高宮の剣

「お義父さん、もういらしたのですか」

「お義父さん、だと。所詮血など繋がってはいないだろう」


 沙樹が立ち上がって言うと、初老の男は不機嫌そうに言った。


「では、私は席を外します」


 沙樹は一礼すると、そのまま部屋を出ようとした。


「いや、お前も同席しろ、沙樹。後でまとめて説明するのも面倒だ」

「はい」


 男に言われて、沙樹は再び席に座った。


「さて、お前を呼び戻した理由は、大体察しがついているとは思うが」


 男は御樹と沙樹の正面に座った。


 相変わらずですね。

 男を正面から見据えて、御樹は内心で独り言ちた。


 高宮孝蔵。


 この高宮家の絶対的な当主にして、御樹をこの家から追放して、そして呼び戻した張本人。数年も経てばいくらかは丸くなるかとも思っていたが、その態度は御樹を追い出した時と全く変わっていなかった。


「御琴が死んだのは知っているな」


 孝蔵の物言いに、御樹は一瞬肩を震わせた。自分の孫娘が死んだというのに、全く悲しんでいるような様子が見受けられなかったからだ。


「はい」


 それでも、感情を押し殺してそう答える。

 この人には何を言っても無駄だろう。姉も自分も、いや、それだけではなく自分も含めて高宮を存続させるための駒程度にしか思っていない。


「お前も知っているように、この高宮家は代々砕下と戦ってきた。そして、今まではお前の姉でもある御琴がその役割を担ってきたわけだが」


 孝蔵は鋭い目つきで御樹を見た。


 砕下。


 いつから存在するのかはわからないが、人によく似た姿を持ちながら、人とは全く異なる存在。それだけなら問題はなかったのだが、砕下は人の生気を糧とする存在だった。もちろん、黙って喰われるほど人はお人好しではない。

 必然的に、砕下に対抗するような存在が結成され、それが現代までも続いていた。高宮家も鈴川家も、そんな一族だった。

 人によく似た存在が人を喰らうということが世間に公表されれば、それによる混乱は計り知れない。もしかしたら隣人が人を喰らう存在かもしれない、と疑心暗鬼に陥ってしまえば社会が成り立たなくなってしまう。だから、一族は人知れず砕下を屠ってきた。


「御琴は優秀だったな。恐らく、高宮の歴史を見ても随一だといっていい。的確に砕下を処理していたから、その被害もかなり減っていた。本当に、惜しいな」


 孝蔵の表情からは、御琴に対する憐憫は一切感じられなかった。砕下と戦える存在を失ったことだけを悔やんでいるような感じでもあった。


「そう、ですか」


 孝蔵の態度に思うところはあったものの、御樹は当たり障りのない返事をする。


「お前には、御琴の代わりに砕下を処理してもらうことになる。正直なところ、御琴に劣るお前に任せるのは不安があるが」


 それを聞いて、御樹は唇を噛み締めた。自分が姉でもある御琴に劣っていることは承知していたが、こうもはっきり言われると心に刺さるものがあった。


「鈴川の家では、修行は怠っていなかっただろうな。高宮では問題外だった、鈴川なら幾分はましになったのではないか」

「……はい」


 御樹は少し躊躇してから、返事をした。

 御樹が鈴川の家に出されたのは、高宮の戦い方が御樹に合わない可能性も考慮されてのことだった。高宮の戦い方はかなり特殊で、それを体得するのは相当に困難でもあったからだ。

 だが、御樹は鈴川の戦い方も完全に習得したとは言えなかった。それまで高宮の技術を訓練してきたのに、全く異なる技術を習得しようとするのは無理があったのかもしれない。


「その様子だと、芳しくはないようだな。まあ、お前に過度の期待はしていないが」


 御樹の態度を見てか、孝蔵は冷ややかな視線を御樹に浴びせる。

 そして、長さ十センチほど、幅数センチほどの棒を御樹の前に差し出した。一見するとただの棒のようだが、よく見てみると刀の柄のようにも見えた。


「これは?」


 全く見覚えがないそれに、御樹は疑問の声を上げた。


「高宮の剣。お前も聞いた事くらいはあるだろう。この家に代々伝わる剣で、砕下に対して絶対的な効果を持つ剣だ」


 それを聞いて、御樹は小さく頷いた。そういう剣が存在することは聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだった。

 しかし剣だというのに、柄の部分だけしかないのはどういうことだろうか。


「これが、剣ですか? どう見ても柄しかないようにしか見えませんが」

「実際に使えばわかる。もっとも、お前がこれを使いこなせればの話だがな」


 思わず疑問を口にした御樹に、孝蔵はぞっとするような冷たい声で言う。


「どういうことです」


 その声に気圧されそうになりながらも、御樹は何とかそれだけを口にした。


「高宮の剣は自ら認めた者にしか力を貸さない剣だ。剣がお前を認めるかどうかわからんがな」

「そんな剣を、わたしが使いこなせるとは……」

「無理にでも使いこなせ。そうでなければ、お前に価値などない」


 御樹がそう言いかけると、孝蔵はそれを遮るように言い切った。


「……わかり、ました」


 色々と言いたいことはあったが、御樹はそれを全て飲み込んだ。孝蔵は御樹が何を言っても聞く耳を持たないだろうし、仮に聞いてくれたとしても何かが変わるとは思えなかった。


「話は終わりだ」


 孝蔵は立ち上がると、入ってきた時と同様に乱暴に襖を空けて部屋を出ていった。

 その途端、御樹はどっと疲労感が襲ってくるのを感じていた。気を抜いたら、そのまま畳に倒れ伏しそうだった。

 どうにかそれを堪えて、御樹は自分に差し出された剣を手に取った。一体、この柄だけの剣にどれだけの力があるのだろうか。


「御樹、大丈夫。顔色が悪いわよ」


 それまでずっと黙っていた沙樹が、御樹の顔を見て言った。


「そう、ですか」


 その指摘を受けて、御樹は自分の顔にそっと手を当てる。疲労感はあったが、顔色まで悪くなっているとは思わなかった。


「お義父さ……孝蔵さんも、あんな言い方をしなくても。御樹だって、一人の人間なのに。それを全く認めようともしないなんて。ごめんね、御樹。私は何もできなくて」


 沙樹は孝蔵に憤慨していたが、それ以上に何もできない自分にも憤慨しているようだった。


「いえ、お母さんが悪いわけではありませんから」


 御樹はゆっくりと首を振った。

 全ては、他の誰でもなく自分が悪いのだから。

 わたしに、もっと力があれば。

 御樹は手の皮が破けるのではないか、というくらい手に力を込めていた。

 そうでもしないと、泣き出しそうになってしまうからだ。


「御樹、あなたには辛い役目を押し付けることになって、本当にごめんなさい。御琴の代わりなんて、あなたにとって重圧でしかないのに。いいえ、そもそも御琴と比べる事自体が間違っているわ」


 沙樹は悲壮な表情で、大きく首を振った。


「……お母さん」


 そんな沙樹に、御樹は何を言えば良いのかわからなかった。


「本当は、こんなことを言ったらいけないのでしょうけど。あなたは、あなたのできる範囲で頑張って。そして、どうか死なないで」


 沙樹は実の娘に懇願するかのように言った。


「善処、します」


 御樹はそれだけ言うと、静かに部屋を出た。


「ごめんなさい、お母さん。わたしは無理をしてもしなくても、きっとどこかで……」


 御樹は最後の抵抗なのか死ぬ、という言葉だけは無理矢理飲み込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る