを解いて、私に向かって歩き出した。背後で音楽が鳴った。照明が明滅しているのだろう、暗闇を照らす光の色が次々に変わる。先輩が、眼前まで近づく。そして、
「来る意味、できた。あたし、そう言ったよね?」私の肩に手を置いた。「それ、君なんだ」
どういうこと──私に、会いに来た? 夕辺先輩は、そう言っているのか。なぜ?
分からない。分からない分からない。脳内は混乱して、何も考えられなくなって、
「
「な、なにを……ですか?」
「
最悪の事態に巻き込まれているってことを、理解した。
夕辺先輩の顔が、私の耳元から離れる。彼女は二、三歩下がって、後ろ手を組んで、
「ってことだから。これから、あたしと出かけない?」
悍ましいほど美しい、満面の笑みを見せた。
◆◆◆
自宅。リビングで独りきり。テーブルの上には、効力を失ったライブチケットが一枚。ライブの終演は、午後九時過ぎ。現在、午後八時半。くるみは、まだ帰らない。
結局、僕はくるみの誘いを受けなかった。まだ、迷いがあったのだ。
これから、僕はあいつにどう接すればいい? 僕はどう振る舞えばいい? ……もちろん、それもあるが、それ以上に、
『いずれ、あいつは一線を踏み越えるかもしれなんな』
あらゆる考えが脳内を駆け巡り、答えは出ないまま、途方に暮れていたとき、
────ピーンポーン。ピーンポーン。
ドアベルの音が、鳴り響いた。
くるみが帰ってきたのだろうか、と考えてすぐ、かぶりを振った。ここはあいつの自宅。合鍵だって持っているはずだ。ならドアベルなど鳴らさず、自分で鍵を開けて入ってくればいい。
なら、誰だ? こんな夜遅くに。
玄関の前まで来て、ドアノブに伸ばした手を躊躇う。迂闊にドアを開けて、もしも一か月前の夜みたいに突然襲われたら……そんな想像が頭をよぎったのだ。が、しかし、
「夜分遅くにすみません」
聞き馴染みのある声がドアの向こうで鳴って、僕は安堵した。
「どうしても、話したいことがあるんです。入れてもらえませんか?」
「話したいことって、なんだ」
訊くと、彼女はしばしの沈黙を挟んだのちに、
「臥待さんのことです」答えた。「……いつまで経っても、暁月さん、ライブハウスに来ないものですから。こうして、わたくしの独断で訪ねてきた次第で……迷惑でしたらごめんなさい」
ドアスコープを覗くと、そこには見慣れたクラスメイトの姿があった。人形のように小柄で、可愛らしい、腰のあたりまで髪を伸ばした少女──
「くるみの話?」
「ええ。彼女のことで……いいえ、彼女と暁月さんのことで、気になっていることがあるんです。だから…………どうしても話したくて。いてもたってもいられなくて」
なんの話か、見当もつかない。しかし、椎名が家を訪ねてきたということに、いささかの重大性を感じる。そして僕は、ドアを開けた。
◇◇◇
私は、ドアを開けた。
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