第2話「迷子〈娘〉と雨のビート」

004 愛してんぜ、って意味だって

      ◇臥待くるみ◇


 朝、目が覚める度に「今日も学校だぁ!」って思う。「学校かぁ……」の語尾が下がるニュアンスじゃなくて「だぁ!」と上がる感じ。


 永遠に布団に包まれていたい、って思っていた中学時代の私とは打って変わって、女子高生の私は、寝起きの瞬間に布団を宙へ蹴り上げる。未熟な頃の私がお世話になりました、掛け布団。もう大丈夫だから心配しないで、掛け布団。ってな具合で。


 とはいえ、アラームを寝坊スレスレの時間でセットしているのは、中学時代と変わらないので、やっぱり成長とは違うかも。


 単純に、毎日が楽しみになった。そういう話だと思う。


   ◇◇◇


 私とパパが常磐西高校に入学して、一週間が経つ。


 住んでいる家が一緒な上に、学校も一緒。これによってどういう変化が起きるかって言うと、シンプルな話、一緒にいられる時間が増える。それが何よりも大きい。


 おはようからいってきますの間だけじゃなくて、登校時間も、授業中も昼休みも、ただいまからおやすみまでも、ずっと同じ空間にいられる。って、こういうと、私が超重量級かつ歪んだ愛の所有者みたいだけど、そうじゃなくて。……そうじゃないこともないか……とにかく、一緒にいたい人とずっと一緒にいられることが幸せじゃない人なんていないでしょ。


 もちろん私にだって一般常識とかあるし、学校にいる間ずっとベッタリ、とかはしない。


 私には私の友達がいて、大抵の時間は、その子と過ごしている。


「おーはよっ。相変わらず、小動物みたいにボケ~っとしてんね。ちゃんと寝た?」


 登校すると、真っ先に挨拶してくれるクラスメイトがいる。

 身長が高くてスラっとしたスタイルに、ボーイッシュなショートカットがとてもよく似合っている彼女は、蓮沼葉子はすぬまようこという。


「あっ、おはよ。ヨーコは今日も元気だね。草食のイメージだけど実は雑食の動物みたい」

「すげー、すげーピンとこなくて笑っちゃう。やっぱ、くるみは人を和ます天才だね」

「和ます天才~? ちょっと皮肉入ってるよね、それ」

「あっはっは、そんなんじゃ無いって。素直に受け取りなよ。愛してんぜ、って意味だってば」


 ヨーコは、パワーのある言葉をよく使う。愛してんぜ、を軽率に言えるのって素直に羨ましい。そんな彼女の潔さに、私は居心地の良さを感じていた。


 ヨーコと会話を続けながら、ちらり、右斜め前を見る。


「──み、くるみ? ねえ、またボーっとしてる。どこ見てん……あっ、そういう」


 ヨーコは、私の視線を追っていたらしい。その先には、男子生徒の席。


「なるほど。ね」と言って、ニヤけた顔を近づけた。「よかったねぇ、同じクラスで」

「……。なに、その表情」

「んにゃ? 別にぃ、なんも勘ぐってないよ? だってただの親戚同士、家庭の事情で長野から引っ越してきた、ってだけの関係性なんでしょ? ひー君とくるみはさ」


 誰から聞いたのか……まあ、その「ひー君」本人なんだろうけど、とにかく私たちは「親戚同士」ってことになっているらしい。私たちの「秘めごと」を隠すために、彼がついた嘘だ。


 ひー君。すなわち、暁月日々輝あかつきひびき。私のパパ。

 彼と私は、同じ一年一組のクラスメイトになった。


   ◇◇◇


 私たちが所属する一年一組は、わりと良い雰囲気のクラスだ。


 元気な生徒が多くて、休み時間なんかとても賑やか。一方で、授業中はみんな真面目に静かにしているし、メリハリのある空気感が気に入っている。


 それに、担任の先生も凄くいいキャラしているし。


「うぃー、おはよう。朝っぱらから騒がしいなあ。ま、元気なのはいいこった」


 朝のホームルームが始まる時間になると、先生は気だるそうな口ぶりで入室してくる。谷川恵空たにかわえそら、それが先生の名前だ。見た目は三十代中盤くらいで、おっぱいが大きくて、唇が厚いことから、男子たちには「くちびるえっち」って呼ばれていて笑った。


 私はすでに、谷川先生が結構好きだった。授業外に廊下で会うときも話しかけてくれるし、

臥待ふしまち。お前、最近どうだ? 横浜には慣れたか?」

 引っ越し組の私を気にかけてくれているみたいだった。

「そうか。そいつはなによりだ。なぁに単なる世間話だよ。些細な会話こそ重要だと考えているだけさ」そのあとで先生はいつも、こう続ける。「いい先生であるためにはな」

 

 パパも、上手くやれているみたい。


 明確に「友人」と呼べる人がいるかは分からないけど、休み時間にクラスメイトと会話しているのをよく見る。その様子を眺めるのが、私の密かな楽しみだった。


 パパは、家にいるときと学校にいるときで、少しキャラが違う。クラスメイト達と接する用の表情があるみたいなのだ。絵に描いたような「満面の笑み」を顔に張り付けて、いかにもな好青年を演じている。ように、私には見える。これは十二年間も彼と一緒に生活していたから感じることで、きっとクラスメイトには「素」だと思われているはずだ。


 ま、そんなこんなで。

 私たち親子は順調に、この教室に溶け込めていた。


 私は、とにかく毎日が楽しい。

 パパも、毎日が楽しいに違いない。四月十四日の放課後まで、私はそう確信していた。


 その確信が揺らいだのが、終業のチャイムが鳴った直後。

 皆が下校の準備を始めて少し経ったころのことだった。


「おいっす~! 暁月ぃ~。今日の放課後ヒマかぁ?」


 とパパに声をかけたのは、クラスメイトの峰岸みねぎしくんだった。とにかく明るくて、クラスのムードメーカーな男子。他に三人の男子生徒を引き連れていた。彼は続けて、


「よければこのあと遊びに行かねえ? 暁月呼んだらおもろいべ、って話になってさあ!」


 私はその様子を遠くから眺めながら、心の中でガッツポーズを決めた。同級生から遊びに誘われるなんて! 最高じゃんか、行ってきなよ! と声をかけたいほどの高揚感を抱いた。


 が、しかし、パパは最上級の「満面の笑み」を顔に張り付けて、


「ああ、ごめんね。今日は予定があって。また誘ってよ」


 私にしか見抜けない嘘を、平然とついた。

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