負けイベントは突然に(2)

 サンサリアの人々は、子供の頃からこう言い聞かせられる。

 悪いことをすると魔女王コクトーに魂を奪われるぞ、と。


「ぶ、ぐぅ……!」


 そんな恐怖の象徴を、転生したばかりのカルタが圧倒している。

 御伽噺は英雄譚へ塗り替えられようとしていたのだ。


「もっと楽しませてよ。まだ仕様わかってないんだ」

「ほざけ!」

「よっ」


 蚊を払うように指弾を跳ね除ける。普通なら瞬きをする間もなく命を刈り取る魔弾を。


(カルタ先輩のほうがステータスは負けてるはずなのに。凄すぎる)

「貴様は……何なのだ。他の侵略者どもとは比べ物にならない、貴様は」

「そうじゃないでしょ」


 拳が飛ぶ。骨と肉が弾ける。


「レネから聞いた。お前は魂を集めるって」


 拳が飛ぶ。岩山にヒビが入る。


「シュウたちの魂を返せ」

「ぐぅううっ!!」


 拳が飛ぶ。そして拳が飛び、また拳が飛んだ。

 ついに魔女王の埋まる岩山すらも崩れ、同時に赤黒い鮮血を撒き散らしながら宙を舞う。


「聞こえないのかな?」

「ひっ!?」


 無様に転がる女の髪を掴み、強烈な圧をかける。


「負けイベを越えた先のご褒美が欲しいって言ってんだよ」


 もう彼女から威厳など感じられなかった。村人の皮を被った狂人に殴殺されそうになっているのが、サンサリアの陰の主だとは誰も信じないだろう。

 ここに居るのは、虚勢を張り続けるだけの肉人形だ。


「略奪者に渡す宝など、無い」

「ならばゴミのように死ね」


 そう振り下ろされた鉄拳は。


「君は負けなくてはならない」


 


「っ?」

『えっ……て、敵性個体乱入!』


 周囲数十キロメートルは、潜ませたナノドローンが索敵しているはず。

 なのに、このマテリアリックな仮面で顔を覆っている謎の男は、何の前触れもなく空間を歪めて現れたのだ。

 すぐにサンサリアのデータを調べる。しかし。


『データに、ありません……過去データにも、該当なし……!』


 シルク色のローブの生地、装飾、手袋の甲に描かれた紋様。

 そして、どのように着脱するか見当もつかない、先鋭的な仮面メット

 どれも、サンサリアが歩んだ歴史では到達できない意匠デザインが施されていた。


『対象は、この世界の人間ではありません!』

「そう」

『ッ!?』


 レネの言葉に反応した。

 その声色はくぐもっているにも関わらず、心を包み込むように温かい。だがどこか、背骨を伝うような気味の悪さを覚えさせる。


「そして君たちの敵だ」


 やはりそうだ。レネが悪あがきの策を練ろうとし、カルタのほうへと目をやる。

 だがすぐに、何もかもが無意味だと悟った。


「裏ボスだぁ……負けイベの報酬は無理ゲー、やっぱリフェブレと同じだ……ヨヅルも発狂モードに入ったよなぁ、アレどうやってクリアするんだろうなぁ」


 右腕を飛ばされてなお、痛みすら感じず、この絶体絶命の状況を涎まみれで愉しんでいたのだから。

 ドン引きするレネとコクトー。当然の反応だ。


「……そうか、君たちが」


 しかし仮面の男は違った。

 狂人の並べる文字の羅列が琴線に触れたのか、守るように後ろへ隠していたコクトーへ、手を伸ばし。


 瞬間、


 この隙しかない。レネが警笛を鳴らす。


『撤退です、逃げてください!』


「なに言ってんの。負けイベの先へ行けるんだよ、死んでもやらなきゃゲームじゃない」


 カルタはこの状況を愉しんでいる。ゲームにトリップしている子供のように。

 そんな狂人プロゲーマーを管理するのが、指揮官プランナーの役目だ。


!!』


「……!」


 クリティカルな言葉に、カルタが正気を取り戻す。

 そして眼前の敵を目にし、指示を理解した。


 いま、魔女王は第二形態手に負えないもの羽化しんかしようとしている!


「〈ソードダーツ〉!!」


 すぐさま身体を後方へ投げて緊急回避する。

 だが眼前で目覚めようとしている人智を越えたものが。

 ゲーマーの魂に刻まれた不文律を呼び起こさせ、カルタの心拍、汗腺を狂わせた。


(大魔王からは逃げられない)


 ふたつの魂が混ざり合い、ひとつの蛹へと変貌する。

 色彩が暗転し、瞬く間に動植物も消える。

 代わりに、闇の支配者が居た場所に、全てを呑み込む得体の知れないナニカが顕現する。


 そして、サンサリアの辺境――地図にはロトマンと記されていた地は、大魔王によって歴史から跡形もなく消え去った。

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