005 これって緊急事態じゃない?

   ◇◇◇


「体験入部?」

 の話題が上がったのは、翌日のお昼休みだった。


「そう。くるみは部活動どこにすんの? わたしは軽音部に決め打ちしてるからさ、昨日からさっそく見学に行ってんだけど」


 言って、ヨーコは購買の焼きそばパンを一口かじった。私は、弁当箱からパパ特製の卵焼きを口に運ぶ途中だった。考えてなかったな、と思いながら、卵焼きを食べる。甘い。


 体験入部。五月から本格的に始まる部活動の、お試し期間的なやつだ。今週の頭くらいに、谷川たにかわ先生が説明してたっけか、と思い出す。「部活に入る奴がほとんどだと思うから、この機会にいろいろ見て回るといいぞ」とか、「想像とチゲェってなったらすぐに辞められるのが体験入部のいいところだ。どんどん活用してけ」とか言ってたっけ。


「そうだねぇ」


 部活動、ねえ。どうしようかな。やっぱりどこかの部に所属して、なにかしらの活動に打ち込むのが、高校生活のスタンダードではあるんだろうけど。だって、青春=部活、の方程式は、=恋愛、や、=勉強、と同じぐらい強いイメージがある。


 けど、なあ。


「くるみはさ、中学では何かしてたわけ?」

「それが、帰宅部だったんだよね。実は、趣味とかもなくてさー。あはは」


 これまでの私は、そんな感じだった。学校が終わったら即帰宅、パパとのおしゃべりを優先させてきた。友達はいたけど、放課後に遊ぶことは滅多になかったし、それで充分だった。


「まあ、焦って決めることはないけどさ。考えときなよ」

「うん、そうだね。そうする」


 一応、そんな感じの返事をして、ミートボールに手をつけた。


 弁当箱の中には、色とりどりの野菜やらなにやらが敷き詰められていた。これはパパが毎朝早起きして作ってくれるものだ。パパも高校に通うようになったってのに、こういうとこ、一切手を抜かない。


 そこでふと、ある疑問が胸の内に芽吹いた。いや、これは疑問っていうか、疑念に近い。


 パパは、部活動に入るつもりがあるんだろうか。

 どこに、とかではない、そもそも、の話だ。


「…………」


 昨日、パパが峰岸みねぎしくんに言っていたセリフを思い出す。


『ああ、ごめんね。今日は用事があって。また誘ってよ』


 ハッキリ申し上げると、パパは嘘をついております。私だけは、それを知っている。


 あの後、パパは家に直行した。ちなみに、私と二人で。家に帰ってからは家事をして、私の為の夕食を作って、そのあとで残りの家事をして……で、夜の時間を使い果たして就寝時間。

 高校に入学してから、ずっとそんな感じだ。相変わらず、というか、普段家にいた時間までを高校生活に割いているわけだから、これまで以上にハードなタイムスケジュールで「父親」を兼業している。ちょっとくらい手を抜いたっていいのに。私も手伝うのに。


 それでもあの人は、わたしの為に時間を使ってばかりだ。


 それはなんていうか、ちょっと、違う。


 一緒の高校に行きたい、という頼みごとは「毎日を犠牲にして付き合って」って意味じゃない。むしろ逆だ。「毎日が素敵なものになりますように」っていう願いだ。パパにだって青春はあって、それを一緒に分かち合えたらとっても幸せじゃない? っていう提案。


 なのに、彼にそのつもりがないんだとしたら……。


 さて、どうなんだろう。

 パパが部活動を入りたがる可能性ってどのくらい? あるいは、入る選択肢ってある?


 視線を手元に落とす。

 完成度の高いお弁当が、その答えに見えてしまって、もどかしくなった。



 だとすれば、これって緊急事態じゃない?



 授業が終わり、放課後。

 私は急いで、パパの席へと向かった。


「ねぇっ。暁月あかつきさん、この後ヒマ?」


 パパは下校の準備を進めていた。スクールバッグの中に教科書を入れて、ファスナーを閉じる途中で私に気づき、振り返った。


「え? いや、予定はないけど。なんだ?」


 言質、いただきました。って言っても、予定は無いって知っていたけど。それでも言葉を貰う工程って大事だ。お誘いがスムーズにいきやすくなる。

 よーし、と意気込んで、呼吸を挟む。それから、パパの顔を覗き込んで、


「よかった。部活動の体験入部が始まったじゃん? 今日、一緒にどうかなって」


 私は、言った。緊急事態からパパを救い出すための作戦決行だ。


 パパには高校生活を楽しむつもりがあるのか……仮にノーなのだとしたら、その考えを変えてあげたい。私の生活より自分の青春を優先してもいいんだ、って思ってもらわなくちゃ。


 体験入部っていうイベントは、そのキッカケになるんじゃないかな、って考えてみたわけだ。


 そこそこの勇気が要る誘いだった。それでも、こちらに分がある賭けだ、と思っていた。

 部活動に入る気がなくても、体験入部くらいなら丁度いいラインだし、それに私のお誘いだし。休日の外出とか、一緒にやるゲームとかと同じノリで、きっと受け入れてくれる──


「ああ、それなら僕は遠慮しとくよ。先に帰っとく。くるみはゆっくりしてきてくれ」


 ──という思惑は、一瞬で、脆くも崩れ去った。


 微笑みを浮かべて、柔和な声で、パパは言い放った。


 このお誘いに秘められし私の想い……を汲もうとする気配すらなく、他愛の無い日常会話の一ラリーとして処理された。あまりにもあっけなく水泡に帰す、私の勇気。そういえばネットで読んだんだけど、精巧な日本刀って切れ味抜群だから、切断面って凄く綺麗なんだって。あれ本当なのかなぁ? 綺麗すぎるから斬られた部分がすぐくっついちゃう、とかも言われていたけど、もしも本当だとしたら、いまの私、それね。斬られたことが自分でも気づかないくらいの傷つき方をしている。見た目じゃ分かんないでしょ。


 そういうわけで私は、動揺を表に出さずに済んだ。わりと平静を保ったまま、


「あ。そ、っか。うん。分かった。じゃあ、帰り、ちょっと遅くなるね」


 手を振って、教室を出ていくパパを見送った。


「………………」


 胸の奥底から悲しみやら切なさやらが湧いてきたのは、しばらく経ってからだった。


 ぜんぜん、涙とかが出るタイプの感傷じゃないんだけど、全力出したあげく空振ったわけだし、わりと虚しい。それになによりも、微塵も靡かなかった事実がしんどいっていうか、つまり、部活動をする気がゼロ、って仮説が見事に証明されたことになるわけで。


 嫌な予感が的中したってことになる。


「はぁ……」だから溜息一つ、「どうしたもんかなぁ」


 そして、ひとりごちた。その時だった。


「あっ、あのっ、ちょっとよろしいですか」


 背後で、甲高い声が鳴った。聴き慣れたヨーコのそれではないし、というか、口調が違う。誰か分からないまま、とりあえず振り向く。


「えっ。あ、はい?」


 すると、そこには小さな女の子が立っていた。『小さな』『女の子』と言っても、ここは教室。なので当然、私のクラスメイトで同い年なんだけど、そう形容するのが似合うぐらい可愛いらしい子だった。たしか、名前は……


「うぇっ、えっと、し、椎名です。椎名留名しいなるな、です」


 そうだ。椎名留名ちゃん、だ。

 身長が私より十センチくらい低いからたぶん140センチ代で、髪が腰あたりまで伸びている。両目がパッチリしていてまつ毛が長い。なんというか、「お人形さん」って感じ。


 そのお人形さんが、まばたきをした。ぱちくり、という擬音がつきそうな愛らしさだった。


「その、と、突然すみません。あの、ちょっと、なんて言いますか……」


 留名ちゃんはそう言ったあとで黙り、目線を右へ左へと忙しなく動かした。そしてしばらくして、目をギュッとつぶりながら、振り絞るように、


「わ、わたくしと体験入部に行きませんかっ」

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