再会

「わたしの部屋、まだ残っているのでしょうか」


 客室から出た御樹は、ふっとそう呟いた。

 この家に戻ってくることになったはいいが、自分がどこで過ごせばいいのか。そんなことすらわからなかった。


「あなたの部屋は、まだあるわよ。こんな日が、いつか来るかと思っていたから、こまめに掃除はしておいたわ」


 御樹を追いかけてきたのか、すぐ後ろに沙樹がいた。


「お母さん、ありがとうございます」

「あなたは、私の娘なんだから。何かあったら、いつでも頼ってちょうだい。私もそこまで力はないから、できる事は限られるけど」

「はい」


 沙樹の深い愛情が感じられる言葉を受けて、御樹は胸の奥がじんわりと温かくなってくるのを感じていた。


「あんな厳しいことを言われ続けて、疲れたでしょう。自分の部屋で、ゆっくりと休んでちょうだい」

「はい」


 御樹は沙樹の言葉を受けて、そのまま自分の部屋へと向かった。


「本当に、何も変わっていませんね」


 かつて家を出た時と全く変わっていない部屋に、御樹はそう言った。綺麗に整えられたベッドに腰を掛けると、大きく息を吐いた。


「お母さん、この家ではそこまで立場が強くないのでしょうに。それでも、こうしてわたしの部屋を守ってくれたんですね」


 沙樹がこの部屋を残すためにした苦労を思うと、自然と感謝の気持ちが湧き上がってくる。沙樹は御琴の母親が死んでしまってから迎らえた、いわゆる後妻だった。父親も婿養子だったから、御樹の両親はこの家の人間ではない。

 そういったこともあって、御樹も含めて肩身が狭い思いもしてきていた。

 御樹は何気なく天井を見つめていた。孝蔵を始めとして、この家の人間が御樹親子に厳しいのは、御樹が彼らの要求を満たせていないから、というのが大きかった。


「わたしも、わたしなりに頑張ってきた、はずなんですけどね」


 幼少期から、何かと姉の御琴と比べられていた。御琴ならこんなことは簡単にできた、それに比べてお前は、といった具合だ。確かに、御樹は物事を覚えるのには時間がかかる方だった。それでも、自分なりに努力して、少しずつでも習得しようとしてきた。


「お姉ちゃん……わたしに、お姉ちゃんの代わりなんて、務まるでしょうか」


 御樹は今は亡き姉に思いを寄せた。御琴はいつも毅然としていて、臆することのない性格だった。誰かが御樹を非難するところを見ると、すぐにそれを取り消すように食って掛かってもくれた。

