002 今日までは中学生だもん

   ◆◆◆


 くるみが僕の寝室を尋ねてきたのは、午後十一時すぎだった。

 普段のあいつならもう眠っている時間だ。だから、「部屋に行く」という約束を忘れたまま寝落ちしたんだろう……と眠りにつこうとした矢先、ノックの音が鳴った。


「パパ、起きてる?」


 扉の向こうから、くるみの声。僕は身体を起こして、ベッドの上に座りなおした。


「ああ、起きてるよ」


 そう返事をすると、ゆっくり扉が開いて、その隙間からくるみが顔を覗かせた。


「もしかして、寝るところだった?」

「いいや。で、なんだ。どうした?」


 と尋ねると、パジャマ姿のくるみが無言で部屋の中に入ってきて、後ろ手でドアを閉めた。そのまま部屋の入り口あたりで立ち止まる。背中の方で手を組み、視線を斜め下へ落として「いやぁ」とか「うーん」とか、発言の助走みたいな声だけをポツポツと零していた。


「なんだよ。なんか変だぞ?」


 妙な感じだ。いつもの快活さと思い切りの良さが無い。夕食のときから、何かを躊躇っている様子が続いている。


 くるみが切り出すのを無言で見守っていると、しばらくして、視線があがった。


「うーん、いやね……実は、さ」

 そして、ひとまず発言の助走を続けてから、勢いよく、背中に回した両手を前に出した。

 その手には、ラッピングされた正方形の小箱。

「これ、プレゼント」くるみは言う。「入学祝い……的な……やつです」

「え」

「みなとみらい行ってきた、って言ったじゃん。……そこで、買ってきたの」


 予想外だった。驚きのあまり声が出ないし、受け取るための右手が伸びなかった。

あまりにも僕が無反応だったからかもしれない。ようやくそこで、くるみはいつも通りの思い切りの良さを発揮した。僕に近づき、小箱をグッと僕の胸に押し付けた。


「受け取ってよ。せっかく選んできたんだから」


 小箱はくるみの手を離れて、僕の膝の上に落下しそうになった。それをすんでのところで、右手で受け止めた。受け取った。

 くるみの顔を見る。彼女は不安そうな表情をして、僕から目を逸らしていた。


「あ……ありがとう。……開けていいか?」


 そう訊くと、くるみが、無言で頷いた。僕は小箱のラッピングを丁寧に開封した。

 中身はプラスチック製の箱に入った、ロウソクのようなものだった。白字のアルファベットが印字された小洒落たビンに、薄ピンク色の蝋が詰まっている。


「……アロマキャンドル、です。ども」

 くるみが、ぼそりと呟くように言った。

「そ、そのさ。私ももう高校生ですし? 大人の階段を順調に登っているわけで。こういう大人っぽいものをプレゼントしたくなった、と言いますか。……どう、かな?」


 そう言いながら、くるみは顔の向きはそのままに、目線だけをくれた。僕が今、どんな表情をしているか、窺おうとしたんだろう。

 僕は自分で、自然と口角が上がっていることを自覚していた。それを隠すわけじゃないけれど、口元を手で覆うようにしてから、僕は言う。


「凄く嬉しい」そして、顔をくるみの方へ向けた。「くるみはセンスがいいな。ありがとう」


 ぱぁっ、とくるみの表情が一気に明るくなった。

 そして、さっきまでの自信無さげな雰囲気は完全に霧散霧消し、


「でしょ? ……でしょ⁉︎ やっぱ、いいよねコレ! 私もね、お店で見つけて一目惚れしちゃってさあ、買わざるを得なかったというか、運命感じちゃった手前、引くに引けなくなったというか、もうとにかくね、パパにあげたくなってさ! パパもこういうの絶対好きだし!」

「ああ。僕も好きだね、コレ」

「だよね! だと思ったんだあ。ね、ね、ちょっとさ、火点けてみない?」


 くるみはそう言いながら、勢いよくベッドの上、隣に腰を下ろした。僕は、枕元の横に置かれたサイドテーブルにアロマキャンドルを置いて、いいね、と頷いた。


 くるみがシーリングライトのリモコンを手に取った。僕は部屋の押し入れにライターを探しに行く。ライターを見つけたあとでベッドに戻り、腰を下ろしたタイミングで、くるみが部屋の明かりを消した。

「じゃ、それでは、」「点灯するぞ」

 言って、僕は、アロマキャンドルに火を点けた。


   ◆◆◆

 

