014 答え合わせ、最後の項目
音に誘われるように、寝室へ向かった。
枕もとに置かれていたスマホが震えている。それに近づいて、画面を見て、手を伸ばすのを躊躇ってしまった。なぜならば、ヨーコの名前が表示されていたからだ。
コールが繰り返し、繰り返し、鳴っている。朝のアラーム音みたいなけたたましさで、ひとりぼっちのこの部屋の中に響き渡る。私に、目を覚ませ、って言っているように聴こえた。
呼び出し音が途切れた。しばらくして、今度はチャットアプリの通知音が鳴る。
【
それからまもなく、再度、通知音が鳴った。
【蓮沼葉子 : ひー君、ケガは大丈夫?】
現実から目を背けるにも、もう限界だ。私は、受け入れなくちゃならなかった。
曖昧な記憶の断片が、すべて線で繋がった感覚が私を襲った。ヨーコが階段から落ちた事故は現実の出来事だった……それが答え合わせの最後の項目に思えた。
スマホの画面に目を落とす。『ひー君、ケガは大丈夫?』、ヨーコから送られてきた内容に、なにを返信すべきか、分からない。大丈夫? いいや、大丈夫なわけがない。あの出来事があって、そのせいか分からないけど、パパは刀を持った人に襲われて、腕を斬られて……先生と一緒に、どこかへ行ってしまった。もしかしたら、とっても危険なところへ行ってしまったのかも。その状況を『大丈夫』だなんて言いきれやしない。
けど、きっとヨーコは心配してくれているんだ。パパのケガのこと。だったら、『大丈夫』の返事をしなきゃ。それがたとえ、嘘でも。
「嘘、でも……」私は、私の思考の末尾についた不穏な言葉を、つい声にしてしまっていた。そのせいだろう。「……そう、だよ。嘘だよ。パパが大丈夫だなんて、嘘……」
不安は肺いっぱいになるまで膨張してしまった。胸が苦しくなった。
もはや、パパも先生もいなくなった部屋にひとりぼっちでいる現状の意味は、明明白白だった。セーフハウスという名のシェルターに、安全圏に、私はひとりだけ取り残されたのだ。
私だけが何も知らないまま、何も知ろうとしないまま取り残されたのだ。
そんな自分が不甲斐なくてたまらなかった。力になれないどころか、足手まといになっている気がして、最悪の気分だった。ヨーコの連絡も半ば無視して、感情を整理しようともがいて、それでもどうにもならない自分も、とても嫌だった。
けれど。そんな、奈落の底へと落下していくような私の感情を繋ぎとめたのは、
【蓮沼葉子 : ごめんね】
ヨーコから届いた、四文字だった。
直後、私の思考は停止した。
ごめんね……? その言葉の意味が分からなかったのだ。どうして、ヨーコが謝るんだ。謝られるようなこと、なにもされていない。喧嘩したわけでもないし、だとすれば、なんだ。
ようやく、私の指は動き出す。
【
ヨーコからの返信は早かった。一秒も経たずにすぐさま、次のメッセージが届いた。
【蓮沼葉子 : わたしのせいだから】
【蓮沼葉子 : ひー君がケガしたの、わたしが先輩を追いかけたせいだから】
その瞬間。私の頭の中に、ヨーコの叫び声がフラッシュバックした。
『せんぱぁいッ! ユウナベ先輩!』
あれだけの人混みの中にいても一発で見つけることが出来るくらい、派手な銀色のウルフカット。その背中めがけて、大袈裟な声を上げた、ヨーコの表情までもが、脳裏に蘇った。
【臥待くるみ : あの人、ヨーコの先輩だったの?】
心の整理を後回しにして、私は文字を打つ。送信ボタンを押す。
【蓮沼葉子 : うん。中学の軽音部の先輩】
【蓮沼葉子 : ちなみに高校も一緒。
それでふと、疑問が浮かんだ。同じ学校? しかも軽音部は、ヨーコが入ろうとしている部活だ。だったら、あんなに必死になって背中を追いかけたのはなぜなんだろう。まるで、ようやく見つけ出した、みたいな、悲願の再会、のような振る舞いをしたのは、いったいどうして。
通知音が鳴った。画面に目を落とす。
【蓮沼葉子 : あの人は、わたしが中学一年生の頃にお世話になった人だったんだ】
