第3話「〈S2CU〉の胃袋」
011 助けてやるよ。盛大に感謝しな
◆暁月日々輝◆
当然、僕自身の身体のことだ。くるみよりも早く異変に気付いた。しかし、すぐには原因が分からなかった。どうして僕の右腕が──無い?
土砂降りと雨傘のせいで、視界不良。原因不明。
「へ?」
という声が、正面で鳴った。直後、僕の血がくるみの顔を濡らす。
それでようやく、喉が震えた。
「くるみッ、逃げろッッッ!!!!!!!!」
僕の声は、絶叫に近かったろう。くるみを怖がらせたかもしれない。けれど、叫ばずにはいられなかった。何者かに襲われたのだ。襲われ、右腕を斬り落とされた。それから視線を右へ移した。そこに、全身を黒いコートに包んだ人型。手には刀。
そういえばネットの情報で、精巧な日本刀は切れ味抜群だから斬られた部分がすぐくっつく、と読んだことがあるが、アレはたぶん嘘だな。僕の右手はくるみの肩に置かれたまま、無様に宙に浮いている。なんて言っている場合か。状況把握を済ませた、ならば、対処だ。
腕から切り離された身体が重心を崩し、背中側から転倒しはじめていると気づく。わずかではあるが、くるみとの間に距離が生まれた。まずい。
くるみを護らなければ。この刀を持つ人型に傷つけられるのを阻止しなければならない。
だから僕は────身体を諦めた。
宙に浮く右腕、地面へ落下しかけているそいつに、僕は意識を移動させた。
「パパぁああっああアああああッっッっっ!」
くるみの声が響く。僕を呼ぶ声。答えてやらなくちゃならない。
右肩から胸と頭、腹、足にかけて、肉体はサラサラと消失し始める。その粒子は──斬られたはずの右腕へと移動し、右肩から胸と頭、腹、足にかけて復元していく。
そして、僕は声を出す。棄てた方の身体ではなく、復元した身体の、その喉で、
「大丈夫だ」彼女の肩を抱いて、「僕は、ここにいる」
「…………っ、ぱ。パパぁ……」
どうして、と言いたげな表情だ。そりゃあそうか。この特性を見せたのは、初めてだからな。
言ってしまえば、これも秘めごと、に含まれるだろう。
対象は……まあ、ミアキス以外の全種族、ってことでいいか。
内容は、「不老不死」の真実、だ。
人間の外見をした、不老不死の生命体──ミアキスにとっての不老不死とは、「傷ついたり老いたりしない肉体を持つ」ことではない。「その肉体を、同一状態に保つために働く自己修正能力」を指す。つまり、暴力によって傷がつく、といった外的刺激で傷つくことはあるが、その瞬間から、元の状態に戻るべく復元が始まる……そんな感じだ。
では、肉体が二つに分断された場合、その能力はどちらの部位をコアとして機能するか?
答えは、僕の意思ひとつでどちらでも可能、だ。
今回の僕は、肩から元を棄てた。そして、肩から先……右腕を復元コアに選択した。一ミリでもくるみに近い部位をコアに。そういう、くるみを護るための咄嗟の判断だった。
結果、こうして僕はくるみの肩を抱き、黒い人型と距離を取ることに成功している。
ミアキスになって不便なことは増えたが、こういう状況では、ご都合な身体だ、とありがたがるほかない。種の起源や進化過程は存じ上げないが、凄まじい防衛手段を身に着けたものだ。
身に着けた衣類まで、元の状態を保持している。人間の被服文化まで取り込み、擬態に尽くしたってわけだ。まったく、我ながら恐ろしい種族だと思うよ。
黒い人型が首を傾げた。表情は、フードとマスクに覆われていて見えない。感情も読めない。また襲い掛かってくるつもりか、だとすれば僕が次に取るべきアクションはどれだ。
向こうにまだ戦闘の意思があるならば、背を向けるのさえリスキーだ。
だが、そいつはなぜか動き出さなかった。それどころか、刀を鞘に収めて、
「………………」
顎を突き出した。
なんだその動作は、まさか……行け、とでも言うつもりか?
分からない。狙いはなんだ? 僕の討伐? けれど分が悪いと判断した、とでもいうのか。
「……ぁはぁっ、はぁ、ぱ、パパぁ……」
腕の中で、くるみが嗚咽を漏らしている。呼吸が荒い。危険な状態だ。
そうだ。僕の最優先事項はなんだ。くるみだ。こいつを護り抜くこと、そうだろう?
