007 もしかして彼氏?

『え、遊び? 今から? まあ、別にいいけど』


 電話越しのヨーコは、いつものテンションだった。

 たしかヨーコは軽音部の体験入部に行く、と言っていた。だから正直、誘うにも気が引けたのだけど、あっさりオーケーが貰えて、私は胸を撫でおろした。


『でも、ちょーっと今さ、一人じゃなくて。やかましい姉妹と一緒なんだけど』


 しかしどうやら、現在のヨーコは、それとは別の事情を抱えているらしい。


『軽音楽部に入部予定の同級生なんだけど。双子でさ。あ、中学も一緒だったから普通に顔見知りではあるんだけど──』


 ガサゴソ、という音が電話越しに鳴って、すぐ、ヨーコ以外の声が聴こえた。


『あ、もしもしー? 蓮沼はすぬまの友達?』

『ウチら、チノです。あ、苗字ね。数字の千に、乃木坂の乃。合体させて、千乃ちの

『てかなにー? 遊び? いいじゃん、行こうよ』

『カラオケがいいな、カラオケ』


 交互に鳴った声は、別々の人のものだってすぐに分かったけど、あまりにも似ていて混乱した。双子の姉妹……ってウチのクラスにはいなかった気がするし、完全に初対面だ。なのにグイグイ来るから、ちょっとだけ面食らった。


『……ね? やかましいっしょ?』


 電話の相手がヨーコに代わった。 


『ってなわけで、なんかこいつらも連れて行くことになったけど大丈夫?』


 まあ、なにはともあれ、だ。ヨーコに千乃ちゃん姉妹に、私と留名るなちゃん。合計五人ともなれば、「みんなで」という条件はクリアだろう。


「うん。いっぱいいた方が楽しいし、最高」

『おーけー。じゃ、またあとでね~』


 というヨーコの言葉で通話は終了した。スマホをポケットにしまい、留名ちゃんの方を向く。


「ってことで、カラオケに決定! ヨーコたちも来るって!」

「からおけ、ですか。良いですねっ!」


 さて。ここまで順調に事は進んでいる。けど、さっき咄嗟に思いついたアイデアを実行に移すためには、ここからが本番だった。なぜなら、遊びに誘いたい一番の相手に、「みんなで」の中に含めたいその人に、まだ声をかけていないから。


「それでね。留名ちゃんには先に向かっていてほしいの。私は後から行くからさ」


   ◇◇◇


 留名ちゃんと別れてから、なるべく人のいない場所を探した。昇降口近くに、プレハブ小屋があった。私は、隠れるように小屋の裏へ移動した。

 あたりを見回す。誰もいないことを確認して、電話をかけた。


 電話は、三コール目でつながった。


「あ、もしもし? あのさ、これから出かけない? あ、ちょっとね、ヨーコに誘われて軽音部の見学に行っだんだけど。そう……うん、それでさボーカルやりたいなって思って……でも私、経験ないし練習しなきゃじゃん? だから付き合ってくれると、嬉しいなっていう……」


 私が喋った内容は、徹頭徹尾、嘘だった。これは、過度に警戒されて断られる、なんてことがないようにするための、私なりの作戦だった。あくまで二人きり。いつも通り、日常の延長線上、って信じ込ませなくちゃならない。私のためだ、って思わせなくちゃならなかった。


 なんてったって電話の相手は、どうしても誘い出したい本命のその人は、自分の青春を蔑ろにしてむすめに尽くすことばかり考える人──パパなのだから。


『ああ、そういうこと。……カラオケか』


 歯切れの悪い返事が返ってきて、ちょっとだけ弱気になった。でも、ここで折れちゃダメだ。目的を果たすために、パパに青春をエンジョイしてもらうために、どうしても誘い出したい。


 だから私は、最終手段に出ることに決めた。



 私たちには大切な秘めごとがある。

 対象は、クラスメイト。

 内容は、私たちが親子であること、だ。



 その秘めごとを貫くため、同じ高校に進学する条件として、私たちはこの呼び名を封じた。外では「暁月あかつきさん呼び」を徹底すること、という約束を交わした。なので、クラスメイトが周りにいる時、この呼び名を使うのはご法度だ。


 でも逆に、それを使うことが、隣に誰もいないという証明になる。彼の油断を生む。ということを、私は充分に理解していたから、


「だからさ、お願い。三十分後に横浜駅に来てよ。待ってるからね」

 私は語尾に、わざとこう付け足したのだ。

「パパ」


   ◇◇◇


 夜に片足踏み込んでいるような時間帯だからだろうか。横浜駅のみなみ西口前、交番のすぐ隣には待ち合わせをしている人がたくさんいた。駅舎の太い柱にもたれかかって、スマホを見ながら待つ人たちは、たいていが一人だった。私も同じ。一人で、パパを待っていた。


 パパがやってきたのは、約束の時間になる二分前。


「くるみ、お待たせ」


 彼は、普段通りのテンションだった。疑っている様子は微塵もない。


 私は、直前まで観ていたショート動画のアプリを閉じて、スマホをポケットに仕舞い、

「ううん。突然ごめんね。来てくれてありがと。じゃ、行こう」

 なるべく、普段通りを装って歩き出した。


 待ち合わせ場所の交番から、目的のカラオケボックスまでは歩いて五分ぐらいだ。駅の出口からまっすぐに伸びる道は、ほとんど歩行者天国みたいになっている。左右には居酒屋やらラーメン屋やらがズラリと並んでいて、その一角に目的地はあった。


「でも、わざわざ横浜駅まで来なくてもよかったけどな。カラオケなら近所にあるだろ」


 カラオケの前までやってきたとき、パパにそう言われてちょっとだけ焦った。

たしかに、横浜駅は私たちの家から少し遠かった。最寄り駅から十分くらい電車に乗らないとこられない距離だ。でもこれには事情があって、千乃ちゃん姉妹のご要望にお応えしたという背景があって……と言うのは、まだ早い。


「いいじゃん。来たことなかったでしょ? ふたりで」


 ふたりで、を強調してお茶を濁して、自動ドアをくぐった。


 入店するとすぐ目の前に、受付があった。学校終わりの学生が順番待ちで列をなしている。ちょうどピークタイムなのだろう。私は、その横を素通りして、

「おい、受付は……」

 というパパの言葉を無視して、早足で進んだ。奥に階段がある。昇っていく。


 三階。突き当りの部屋。308号室。ヨーコからさっき電話で聞いた部屋番号。


 カラオケボックスって、そこそこ防音性に優れているから、中から音は聴こえない。けどドアの前まで近づけば、さすがに、部屋の中に人がいることが分かってしまう……分かってしまったんだろう、パパも。


 ドアノブを掴んだとき、その手をパパの右手が上から押さえた。


「くるみ。……さては二人じゃないな?」


 私は答えなかった。だって、わざわざ答えずともこのドアを開ければ──


「うぃ~! やっと来たねえ! 遅いよ、くるみぃ!」

「おっ、おっ! 君が蓮沼の友達? それに、隣のは、」

「もしかして彼氏?」

「あっ、おはつに、お目にッ、あの、かかります……」


 ──ネタ晴らしは済むし、ね。


 ヨーコ、千乃ちゃん姉妹(たぶん)、留名ちゃん。高校生四人が集うカラオケボックスへの誘導に、私はこうして成功した。隣のパパへ、成功のピースを掲げる。


「ピースじゃねぇよ……騙したな」

「やだなあ。人聞きの悪いこと言わないでよ。サプライズだってば」


 言って、私はテーブルを囲うように設置されたコの字型のソファの、入り口に一番近い席に腰を下ろした。それから、ドアの前のパパに手招きをした。


 パパは直立不動のまま、すっごくめんどくさそうな顔をしていた。なにか悪いことに巻き込まれた、僕は被害者です……みたいな表情。でも、私はその気持ちを汲んであげない。


 だってこれは、パパを緊急事態から救い出すための作戦パート2なのだから。


 パート1の「体験入部編」では見事に敗北を喫した私のリベンジマッチ。自分の青春を蔑ろにして「父親」に専念しようとするパパを、私は絶対に認めないから、という執念のカウンターパンチであり、逆転の一手だ。


「暁月さん、彼女たちが私の友達。留名ちゃんと、ヨーコ。あと、私も初めましてだけど、こちらは千乃ちゃん姉妹」

「…………」

「ほら、ちゃんと挨拶するっ!」


 パパにもちゃんと「高校生」をしてもらうから。私の青春に巻き込んでやるから。という気持ちで、パパの反応を待った。そう。これは「いっそ青春をシェアしませんか」という誘いで、私なりの親孝行でプレゼントで、「とにかく愛だし受け取ってよ」という願いなんだ。


「……躾みたいな言い方するなよ」

 パパの目をじっと見つめる。するとしばらくして、パパは観念したかのように、

「一年一組、暁月日々輝あかつきひびきです。……どうぞよろしく」



 たった一言の自己紹介。それだけで、私は満足だった。



 私の願いは届いた。……と確信するには早すぎるかな、どうだろう。到着したばっかだし、パパはデンモクに手を伸ばそうとしないし。それに斜め前を見れば、留名ちゃんのドリンクグラスは満杯のまま、どこか緊張している風だし、はたしてここにいる全員が楽しい時間を送っているかと問われたら、分かんない。けど、


「まあ、たまには……こういうのも悪くないか」


 千乃ちゃん姉妹がデュエットソングを歌っている最中の、パパの一言を、私は聞き逃さなかった。留名ちゃんが、ぎこちない手拍子をしている様を、私は見逃さなかった。

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