 そういったこともあってか、御琴の前では誰も御樹に対して非難めいたことは言わなくなった。その分、陰で色々と言われることは多くなったが。

 そんなことを思い出していると、急に、ドアがノックされた。


「お母さん、まだ何か用がありましたか」


 御樹は沙樹が来たのかと思って、そう返事をした。この家の人間で、御樹の部屋を訪ねてくるようなのは沙樹くらいだ。


「御樹さんが、帰ってきたって聞いたから」


 だが、返ってきた声は沙樹のものではなかった。どちらかというと、大人というよりも子供の声にようにも聞こえた。

 だが、どこかで聞き覚えがあるような、そんな声だ。


「どちら様ですか」


 それでも御樹は声の主に全く見当がつかずにいた。


「倉島、千佳子です」

「千佳ちゃん?」


 その名前を聞いて、御樹は以前の呼び名で呼んでいた。

 倉島家もまた、砕下を退治する一族の一つだった。そういった縁もあって二人は知り合ったのだが、どういうわけか千佳子はやたらと御樹になついていた。

 御樹が高宮の家を出る時も、行かないでと泣かれたことも覚えている。


「うん、そうだよ」

「千佳ちゃん、どうしてここに」


 千佳子が訪ねてきた理由がわからずに、御樹はそう聞いていた。


「御樹さんが帰ってきたって聞いたら、いてもたってもいられなくて」

「そうでしたか」


 その言葉は御樹にとっては嬉しい言葉だった。


「入っていい?」

「もちろんですよ」


 少し遠慮がちな千佳子に、御樹は当然というように言った。

 すると、ゆっくりとドアが開いた。

 そこには、数年前の面影を残しながらも、しっかりと成長した少女がいた。


「千佳ちゃん、大きくなりましたね。一瞬、別人かと思いましたよ」

「御樹さん、久しぶりだね」


 千佳子は部屋に入るなり、御樹に飛びつくようにして抱き着いた。


「ち、千佳ちゃん。どうしたのですか、そんなに抱き着いて」


 思いがけない千佳子の行動に、御樹は戸惑ってしまう。


「だって、ずっと会いたかったんだもん。あの時、急に御樹さんがいなくなって、わたしがどれだけ悲しかったか」

「そう、ですか」


 ここまで自分を慕ってくれていたことが嬉しくて、御樹は千佳子の頭をそっと撫でた。

 千佳子はくすぐったそうな表情を見せる。


「御樹さん、どうしてそんな丁寧な喋り方なの。昔みたいに、普通に接してよ」


 だが、すぐに不満げな表情になった。


「あ、いえ。これは……鈴川の家で、こう躾けられてきましたので。もう、これが普通というか、自然というか」


 御樹は言い訳するように言った。

 昔馴染みの千佳子に対しても丁寧な口調で接してしまうあたり、もうこれが習慣になってしまっていることを痛感していた。


「そうなんだ。鈴川の家って、そういうとこ厳しいんだね。わたしとしては、昔みたいに接してほしいけど、それが習慣になっちゃってるなら、しょうがないね」


 千佳子は仕方ないな、というように笑顔を見せる。


「ええ、おいおい昔みたいにできれば、と思っていますよ」


 それにつられて、御樹も笑顔になっていた。


「あと、ね。わたし、御樹さんのお手伝いをすることになったんだ」

「お手伝い、ですか」


 無邪気な笑顔で続ける千佳子に、御樹は疑問を口にしていた。

 自分を手伝うということがどういうことなのか、それがよくわからずにいた。


「うん、御樹さん、これからは高宮の人間として砕下と戦っていくんだよね。わたし、そのお手伝いをするように言われてるんだ」

「えっ、でも、千佳ちゃんは、倉島の家を継ぐはずではありませんか。そんなことをしている余裕があるのですか」


 千佳子の言葉に、御樹は驚いてしまう。

 千佳子はゆくゆく倉島家の当主になる人間だ。他の家のことに関わっていられるような立場ではないはずだった。


「うん。でも、それは今じゃなくてずっと先のことだよ。だから、それまでの間は、ね」


 千佳子はそう言うと、人差し指を軽く立てて見せた。


「でも……千佳ちゃんも、自分の鍛錬や家の事だってありますよね」


 御樹はそれを素直に受け入れていいものか迷っていた。

 千佳子が手伝ってくれるのなら、これほど心強いことはない。だが、それで千佳子に迷惑をかけるのではないかと思ったからだ。


「いいの。わたしが自分から、そうしたいって言ったんだから。御樹さんが帰ってくるって聞いた時から、こうするって決めたんだから」


 だが、千佳子ははっきりとそう言い切った。

 わたしよりも、ずっと小さい千佳ちゃんですら、ここまではっきりと自分の意思を持って、自分の居場所を見つけているのに……

 御樹は千佳子が眩しく見える一方で、自分との違いに愕然としていた。

 そこで、はっとして思い直す。


 こんな小さな子に嫉妬するなんて。


「わかりました。千佳ちゃん。わたしもまだまだ未熟ですから、迷惑をかけるかと思いますが、よろしくお願いしますね」


 そして、できる限りの笑顔でそう言った。


「うん、御樹さん。こちらこそよろしくね」


 対して、千佳子の方は心からの笑顔だった。

 御樹はその笑顔にどこか救われたような気がしていた。

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