018 たたたっ、たん、たた

   ◆◆◆


「…………」適切な返答が思い浮かばない。なので代わりに、「あと三年。そうだろ?」


 運転席に座る谷川たにかわへ、問いかけた。すると、彼女は「なにがだよ」と呟いた。


「この役目、だよ。それまではなんとしても『平穏』を演じる。あんな事件を起こしてしまっても、僕はその使命を全うしたいと思っている。この判断を、お前は正しいと思うか?」

「だはっ。なるほど。……使命、ねぇ。そうか、お前はこれを『任務』だと思っているわけだ」

「なんだよ。含みのある言い方だな」


 いやぁ? と谷川は嘲笑ぎみに、首をかしげた。


「合点がいっただけさ。どうりで食い違うわけだ」


 何やら気づきを得たらしい谷川と、まったくピンと来ていない僕と、その食い違いのことを言っているのか、とも思った。が、文脈的にしっくりこない。途端に、くるみや谷川が未知の存在に見えてくる。人間とミアキスの差、じゃ説明がつかない理解しがたさ。


「とにかく。あまりあいつから目を離さない方がいいぜ」

「……ああ、そうだな」


 心の中に、モヤモヤが残留した。それを晴らすことが出来ないことだけが確かだった。


 僕は車の外へ出た。谷川は、じゃあな、と挨拶一つ残して、車を走らせた。去り行くその車を見送ったあとで、玄関の扉を開けた。くるみを起こさぬよう、静かに、ゆっくりと扉を閉めた。ぎぎぃ、と小さく鳴る扉の開閉音は、歯車が軋む音によく似て聴こえた。


   ◇◇◇


 その夜。眠ったフリをしていた私は、深夜にこっそり家を抜け出すパパの足音を聴いた。


 どこへ行くのか、なにしに行くのか。それは分からなかった。


 疑心暗鬼は関係を壊す気がするし、妙な勘繰りをしたいわけじゃない。


 けれど、足音を殺すように出ていく彼の、その不自然さを無視するのは無理があった。


   ◇◇◇


 五月二十四日、水曜日。


 その日の放課後は、軽音部の「顔見せライブ」がある日だった。年に一度、この時期に必ず開催されているイベント、とのことだ。新入部員の「顔見せ」を目的としていて、つまり新入部員はもれなくバンドを組んで演奏を披露する……とまあ、そういう行事らしい。わざわざライブハウスを貸切って開催する、という気合いの入れ方で、凄いなって思った。


「ってわけで、友達ばんばん呼んじゃってよ、みたいな一大行事みたいだからさ。くるみたちも来てくれると嬉しいな。椎名しいなも来る、って話だし」


 そう言ってヨーコは、私にチケットを二枚くれた。その内訳は、たぶん私とパパだ。喜んでそれを受け取り、その足でパパの席へと向かう。そして、机の上にチケットを一枚おいて、


暁月あかつきさん。今日の放課後、軽音部のライブがあるんだって。行くよね?」


 パパはすぐに肯かなかった。が、しかし、どういった心境の変化かしらないけど、


「まあ、考えておくよ」


 チケットを受け取ってくれた。それが四時間目直前の話だ。


 ヨーコは、ライブの為に五時間目の授業をサボったらしい。たしかに「リハがある」とか「本番前にスタジオ練いれたいんよね」とか言っていたけど、行動が豪快過ぎて笑った。


 放課後の時間になって、真っ先にパパの席へ向かった。パパは私に気づくと、なにやら気まずそうな表情を浮かべて、

「くるみ、あのな、」

 と何かを言いかけたので、私はすぐさま、

「私、ヨーコのライブに行くね。暁月さんも来るなら、ライブハウスで会お」

 と言い残して、その場を去った。


 たぶんパパは不思議がったろうな。普段の私なら「一緒に行こう」って強引に押すところだ。けれど、私はそうしなかった。パパを教室に残して、ひとりで昇降口へ向かった。


 その道中のことだ。ヨーコから電話が来た。


『あー、ごめんごめん。くるみ? まだ学校?』

「うん、そうだけど。どうしたの?」


 訊くと、電話の向こうでヨーコは申し訳なさそうな声で、


『あのさぁ、ほんっとあれなんだけど、ちょっとお願いがあるんだよね』

 

   ◇◇◇


 ヨーコの「お願い」は、ほんの些細な頼みごとだった。些細だけど、ヨーコにとってはあまりにも重大事件。どうやら、急遽使う機材が増えたので取ってきてほしい、とのことらしい。


『わたしもうライブハウスだし、取りに戻るのムズくてさ。ごめん、頼まれてくれないかな?』


 そういうわけで、昇降口近くまで来ていた私は、踵を返して、軽音部の部室へと向かった。


 軽音楽部の部室がある「部室棟」は、第二体育館の隣に構えていた。ちょうど部活が始まる時間だからだろうか、思いのほかたくさん生徒がいて、到着するなりちょっと気まずくなった。


 だって用事があるとはいえ、部外者の私がお邪魔するのは、後ろめたさがあるものでしょ。


 ヨーコ曰く、『部員は全員ライブハウスに来てるし、誰もいないと思うから、ぱぱっと入って取ってきてもらえばいいよ』とのことだが、それでも、だ。


 まだ部室棟の入り口に踏み入っただけなのに、肩身が狭くてしかたない。それを払う呪文みたいに、「お、おじゃましまーす」と小さな声で唱えた。目的地は、奥から二つ目の部屋だ。


 なるべく恐縮しながら、それでも不審者に見えないよう、胸だけは張って歩いた。

 そうして部室の前まで来て、ドアノブに手をかけた。


「…………」その時、だった。「あれ……だれか、いる?」


 部屋の中から、小さな音が聴こえたのだ。

 その音は、軽く弾んだ音、何かを叩く音だった。


──たたたっ、たん、たた。


 ドアノブを捻る手を止める。耳を澄ます。


──たたたたたっ、たたっ。


 やっぱり、誰かいる。正確で綺麗なリズムを刻む音には、聞き覚えがあった。中学生のとき、音楽会でリズム隊を担うことになった友人がしていた練習、それによく似た音とリズム。


 部員は全員ライブハウスに来ているから、ってヨーコは言っていた。なら部員じゃない? けど、明らかに練習をしている音が鳴っている……これってどういうことなのだろう。


 と、考えていると、突然その音が止まった。直後、


「だれかいる?」


 部屋の中から、声がした。私は焦った。


「あっ、いえっ。はい! あの、すみません。ちょっと頼まれたことがあって……」


 しばらく、返答は無かった。本気で不審者だと思われているのかも、と不安になる間だった。部員全員が出払っているタイミングを狙った空き巣犯、と疑われちゃいないだろうか。


 ドアノブが、がちゃり、と音を立てて回転した。やばい、中の人が出てくる。私は、ちゃんと訪ねた理由を説明できるようにと、頭の中で言葉を整理しながら、ドアが開くのを待った。


 が、しかし。その人の顔を見るなり、頭の中に用意した文言は、すべて吹き飛んでしまった。


 その顔に見覚えがあったからだ。というか、いちど見たら忘れない風貌。


「頼まれたことってなに? ……君、だれ?」


 まず目に留まったのは、派手な銀色のウルフカットだった。そして、整った、綺麗な顔。だけど表情はとっても暗くて、うつろうつろな目。奇抜な見た目で、大人びていて、まるで高校生には見えない。住む世界が違いそうな人だ……というのが、率直な印象だった、その人。


「ゆうなべ先輩……」


 皆でカラオケに行った日、横浜駅で見かけた人……ユウナベ先輩。


 ヨーコが声を荒げて呼び止めようとしたその人だ、とすぐに分かった。

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