意を決する。これは賭けだ。僕はくるみを両腕で抱き上げ、全速力で逃げ出した。
◆◆◆
黒い人型は、追ってこなかった。
くるみを抱えて、自宅へと逃げ込んだ。リビングへ戻ってきてもくるみの呼吸はまだ荒く、過呼吸気味になっている。ゆっくりと呼吸を整わすため、背中をさすった。
「……っはぁ……ね、ねぇ」
「何も言うな。いまは、何も」
「なにっ……なんなの……はぁっ、ねぇあれ……パパ……パパの手……」
「大丈夫だからっ。落ち着け。僕は生きてる。大丈夫だから」
大丈夫、大丈夫だ。おまじないのように、何度も何度も繰り返す。
しばらくして、呼吸も落ち着いたくるみを、ソファに運んだ。そのあとで、脱衣所からタオルを持ってきて、雨でびしょ濡れのくるみの身体を拭く。震える彼女の手を握る。その手を握ったまま、僕は次の手を打つため、
「……ああ、僕だ。厄介なことになった」
スマートウォッチ型の通信機から、連絡を入れた。
そして……こいつに使うのは心底イヤな言葉を、仕方なく口にする。
「頼む、助けてくれ」
すると通信機越し、彼女はいつもみたいに豪快に吹きだして、
『だはっ。たまには素直なお前もいいな』この状況に似合わない軽薄な言葉を吐く。『いいぜ。助けてやるよ。盛大に感謝しな』
◆◆◆
彼女は、五分も経たないうちに到着した。
自家用車を、使う予定の無かった我が家の駐車場に停めて、
「とりあえず乗れ。安全な場所に連れて行く」
くるみを背負う僕に、言った。
スーツ姿に身を包み、長く伸びた黒髪を後ろで一つにまとめている。おまけにサングラスをかけていて、顔が見えない。いつもの姿と違うのは、一応カモフラージュのつもりなのか。はたまた、特に意味は無いのか。まあ、後者だろうな。
「まったく。勤務時間外に呼び出されてさ、迷惑してんだよ。突っ立ってないで早くしな」
と言いながら彼女は、サングラスを取った。ハッキリと顔が見えた。見飽きた顔だ。
二十年も見続けていれば、そりゃあ飽きる。さらに最近は、日中だって見ているわけで。
「なんっ……で?」背中から、くるみの声がした。「ここに……いるんですか……」
くるみは驚いているようだった。まあ、当然か。この緊急事態を打破するために呼んだ助っ人が知っている顔だなんて、まさか思わなかっただろうな。
「おい。この期に及んで説明してなかったのか、お前は。そんなんで共同生活は上手くいくのかい? まったく──」
そう言って、彼女は笑う。
「──先生は心配だよ」
◆◆◆
谷川恵空。職業、
けれど、それは表の顔。いや、それだと語弊があるな。まるで、これまでも教師を隠れ蓑としてきた、という聞こえ方になるがそうじゃない。谷川が教職に就いたのは、この四月からだ。
僕と
では、元は何者か。ミアキスではない。彼女は、れっきとした人間だ。
人間にして、ミアキスを認知している存在。もっと言えば「種の保全」を建前にミアキスと同盟を結び、人間社会の安全保障に努める組織、
「国際特定種保全連合──通称、〈
「えすつー…………なに、」
「だはっ。臥待はムリに覚えなくていいぜ。テストに出しゃしねーから。無論、出せるわけもないけどな。S2CUの存在はミアキス同様、世界的に秘匿されてんだ」
内容に相反して、『世界規模の秘密』を開けっぴろげに語る谷川に、僕の頬は引きつった。この状況じゃ仕方ない部分もあるが、あまりにも躊躇が無くて、引く。
「で、だ。先生は
絶妙に喩えになっていない説明にも、引く。が、しかし、
「情報共有はそのへんでいいだろ、谷川」
これ以上、くるみを巻き込みたくない僕にとっては、伝わりにくい説明の方が好都合だった。
僕らを乗せて、谷川の車は神奈川県郊外のマンションに到着した。ごくごく一般的な外観の十階建て。そのマンションの駐車場に車を停めて、僕たちは外に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます