006 つまんないパーティー、一緒に

   ◇◇◇


 放課後の校舎内は、いろんな環境音が混じり合っていた。廊下に響き渡る、管楽器の「ぶおー」という音色。息継ぎの合間に聴こえる、運動部の野太い掛け声。踊り場からは動画撮影をする女子グループのはしゃぎ声がしている。どれもこれも、青春、って感じ。青春の不協和音。


 廊下を歩く私と留名るなちゃんの足音は、その不協和音にかき消されるほど頼りないボリュームだった。そう感じるのは、私が落ち込んでいるからだろうか。


「いやぁ~、よかったです。臥待ふしまちさんが快諾してくれて。わたくし、今日もひとりで参加するハメになるところでしたよぉ」

 留名ちゃんはそう言って、両手をぱちんと合わせた。それから、あはは、と笑う。

「ううん。私も行く人いなくて困っていたところだったし、ちょうどよかった」

「そうですか、あはは。よかったぁ、勇気出して誘った甲斐がありました」


 上機嫌な様子で、にぱぁ、と笑う留名ちゃんの横で私は、ぬべらぁ、って感じの笑顔を無理やりに作った。誘われたことが嫌だったわけじゃなくて、むしろ逆。嬉しいしありがたかった。


「ささっ、どこから行きましょう? お目当ての部活はありますかっ?」

「実は、特になくて……。こういうのって、どうやって決めるのかな、みんな。あはは……」


 でもやっぱり、パパとの一件を引きずらずにはいられなかった私は、またしても愛想笑いをしてしまった。そんな自分が最悪だった。新しい友達を作るチャンスだってのに、心ここに在らずなのが、ほんとーに最悪だった。


 だから私は足を止めてしまった。何気なく、窓の外を見る。


 いま私たちがいるのは一号棟と二号棟を繋ぐ三階の渡り廊下で、窓の外にはテニスコートが見えた。テニス部が、二人一組でボールを打ち合っていた。テニスボールのブレない軌道と、互いのコートを行き交うリズムが一定で、なんとなく心地よい。


「臥待さん、テニス部に興味がおありですか?」


 と留名ちゃんに質問されて、テニス部のラリーに夢中だった自分に気づいた。声はすぐ右隣から聴こえたので、いつのまにか彼女も私と同じく、窓際まで近づいていたと知った。


「あ、えっと。……うーん。そんなにないかな」

「そうですか。ずいぶん熱心に見学されていたので、入部を検討されているのかと」

「ぜんぜん、私スポーツとか向いてないし……運動部に入る気は無いかなあ」


 本音を言えば、運動部に限らず、なんだけど。部活のこと、今は何も考えられない。


 でもこのまま悩みっぱなしで、頭の中がごちゃごちゃしたままなのはすごく嫌だったから、

「だあ~」私は大きな溜息を吐いた。「まあ、でも。他にやりたいことも無いしなあ」

 そして、どちらかといえばこれは、私自身を慰めるための思いつきだったのだけど、

「とりあえず、行ってみる?」


 そう、提案してみた。


   ◇◇◇


 しかし、結論から言えば、私の気持ちは変わらなかった。


 テニス部のプレーは、窓越しに見るよりも生で見た方が迫力あって、そりゃあ惹きこまれたし、テンションもちょっとは上向きになったんだけど、

「じゃあ、次。新入生、ちょっと打ってみよっか」

 と先輩が言い出したあたりから、またしても気分は急降下した。


 見学に来ていた同級生たちは、どうやらほとんどが経験者で、はじめっから上手なプレーをしている。一方で私は、ルールも知らない。コートのラインの意味も分かんない。一応、言われるがままにやってみたのだけど、ボールをラケットに当てることすらままならなかった。


 その上、体験入部に来ていた中で一番上手な同級生が、

「どうしても常磐西のテニス部に入りたいんです。良い環境で挑戦してみたいし、やっぱりインターハイを目指すなら常磐西じゃないっすか。全国でも有数の常連校なわけですし!」

 と熱弁していたのを聞いてしまい、場違いすぎて大量の冷汗をかいた。


 どー考えても、テニス部はナシ。てか、すぐに逃げ出したい。


「うわぁ! わたくし、ラケット持ったの初めてです! 臥待さん、見ていてくださいね。絶対にホームラン打ちますから! 対戦相手さん、かかってきなさい。キックオフです!」


 と、いったいなんのスポーツをしているかも分からない留名ちゃんを連れて、そそくさとテニスコートを後にした。


 やっぱり、運動部は経験者ばかりで馴染めないな。と、早々に見切りをつけた私たちが次に訪れたのは、映画研究会だった。


 映画に関してなら、私だって経験者だ。中学生の時はパパとよく映画館に行ったし、好きな映画だって『パディントン2』! とノータイムで答えられるし、これまでの十五年間でたぶん五十本くらいは観たし、上級者といっても過言じゃないでしょ。


「やや、新入生諸君。映画研究部にようこそ。我が部では、主に名作映画を週に十本鑑賞し、週末にはそれをもとにディベートを行い、年に二本の映画製作を──」


 訂正。過言。

 こんなガチだなんて聞いてないよ、とまたしても冷汗をだらだら流しながら、


「先輩っ、主演俳優と女優が恋仲になりやすいという噂は本当なのでしょうか!」


 下世話な質問を始めた留名ちゃんを、これまた連れ出すハメになった。


 運動部も文化部もダメ。まだ二つしか回っていないのに、私の心は完全にぽっきり折れてしまった。部活動に入るのって、こんなにハードルが高いもんなの? それとも、この学校が特殊なだけなのかな。いずれにせよ、私の居場所はどこにもなさそうで、まいった。


「さて、次はどこに行きましょうね」

「そう……だねぇ、あはは」


 こうして私たちは、ふりだしに戻ってしまった。あてもなく廊下を歩くだけ、という一時間前と同じ状況。それどころか、愛想笑いが下手になっている気がするから、悪化しているかも。


 部活動のことを考える気分になれない。体験入部に気乗りしない。留名ちゃんと上手く会話できない……の三重苦。いよいよ私は、限界がきていて、


「ねぇ、留名ちゃん」自分勝手だな、って自覚しながらも、「やっぱり、体験入部やめない?」


 この期に及んで、そんな提案をしてしまった。隣にいる留名ちゃんの足が止まった。


「……え? 臥待さん、やめたいのですか……?」


 数歩先で、私も立ち止まった。それから振り向き、肯いた。


「そう、ですか。……なら、まあしかたないですね……」

「うん。ごめんね、付き合わせちゃって……」

「い、いえっ。逆ですよ。わたくしが誘ったんですし……。でもまあ、部活、決まんなかったですけど、これはこれで楽しかったです。ありがとうございました」


 留名ちゃんが深くお辞儀をした。その丁寧な振る舞いと、自分のどうしようもなさが対照的すぎて、それで思わず顔を伏せてしまった。


 パパに体験入部を断られて、落ち込んで、中途半端な気持ちで留名ちゃんの誘いを受けて、付き合わせるだけ付き合せたあげくフイにして……たぶんこのまま家に帰ったら、ベッドに直行するんだろうな。そんな予感がした。


 けど、今から巻き返せる気もしないし、これは私の精神を守るための戦略的撤退。そう言い訳を用意して、それは胸の内に秘めたまま、私は口を開いた。


「じゃあ……行こ、っか」


 それから、顔を上げる。その時、なんだか久々に、彼女の顔を見たような気がした。


「……ですね。帰りましょう」だから、「……ひとつだけ、訊いてもいいですか?」


 留名ちゃんが、どこか残念そうな表情をしていることに、やっと気づくことになる。


 そんな顔をして、なにを訊きたいのだろう。見当もつかなかった。なぜだか、肯く勇気が湧かなかった。湧かなかったから、私は返答が出来ぬまま。留名ちゃんは、


「わたくしたち、仲良くなれました……?」


 さっきまでの上機嫌とは真逆の、弱気な質問をした。


 胸の奥に冷たい風が吹く。そんな気持ちにさせられた。一瞬、なにを訊かれたのかよく分からなかった。だって、留名ちゃんはずっと楽しそうで、満足げで嬉しそうで……私だけがそのテンションについていけないなんてダメだよなって、考えていたのに。


「……あ、いえ。なんでもないです。お気になさらず、です」


 言って、留名ちゃんは背を向けて、歩き出した。その先には階段がある。一階まで下りれば、昇降口があって、今さっきした約束通り、私たちは帰宅することになるだろう。


 でも、なぜ? いまさら私は、これで今日を終わりにしていいのかな、って考え始めている。


 やめよう、って言ったのは私。帰りたがっていたのも私なのに、今になって、


「るっ、留名ちゃんッ! やっぱり、帰るの、やめようっ」


 留名ちゃんを引き留めたくなっている。


「………………?」留名ちゃんが、振り向く。「え、っと。それは、どういう」


 呼び止めたあとで、やっちまったなあ、って反省した。けど、SNSのポストじゃあるまいし、発言は取り消せない。だったら突き進むしかないじゃん、と私は自分を奮い立たせて、


「えっとね、そのさ、つまり帰るんじゃなくて……えっと、体験入部でもなくて……こんなつまんないパーティー、一緒に抜け出さない? みたいな話っていうか……どこか、遊びに行くっていうのは……どうかなっていう」

「それは……わたくしと臥待さんの、二人で?」

「そう、」と口にした直後、私は閃く。「じゃなくて」


 いや、これは閃きというより開き直りに近いかもしれない。


 この時、私の頭の中に浮かんでいたのは、咄嗟の思いつきにしてはかなり完璧なもので、言うなれば今日という日の残念感を一気にチャラに出来るような、逆転の一手だった。


「みんなで、だよ」

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