【蓮沼葉子 : その年の冬ごろに学校に来なくなるまで、ずっとお世話になった人】
学校に来なくなった……それで会えなくなった。そういう話、なのか……。でも、
【蓮沼葉子 : でもね去年の秋ぐらいに、常磐西の軽音部にいるってきいてさ】
【蓮沼葉子 : だからさ、入学したら絶対会いに行こーって決めてたわけ】
【蓮沼葉子 : なのにあの人、高校でもばっちり半不登校の幽霊部員やってるらしくてさ】
その人との再会は、同じ高校の同じ部活動に入っても叶わなかった。という。
【蓮沼葉子 : だから、駅前で先輩を見つけたとき、奇跡みたいに感じたんだ】
【蓮沼葉子 : それで周りが見えなくなった。とっさに、おいかけてしまった】
【蓮沼葉子 : ごめんね。わたしのせいで、イヤな気持ちにさせてしまった】
【蓮沼葉子 : ほんとうに、ごめん。ごめんね。言い訳みたいになってるのも、ごめん】
そこで、メッセージは途切れた。画面の左側を埋め尽くすように、ヨーコの言葉が並ぶ。
初耳だ。あのウルフカットの女性とヨーコの間にそんな過去があったなんて知らなかった。でも、その話を聞いたところで私に何ができるんだろう、とも思った。
先輩とヨーコとの間にあるものに、私は介入できない。ヨーコを救う術は、なにひとつない。
それはパパのことも同じだ、なんて無意識のうちに重ねている自分に気がつく。でも本当にそうだ。私がおかれている現状は、得体が知れない。パパたちはどこへ、何をしに行ったのか、何に立ち向かっているのか……それさえ知らないで、知らされないで、およそ部外者みたいな立ち位置で、庇護されている。
でも────私の頭はようやく、夢から覚めて、冴えてきたらしい。
「悲しいことばかりが起きて、それになにもできないのが、一番悲しいな」
そう独り言のように呟いたとき、胸騒ぎが止んだ。そんな感覚になった。
そう。そうだ。悲観しているばかりじゃ、私……このまま変われない。だったら、変わらなきゃ。奮い立たせなきゃ、私を。
「悲しいことを、悲しいままで終わらせないようにしなきゃ」
スマホの画面から、視線をあげる。今もなお、私は部屋の中でひとりぼっちだ。
けれど、どうしてだろう。さっきまでとはまるっきり景色が違って見えた。ここは、パパと
じゃあ、なに? それはたとえば、パパたちが無事に帰ってくるのを待つためのホームだとしたら……ふと私の頭に浮かんだのは、そんな、希望だった。
今日まで私が知らなかったことは、私のせいだ。だから無力な私はここで待つことしかできない。でも、これからは違う。もう無力でなんかいられない。そう思うのが許されるなら。
私は、指を動かす。必死に頭を働かせて、文字を打つ。
【臥待くるみ : また遊びにいこうよ。
ヨーコには突拍子もない話に見えるだろうか。それでもいいや。私は、続きを打つ。
【臥待くるみ : それでさ、そこに先輩も誘ってみるってのは、どうかな】
その提案は、私の手元にある有限の選択肢から選び出した答えだった。
私は、なにもできない自分に甘んじたくなかった。完璧な打開策じゃなくてもいい。背中を押すそよ風みたいな、行く先を照らす常夜灯みたいな、ほんのわずかでも力になれる可能性があるなら、私は動き出してみたい。
【臥待くるみ : だって昨日、すごく楽しかったから。また、ああいうことがしたいから】
それが私の本音だったのは言うまでもない。でも、もはや叶わない夢なのかもしれないと思わされる事件が起きたのも事実。そして、たとえ叶わない夢でも、もういちど現実にしたいと願ったのも事実だから、
「だからさ、パパ。ヨーコ。……私──」
私は、宣言にも似た呟きを一つして、目を────
◆◆◆
────見開いた。見渡す限り、ここには夜の暗闇だけが存在している。
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