 ゆらゆら揺れるキャンドルの火を見ながら思い出すのは、去年のこと。

 臥待ふしまちくるみ、中学三年生。十五歳の誕生日のことだ。


 あの日、くるみは僕に、特大の頼みごとをした。


『あのね、欲しいものがあるの。ううん、ちょっと違うな。物っていうか、なんていうか。だからね、そのつまり……パパにお願いがあるんだ。あのね、私、』


 まっすぐ、僕の目を見つめながら、


『パパと、同じ高校に通いたい』


   ◆◆◆


 パパ、と僕を呼ぶくるみのか細い声が、背中の方から聞こえた。

 いつの間にやら、彼女はベッドの上に横になっていた。


「ありがとね。私の願いを叶えてくれて」


 僕は、横たわるくるみに背を向けたまま、首を横に振った。

 心なしか、くるみの呼吸音が大きくなっているように聞こえた。


「ねぇ、パパ……今日、一緒に寝ていい?」

「はあ?」


 くるみの方を見れば、もう目を閉じていた。ここで寝る気、満々じゃないか。


「なあ。さっき、順調に大人の階段を登ってる、とか言ってなかったけか?」

「……。今日までは中学生だもん」


 ったく、都合のいいやつめ。

 こうなるとくるみはテコでも動かない。僕はすでに観念していた。


 くるみの隣に、横たわる。するとすぐ、くるみは両の腕で、僕の身体をぎゅうっと優しく包み込んだ。まるで……というか、紛れもない子供の仕草だ。


 そんなくるみの髪を、左手で撫でる。


「知ってる?」眠りにつく間際、くるみが口を開いた。「アロマキャンドルをプレゼントするのって、『素敵な時間を過ごしてください』って意味があるんだって。店員さんに聞いたんだ」


 その言葉を聞きながら、僕は上体を起こした。


「だからさ、」


 そして、アロマキャンドルの火めがけて、息を吹きかける。

 火が消える。部屋が暗闇で包まれる。


「明日からの高校生活、素敵な時間にしようね。パパ」


   ◆◆◆


 くるみが寝静まった後、ベッドから抜け出した僕は、リビングに戻った。

 とくに家事も残っていないし、することはないのだが、眠れなくなってしまったのだ。


 くるみの言葉が頭の中で反響して、目が覚めてしまったのだろう。そう思った。


『明日からの高校生活、素敵な時間にしようね』


 ああ、そうだな。素敵な時間になるといいな。

 二階の寝室で眠るくるみへと、心の声で返事をした。


 続けて、

「お前にとって、素敵な時間に」

 そう付け足した。


 ふと、テレビ台の横に置かれたタブレットが目にとまって、それを手に取った。中には、僕とくるみで撮ったいくつもの写真が保存されている。僕は写真アプリを開いて、くるみとの軌跡を眺めることにした。


 古いものだと、それは十年近く前に遡る。くるみが小学校に入学した頃の写真だ。


 くるみは今よりもずっと背が低く、幼い。表情も堅く、目線がレンズから逸れている。


 次は、それから二年後の写真。当時住んでいた家の近くの公園に、二人で行った時の写真だ。レジャーシートの上で弁当を食べている、ちょっとだけ成長したくるみと、その隣には僕が映っていた。この頃から、くるみも明るくなり始めたと思う。

 その次、同じ年の冬。その次、年越し、花見、誕生日……一年後、三年後……中学校卒業に至るまで、何百枚もの写真を順番に、くるみの成長をなぞるように、見た。


 出会った頃は小さかったあいつも、ここまで大きくなった。

 当然だ、人間だから。


 人間にとっての時間は川のようなもので、出生から死へ向かって、自らの意思とは無関係に流れていくものだ。抗うことは出来ない、受け入れるしかない。でも、僕はそれが人間の美しさ、尊さだと思う。


 僕にはない、美しさだと思う。

 いいや、正しく言い換えよう。


 僕らのような元・人間──〈ミアキス〉にはない、美しさだ。


 もう一度、タブレットに保存された写真で、過去から現在まで辿っていく。


 臥待くるみが徐々に成長していくのに対して、僕の姿は過去から現在まで変わらない。


 なぜならば、ミアキスにとっての時間という川は、まるでこの写真で切り取った一瞬のように、制止したままだからだ。僕を同じ地点に固定したまま、決して流れ出すことがない。


 つまるところ僕は、永遠に十五歳のままだ。






 それが僕の、第一の「秘めごと」。

 対象は、全人類。

 内容は、僕がミアキスであるということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る