016 命ぐらい懸けさせてくれない?
◆◆◆
商店街を抜けて大通りに出ると、見慣れた車が停まっていた。その横に、
「やあ、おそまつさま。迎えに来てやったぜ」
谷川は、腕組みをしながら言った。僕は、現場に残された日本刀を差し出す。
「ほらよ、〈
「サンキューな。預かっておくぜ」
谷川が〈脱殻〉を右手で受け取る。とその時、彼女の左手に黒い小さなバッグがあることに気づいた。それに目をやると、谷川は笑って、
「あ、これかい?」と、胸のあたりまで持ち上げた。「空き時間にさ、レンタルしてきたんだよ」
「レン……タル?」
「ああ。ほら、
「………………」
呆れた。正直、心底呆れた。
こいつ、僕が傷だらけで任務に取り掛かっている間、呑気にレンタルDVD店にいたのかよ。しかも、「空き時間」って言ったな? 確実に言ったよな、今。
「なんだよ? スパイ映画じゃ嫌か? もしかして、ミュージカルの気分だったのかよ」
「そういう話じゃない」
谷川との温度感に果てしないギャップを感じながらも、そこを突いたとてこいつはノーダメージだろうし、喉まで出かかった言葉は、いったん飲み込むことにした。これは長年の付き合いで会得した、谷川にのみ通用するアンガーマネジメントだ。もちろん皮肉だ。
そして、その代わりに、
「とにかく、全員無事でよかったよ」
そう言って、車のドアに手をかけた。
「あー、まあ確かにな。先生も人間だから、簡単に死ぬしな。なんだ? 心配してくれてるのか? だはっ、可愛いところあるじゃねーか、
「……。そんなこと、一言でも言ったか?」
「顔が言ってる。人間もミアキスも、感情があるってところは共通してんだ。取り繕うのが下手だと、こうやって人間に看破されんぜ、気をつけな」
その忠告が、妙に的を射ていたものだから、沈黙を返すしかなかった。
「せっかくだし、もう一つ。お前が安心する事実を教えてやろう」
僕が助手席に乗り込むと、谷川は運転席のドアを開けて、
「あの危険因子だが、独身だった。子供はいなかったよ」車に乗り込んだ。「つまり、本件で『
僕は、しばしの間をおいて、
「それは……なによりだ」
◆◆◆
セーフハウスに到着したのは、日付が変わる頃だった。
くるみは眠っているだろう、と思った。いいや、眠っていてほしかった。いちばん不安な気持ちにさせたのは、間違いなく彼女だ。僕には、くるみの「平穏」を護る義務がある。だのに、あんなことに巻き込んでしまった。もう一度、何事もなかったように、幸せな日々をやり直せると思いたかった。だから、すやすやと寝息を立てて眠るくるみの、安心した顔を見たかった。
結果から言えば、くるみは眠っていなかった。それでも、ある種、僕の願いは叶った。
「……おかえり。谷川先生、暁月さん」
くるみは、両手を広げて、僕たちを出迎えてくれたのだ。
こうして、今回の事件は幕を閉じ、平穏が戻ってきた。
その夜、僕たちは、かなり久しぶりの夜更かしをした。
谷川が借りてきたスパイ映画を、三人で鑑賞した。とはいえ、谷川は開始三十分くらいで早々に寝落ちていたので、結末まで観たのは僕とくるみの二人だけだ。盛り上がるシーンでくるみは声をあげて興奮していて、その彼女の姿を見るたび、僕は嬉しくなった。
普段のくるみだ。なにごともなかったかのような、いつも通りの彼女だ。
「もう、大丈夫なんだよね?」
映画がエンドロールに突入したあたりで、くるみが尋ねた。僕はそれに、深く肯き返した。
「じゃあ、明日からは家に帰れるんだよね? 週が明けたら、学校にも行けるんだよね?」
「ああ」
「そっか……。よかった」
僕たちの「平穏」が崩れていないことが、なによりも嬉しい。二人ともそれを望んでいるんだ、って確かめ合うようなやりとりが、心地よくて仕方なかった。
素敵な時間にしようね。と唱えて眠った入学前夜のくるみを思い出す夜だった。ずいぶん昔のことに思える。でも、ほんの二週間前のことなんだよな。たった二週間で、こんな事件を起こしてしまった自分が不甲斐ない。だからこそ、僕はこれからも、平穏を護り抜くよう力の限りを尽くすと、心に固く誓うよ。くるみが楽しく青春を送れるように使命を全うするから。
そう考えていた時、くるみの頭が、僕の肩にもたれかかった。
「……パパ。実はね私、決めたことがあるんだあ」
それからくるみは、普段通りの、他愛もない会話を始めた。
と、僕は思っていた。
少なくとも、くるみのその宣言を聞くまでの僕は。
「あのさ、」
「私にも、命ぐらい懸けさせてくれない? ねぇ、いいでしょ」
<第4話に続く>
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