第四話『アルツターノフ』

 M博士が研究所を出てから数時間後。


 アルツターノフは、すぐに飛んできた。アルツターノフは、宇宙工学のエキスパートであり、軌道エレベーターの父である。

 ジョンは、その新しくやってきた科学者を信じきれないのか、目を細めて、彼をじーっと睨んでいる。

「で、俺に軌道エレベーター作りを手伝ってくれというわけか……」

 アルツターノフは真剣な眼差しで、目の前にドンと居座る、鎖で縛られたムカデを見つめる。ムカデは、体の原料となる炭素や鉄を欲しているのだろうか、その大顎で、鎖をガジガジとかじっている。

「君の知恵を借りたい」

 M博士の、切実な声。

「ああ、お安いご用さ。私の構想では、軌道エレベーター本体に使うカーボンナノチューブ、つまり炭素の調達は、運良く遭遇した炭素質コンドライトから成る小惑星を想定していたが……まさかこうも都合よく、無限に伸びるカーボンナノチューブの体を持つムカデが現れるとは。まさに鬼に金棒だ。で、このムカデは、鋼を生産できると言ったよな?」

「ああ、そうだが」

「なら、クロムやニッケルを添加して、ステンレス鋼も作れそうだな。ステンレス鋼は、ロケットや宇宙船の材料にも使える。つまりムカデは、宇宙の工場となって、地球外で宇宙船を作ることが容易たやすくなる。衛星の打ち上げや、宇宙ステーションの建造が、大幅に楽になるだろう」

「だが、そんな大きな体で、生命維持が可能なのだろうか?」

 と、N博士は懸念する。

「フフフ……N博士、それは……心配には及ばない!」

 M博士。

「と言うと?」

「呼吸色素に鉄を追加した影響で、あのムカデの酸素供給能力は飛躍的に向上している。となるとだ、、酸素は十分、全身に行き渡る! つまりは、生命維持が可能になるはず」

「完璧じゃないか! では聞くがアルツターノフ、具体的にはムカデはどれくらいの大きさにすればいいんだ?」

「結論から言おう。せっかくならムカデの長さは、遠心力が最大となる赤道上空で考えて、四万六七〇〇キロメートル以上にするといい」

「それは、なぜだ?」

「そこまでこれば、宇宙船は、噴射をせずとも、地球重力からの脱出速度を得られる。宇宙探査を念頭に置けば、非常に効率的だ」

「それは、魅力的だな!!」

 ジョンが、ぼそっと口を挟んだ。

「そして、最低でも必要な長さは、四万六七〇〇キロメートルよりも一万一〇〇〇キロメートルほど短い、三万五八〇〇キロメートル。ここまで来たら、引力と遠心力が完全に釣り合う。言い換えれば、ここに到達するまでは、引力の方が勝つので、物体は、地球に引かれて落ちていく。つまり、外側に行くのに、エネルギーが必要と言うわけだ。この赤道上空三万五八〇〇キロメートルの地点は、軌道エレベーターの『重心』であり、静止軌道と呼ばれる。そこにいる人間は、無重力、つまり体重がゼロになったような感覚になるだろう。そしてこれは重要な考え方なのだが、この地点から見れば、地球側にも、宇宙側にも、伸びているエレベーターは、『ぶら下がっている』わけだ。だからこそ、『重心』なのだ。ではここで、もう少し専門的な話をしよう。先ほども伝えた通り、地球の重力から脱出するには、一定以上の長さが必要。その長さのことを、脱出長だっしゅつちょうと呼ぶが、これが、当然、破断長はだんちょう、簡単に言えば地表と同じいちGの重力場でどの程度の長さまで切れずに済むかという長さ、この範囲内に収まっている必要がある。単刀直入に言えば、遺伝子組み換えムカデに必要となる破断長は、四九六〇キロメートル。これは、実際に必要なムカデ自体の長さが四九六〇キロメートルでいいというわけではない。あくまで、『破断長』として必要な長さだ。簡単な計算をすると、破断長は、軌道エレベーターの重心は三万五八〇〇キロメートルの静止軌道に位置するので、実際は地表を離れるほど小さくなる重力場を加味して、およそ七分の一の、四九六〇キロメートルを越えれば良い、ということになる。繰り返しになるが、実際に必要なムカデの理想的な長さはもっと長く、四万六七〇〇キロメートルだ。ここでまとめよう。とにかく、我々は、この長さ、全長四万六七〇〇キロメートルを目指す。途中の三万五八〇〇キロメートル地点は重心、静止軌道とする。次に、軌道エレベーターは、長さだけでなく、その形も重要だ。そこで必要なのが、『テーパ』と呼ばれる構造だ。テーパとは、円柱や円錐形の構造物が先細りになっている状態のことを言う。ここでの場合、テーパは構造物に強度を持たせる狙いがある。見た目だけに関して言えば、イメージしやすいのは、ギリシャのパルテノン神殿だろう。あそこの柱は、上に伸びるほど、ほんの少しだが細くなっている。それには、建物の高さがより高く感じられるという狙いがあるが、我々が軌道エレベーターの構造を考える場合には、その観点は必要ないので一旦忘れてくれ。で、このテーパをどのようにムカデに適用するか。テーパは、もっとも太い重心、静止軌道の三万五八〇〇キロメートルから、ムカデの両端に向かって緩やかに先細っていくようにつける。その傾斜として、どんな角度が理想的かは……ムカデの体の複雑さのせいでかなりややこしい計算になりそうだから説明は省くが、とにかくあとでテーパの付け方は私が指示することにしよう。ムカデが無惨にブチッと切れてしまっては困るから……この計算の責任は大きいな」

「えっと……アルツターノフよ、もうすでに私の頭はパンク寸前だが……他に、必要なことは?」

 M博士が、苦しそうに尋ねた。

「そうだなぁ……遺伝子組み換えで、ムカデの細かい調整は必要だ。今までの話からわかる通り、ムカデの体、頭から見て三万五八〇〇キロメートルのところに、重心を置くことになる。これは、宇宙ステーションのようなものになる。ここに、鋼の生産能力も集中できると、理想的だな。そのように、遺伝子を組み換えてくれ」

「もう、ないか? ないよな?」

 M博士は、『ない』ことを期待する。

「ムカデの顎は、極めて強靭でなければならない。宇宙に向かってムカデが体をうねらせ、ひとたび三万五八〇〇キロメートルのところまで体が浮いて仕舞えば、それまでは引力優位だったのが、引力と遠心力の釣り合いが起きるので、安定する。そうだ、非常に重要なことを忘れていた……ムカデには、顎で大地を掴み、尻を空へ持ち上げてもらう必要が……つまり我々はムカデに、逆立ちする遺伝子も組み込まねばならないようだ。だが、そんなものがあるだろうか?」

 今まで難しい理論を軽々と操っていたアルツターノフが、頭を抱える。

 M博士も、N博士も、やや表情を曇らせる。

「……ひらめいた! いい案があるぞ」

 ずっと黙っていたジョンが、口を開いた。

「「「本当か?」」」

 三人の博士は、英国紳士に飛びつく。

「フンコロガシの遺伝子を組み込もう。奴らは糞を転がすのに常に、逆立ちしている」

 ジョンは、自信に満ち溢れた声で、そう言った。

「その手があったか! さすがスミスさん! やはり、無限に伸びるムカデを見て軌道エレベーターを連想しただけのことはおありだ」

 M博士は、ジョンを褒め称えた。

「あと、私が有り余る資産を使って、赤道付近に鉄鉱山を探して購入しよう。餌の山に、巨大なムカデは喜ぶはずだ」

 ジョンは調子がいいのか、立て続けに名案を出す。

「それはありがたい! よし、ではN博士、アルツターノフ、取りかかるぞ!!」

 

 こうして、軌道エレベーター、もとい、長大なムカデの育成が始まった。


〈第五話『軌道エレベーター』に続く〉

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