019 強がってるの、バレバレです
◇◇◇
「? あれ。君、あたしの知り合い?」
気だるげなロートーンで喋るその人と目が合った。それが気まずくて、反射的に顔を逸らすと、視界の端っこで部室の中が見えた。教室の半分もない狭い部屋で、壁際に機材やら楽譜やらが並んだ棚と、中央あたりにローテーブルが一つ置かれているだけの空間だ。床にはドラムスティック。それと、紙が散乱していた。そのうちのほとんどが楽譜だって見て分かったけど、そこにテストの答案用紙も混じっていた。名前の欄に目が留まる。
「ゆうなべ……みつ」
「うん、そう。……マジで、どこで会ったっけ? ごめん。人を覚えんの、苦手で」
そこで私はハッとする。先輩は私を知らないのだ。なので急いで取り繕って、
「あ、えっと。すみません、私、ヨーコの……
けど結局、気まずさが頂点に達して、強引に入室してしまった。
まっすぐ壁際の棚まで歩いていく。そこにはたくさんのケーブルや機材やらが置かれていた。ヨーコに頼まれたのは、黄色の四角い小さな機材。彼女は、エフェクター、って呼んでいたそれを手に取ったとき、背後で「あー」と声がした。何かを思い出したかのような声だった。
「君かぁ」それに反応して振り向くと、先輩と目が合った。「蓮沼のクラスメイト、って」
「え……?」
「そっか、君だったのか。あれでしょ、長野から引っ越してきたっていう。蓮沼から聞いたよ」
「そうです……けど」
その発言に、私は驚く。ヨーコから聞いた? ってことは、先輩とヨーコ、再会できたってことだろうか。一か月前、体験入部のときは会えなかった、って話だったけど。
「夕辺先輩は、ヨーコと、中学のときから一緒だって……うかがっています」
そう言うと、先輩は、ははっ、と口先だけで笑った後で、
「うん、そう。蓮沼、そんなことまで君に喋ったんだ」と言って、腰に手を置いた。「なに。蓮沼の忘れ物取りに来たってことは、君は今からライブに行くんだ?」
「はい。そう、です」
「そっか。じゃ、楽しんできてね」
先輩はそう言って、ドラムスティックが転がっているあたりまで戻って、入口に背を向けて床に座った。そのままスティックを手に取り、譜面を眺めはじめた。
その光景と、「楽しんできてね」の一言で、私は察する。
「……先輩は、行かないんですか?」
「うん。行かない。行っても意味ないし」
ヨーコが言うには、夕辺先輩は『半不登校の幽霊部員』。それは、どうやら本当みたいだった。軽音部の顔見せライブは、部の一大行事って話だ。新入部員はもれなくバンドを組み、演奏を披露する……そういうイベントなのに、夕辺先輩は不参加を決め込んでいる。
私は部外者だ。し、先輩とは他人の間柄。もしかしたら二度と会うこともないかもしれない。けど、なぜだろう。行っても意味ないし。そのセリフが、私の心に刺さったまま抜けない。
「えっと、じゃ、じゃあ失礼します」
と言って、部室の外に出る。半分開いたドアの隙間から、先輩の背中が見えた。たん、たたたんっ、とドラムスティックの音が鳴り出す。繰り返し、同じようなリズムが鳴る。それに合わせて、心の中で先輩のセリフが再生される。行っても意味ないし。
だからだろう。私は、
「あの、先輩。ヨーコにとっては、意味ある、と思います」
先輩が、リズムを刻む手を止めた。
「……。へぇ。君、友達想いなんだね」
そして、背を向けたまま、そう言った。
「っあ、いえ! なんでもないですっ。いや、友達想いっていうか。やっぱ、見てもらう人は多い方がいいかなって。……すみません。失礼しましたっ」
ばたんっ。部室のドアを閉めた。ちょっと、閉める力が強くなってしまった。出過ぎたことを言ってしまった自分が恥ずかしくなったせいだ。
私はその勢いのまま、逃げるように立ち去った。
◇◇◇
「え? 夕辺先輩に会った?」
初めて下りた駅の向かいのビル。その最上階に、ライブハウスはあった。開場時間ギリギリに到着して、ライブハウスの入り口前で、ヨーコに頼まれていたエフェクターを手渡した。
そこで私は、部室での出来事を彼女に話した。するとヨーコは笑い声をあげた。
「あっはっは。あー、そう。今日、学校来てたんだ」
「ねぇ、ヨーコ。先輩と再会できたの?」
訊くと、ヨーコは曖昧に首を振った。
「まあ。たまに部室に来るから。……そん時に、ちょっと話すかな」
ヨーコがそう答えた直後、扉が半分開いて、中から
「おーい、蓮沼ぁ。集合だってよー」
「おー、すぐ行く」と返事をした後で、ヨーコはまた私の方を向いて、「ってことだから、わたしは戻るね。マジでありがと。ライブ、楽しみにしといて」
ヨーコが背を向けて、ライブハウスの中へ戻っていく。扉が閉まり切る前、ヨーコは立ち止って、星頼ちゃんと同じように顔を半分だけ出した。
「そうだ。ひー君、来るって?」
「えーっと。あはは、分かんない」
「そっか。来るといいね」
私は肯く。それから、
「夕辺先輩も、来るといいね」
ヨーコはまたも曖昧に首を振って、扉を閉めた。スマホの画面を見れば、開場時間まではあと十分ちょっと。そこから三十分空いて、一組目の演奏がスタートするとのことだ。ヨーコのバンドは三組目。どうやら千乃ちゃん姉妹も同じバンドのメンバーらしい。
ヨーコが言うには、バンドとバンドの間に転換時間ってのが十分あって、一バンドの持ち時間が二十分ってことだから……ヨーコたちの出番まであと、一時間半ぐらいってところか。
「あ、
聞き馴染みのある声が聴こえて、私はその方向を見た。そこには、
留名ちゃんは、深々とお辞儀をした後で言う。
「あれ?
◇◇◇
開場時間になった。チケットは、ヨーコのご厚意で無料。ドリンクチャージ代の六百円だけ支払って、私は留名ちゃんと一緒にライブハウスへ入った。中は、ちょびっと怪しげな空間だった。薄暗くて、ピアスをつけたお兄さんがバーテンダーをしていて、ステージには、ドラムセットと大きなスピーカーが三台、ギターとベース……ムーディーといえばそうなんだけど、ひとりで来るには勇気が要る場所かも。
でも言い換えれば、とっても本格的な空間、ってことだ。バーカウンターには、サイン入りのポスターが何枚も貼られている。きっと、プロの人も演奏するところなんだ、ここは。
いつのまにやら、開場直後には少なかった人も、ライブ開始直前にはフロアの半分が埋まるくらいになっていた。誰かが来場するたびに、私はつい、パパか、あるいは夕辺先輩が来たんじゃないかな、って期待して入り口を見てしまった。それで察されたのだろう。留名ちゃんが、
「来ないですね。暁月さん」
と私に声をかけた。私は、あわてて首を横に振った。
「いや、別に。そういうんじゃないよ。そういうんじゃない。……別に、来なくていいし」
「臥待さんって嘘が下手ですよね。強がってるの、バレバレです」
おっしゃる通り、嘘だし、強がりだった。来てほしい気持ちは強い。でも、もう私は、
「私の気持ちを押し付けるだけなのは、辞めたから」
まるで私の発言がキッカケ台詞だったみたいに、直後、音楽が鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます