第4話「ヒラヒラヒラク〈秘密〉ノ扉」
017 我々が貫き通してきたそれ
◇臥待くるみ◇
なにごともなかったかのように、なんて無理でしょ。ダメだよ。
私は、パパの腕が斬り落とされるところを見てしまった。パパと
そんなことがあったのに、私だけ、今まで通りに過ごせって? 嫌だよ。
これは比喩や誇張表現じゃない。私だって、命ぐらい懸けられるんだから。
事件から一か月が経った。五月二十一日。日曜日。
「にしてもだな、
私は先生をセーフハウスに呼び出した。谷川先生は、相変わらず、学校では先生役に徹している。それでも、こうして学校外で誘えば、
「だいじょーぶ。ヨーコや
「それは大前提でお願いしたいがな。で、なんだ? プライベートな用事か?」
「まーね、そんなところ。あ、安心してね。暁月さんには谷川先生に会うこと伝えてないから」
「そーかい。なら…………ちょまて。伝えてないのか? なんでだ?」
それはね、と口ずさんでから、私は深呼吸を挟んで、
「暁月さんについての話があるから、に決まってるじゃん」
◆暁月日々輝◆
五月二十二日。月曜日。
あれからの僕は、これまで以上に、クラスメイトとの線引きに気を遣っている。
孤立して周囲から心配されることのないよう、しかし深い関わりを持たぬよう、ほどよい距離感でクラスメイトたちと接し、ほどよく一年一組に存在する。それが近頃のモットーだ。
案外、上手くやれているとは思う。
これは、皆がどこかしらの部活や委員会に所属しているというのが大きい。入学から二か月弱、おのおのが所属コミュニティを定めつつあるなか、僕が無所属であることが、他人と深く関わらずに済むことの口実になっている。このまま卒業までやりすごせればなによりだ。
ただ、懸案事項はある。それはなによりも、くるみ、のことだ。
「ねぇ。今週の水曜日、空いてない? 軽音部の顔見せライブ、ってのがあるんだって。ヨーコや
テーブルの向かいで、僕が作った夕食のオムライスを口へ運びながら、くるみは言う。
これまで通りのくるみだ。相も変わらず、僕を遊びに誘うところ。同じ高校に通い始めてから、今日まで続く恒例のやりとりだ。しかし、だからこそ僕は恐れている。
どうしてあんなことがあったのに、お前は変わらず、僕に「普通の青春」を望む?
脳内には、あの夜のくるみの発言がこびりついている。
『私にも、命ぐらい懸けさせてくれない? ねぇ、いいでしょ』
くるみが寝静まった後、リビングで考え事をしていると、ふいに通信機が震えた。
目をやれば、谷川からの連絡が入っていた。『そとでろ』。外、出ろ? なんだ急に。
「……まさか、任務か?」
僕は恐る恐る窓の外を見た。路上には、見慣れた車が一台。谷川のものだ。
続けて、通信機が震える。メッセージが入っていた。
『ちなみに任務じゃない』
その一文に、僕は安堵した。安堵してすぐ、だとすれば何事だ? という疑問が湧く。
くるみを起こさぬよう、足音を殺して外へ出た。すると、運転席に乗ったままの谷川が、
「よぉ、暁月。夜更かししてんなら、ちょっと先生に付き合えや」
軽薄な笑顔を浮かべて、そう言った。
◆◆◆
「男子生徒との密会。こいつがバレたら、先生もクビだろうねぇ~」
運転席には谷川。助手席には僕。庭に備え付けの駐車場に停めた車の中に、僕たちはいた。
「そうだな。かなり危険な状況だ。だから、手短に頼むよ」
「おいおい。ひとの冗談を揚げ足みてえに担ぎ上げんなや。相変わらず性格が悪いな、お前は」
「ウィットに富んだ返答だろ。ユーモラスだ、と褒めそやしてほしいね」
へいへい、とへそ曲がりな相槌を打ってから、谷川は胸ポケットからタバコのボックスを取り出した。タバコを一本くわえて、ライターで火をつけた。
「それで、何の用事だ?」
訊くと、谷川は、ゆっくり煙を吸い込んでから吐き出したあとで、
「臥待の様子はどうだ?」
と質問に質問で返した。
くるみの話? こんな平日の夜遅くに呼び出してまで?
「普段通り、だが」
「そうか」と谷川は肯く。それから、「実はな、昨日、臥待に呼び出されたんだ」
僕の知らない話を、始めた。
「くるみに? なんの用で。学校のことか?」
「だはっ。お前、この状況をただの家庭訪問かなんかだと思ってるんじゃなかろうな? ま、あながち間違ってもないか。暁月……あいつは、勘づきつつあるのかもしれんぜ」
「…………? どういう意味だ」
谷川はタバコを灰皿に押し付けて、火を消した。そのあとで、窓ガラスを閉めて、
「あいつが訪ねてきたのは夕方頃だったよ。まず、『私と暁月さんが出会う前から、先生たちは知り合いだったんですか?』と訊かれたさ。それ自体は、なんてことない世間話だ。おー、と答えてやったよ」
「それが、なんだ」
「問題はここからだ。臥待はこう続けたよ──」
谷川は、普段はあまり見せない表情をしていた。真剣な顔。そのせいで、こいつが語ろうとしている内容の深刻さが伝わってくる。いやまて、……深刻? そこで僕はハッとする。
『つまり、私を知ってたんですね。十二年前から。……そういうことに、なりますよね?』
谷川の口から発せられたくるみのセリフは、僕を動揺させるのに充分すぎた。
「さー、暁月。この発言、お前はどう解釈するよ?」
「……。どうもこうも、ただの世間話だ……と言いたいところだが」
「だなあ。ちょっと、察しが良すぎるよなあ。先生たちの関係を明かしただけで、そこまで考えが至るもんかね。お前の育て方がよすぎたのかもな」
「……お前は、なんて答えたんだ」
「上手く誤魔化したつもりだよ。そりゃあ当時から知ってるよ、暁月の担当なんだから、とかね。それで、いったん追及は終わりさ。そのあとは臥待が持参したスイーツを二人で仲良く食べて、楽しい時間を過ごしたさ」
頬が引きつる。誤魔化した、と谷川は言うが、本当に上手くいったのだろうか。谷川のことだから大丈夫だろう、という信頼はある。その一方で、
「私にも命を懸けさせてほしい……そう言われたんだ。お前にはどういう意味か分かるか?」
あのくるみの発言が、どうしたって気になる。
「だはっ。さぁな、真意は知らん。だから、これは杞憂であってほしいが、」谷川の視線が、こちらへと向く。「いずれ、あいつは一線を踏み越えるかもしれなんな。我々が貫き通してきたそれを、知ることになるのかもしれん」
谷川は、つかみどころがない。いつだってフザけた面をして、豪快な笑いで本心を包み隠して、だから胸中で何を思っているのか、僕にも分からない時が多い。
いまもまさに、それだ。いったいどういう感情でいるんだ、お前は。どんな考えがあれば、
「十二年間の真実、にな」
この状況で、笑っていられるんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます