第3話:三時の約束

 「お、タイミングがいいね」


 杖をついて歩くミヤの歩幅に合わせ私も一緒に玄関に向かう。ほんの数十年前は白パンのようにふくふくした小さな手をしていたのに、今は深い皺と痩せて血管の浮き出た細い指をしていた。そのことを少し寂しく思いながらミヤの手を取り、空いている方の手は丸くなった背中を支えた。


 玄関のドアを開けるとミヤの孫息子のマルクが立っていた。

 

「おや、今日は随分大人数だ」


 マルクだけかと思ったら、その足元に小さな女の子と男の子が立っていた。マルクの子どもたち。双子のロージャとセシルだ。

 

「これからみんなで婚礼のパレードを見に行くんだ。セルディック王子と花嫁のシルビア様が馬車でお通りになるみたいだからさ!」

「あのね、帰りにね、風船買ってもらうの!」

「ぼくはドロップキャンディがいい!」

「ははは。そうかい。そりゃ楽しみだね」

「何が楽しみなもんかい。アタシはね、王子の結婚をまだ認めちゃいないんだよ?」

「ばあちゃんは誰が相手でも気に入らないんだから……」

 

 宥め役をマルクにバトンタッチして四人を見送る。部屋に戻りドアを閉めて壁に掛けた時計に目をやった。時計の針はもうすぐ午後三時を指すところだった。


「しまった、もうこんな時間か!」


 慌てて台所へ向かう。勢いよく蛇口をひねりヤカンに水を入れて火にかける。お湯を沸かしている間に戸棚からブリキ缶を取り出す。中身はクッキーだ。4枚取り出し皿に並べた。

 今度は食器棚からマグカップを2つ出し、それぞれコーヒーの粉をスプーンで2杯入れ、沸いたばかりのお湯を注ぐ。星の絵柄がついたマグにだけ砂糖を5さじとミルクをたっぷり注ぎ、そしてコーヒーが溢れるギリギリまで氷を入れた。


「ふう、間に合ったか」


 安堵のため息をついてクッキーを乗せた皿とマグをトレイに乗せて庭に出ようとした瞬間。ぴたりと足を止める。そこでようやく気が付いた。

 

「あ……そうか。今日はあいつ結婚式か」

 

 手に持った二人分のお茶菓子とコーヒーに視線を落とす。


「……なら来るわけないか」


 ついいつもの癖で二人分のお茶菓子を用意してしまった。台所へ引き返そうかと思ったが、どうせ食うことには変わりはないと思い直し、そのままドアを開けて庭に出る。外に出ると街の喧騒が一層大きく聞こえ、余計に今自分がひとりぼっちであることを痛感する。


「……なんだよ、昨日は結婚式のことなんて何も言ってなかったのに。水くさいヤツ」


 めでたいことに変わりはない。心からそう思っているのに寂しさを感じてしまうのはこの10年ほとんど毎日行われたお決まりのルーティンが私の生活に深く根差してしまったからだ。


 庭のテーブルにトレイを置く。いつも向かいに座っている人物の姿はないのにいつもの定位置にコーヒーマグを置いた。丸太を切って自作した椅子に座り、自分の分のコーヒーを一口飲む。ぼんやりと空を眺めながら時折クッキーもつまんだ。


 遠くから聞こえる、鳴りやまないお祝いのメロディ。

 今日の善き日を祝うかのように雲一つない青空。

 招待されることのなかった結婚式。


 別に行きたかったわけじゃない。だけど、一言。一言ぐらい、祝いの言葉を掛けてやりたかっただけだ。

 

 飲む人のいない席に置かれたコーヒーマグに目をやる。話し相手もいないと自分のマグの中身はあっという間に空になった。


 「捨てるのも勿体ないよな」


 向かい側のコーヒーマグに手を伸ばす。コーヒーがミルクの配分に負けて淡いブラウン色をしていた。

 自分が飲む時は絶対に砂糖もミルクも入れないが、一口もつけられていないものを捨てるのはなんだか自分が可哀そうな気がした。


 こくりと一口飲む。


「うぐああぁぁぁぁ……」


 うめき声をあげて大きくのけ反る。目をぎゅっとつむり顔をくしゃくしゃにしてコーヒーの甘さを必死にやり過ごす。たった一口分の液体が口に広がっただけなのにぶるりと悪寒が走る。氷で冷えている分、籠るような甘さが強烈に感じた。


 マグをテーブルに置いた。こんな甘ったるいもん、とてもじゃないが飲みきれない。

 

「よくもまぁこんな甘いコーヒーを毎日毎日飽きもせず……いくら甘党だからって入れ過ぎだろ。虫歯になるぞ」

「いやだなぁ、ちゃんと毎日二回歯を磨いているから大丈夫ですよ」


 ここにはいないはずの人物の声がした。えっと思った瞬間、私が置いたマグに大きな手が伸びる。骨ばったその手の動きで目で追うと、あおるようにマグを傾けぐびぐぐびと勢いよく飲むヤツの姿が目に入った。


「はぁー、冷たくておいしい! ありがとうございます! 走って来たから丁度喉が渇いていたんです!」

「お、おま、おま、おま!!」 

「クレア先生、今日のおやつは何です?」 


 口をぱくぱくとさせている私とは対照的に、セルディックはのほほんとした声で皿を眺める。

 

「セルディック!! お、おま……お前こんなところで何をやっているんだ!!」

「なにって先生とお茶です。毎日のことなのに何をそんなに驚いているんですか?」

「バ、バカ! きょ、今日はお前の結婚式だろうが!! 花嫁はどうした!? パ、パレード始まってるんじゃないのか!?」

 

 立ち上がって狼狽えている私とは対照的に、セルディックはどっしりと丸太に腰かけクッキーをぽりぽり食べている。そして冷たくて激甘カフェオレで流し込むと、とんでもないことを口にした。


「逃げてきちゃいました」

「は、はぁ!? 何かあったのか!?」

「いいえ、何も」

「だったらなんで!?」

「だって、3時になったら先生とのお茶の時間ですから。結婚式は欠席です」


 結婚式は欠席。その言葉を反芻して、ぐらりと立ち眩みがしてテーブルに手をつく。その言葉は主役のお前には絶対に当てはまらんだろう。


 錯乱した頭の上の空には祝賀パレードで打ち上げられた赤い風船が行き場を見失ったかのようにふよふよと漂っていた。

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