りつりんたい
「二軒目の家」と同じく、もう一つ、母が口にした不思議な言葉、これも後年「もしかしたらこれか?」と思うことがありました。
ある時、いつものように朝も夜もなくうとうとしていた母が目を覚ますと、
「りつりんたいは?」
と、聞いてきたんです。
そんな言葉今まで聞いたこともないし、なんの心当たりもない。一体なんだろうと思っていたら、母がこんなことを説明し始めました。
「『りつりんたい』の兵隊さんがみんなで並んで山みたいな、そんなところに入っていった」
どうやら戦争の時の兵隊さんの夢を見ているようです。その舞台が山で、そこに出てくるのが「りつりんたい」だったとか。なんだか辺鄙な場所をみんなで並んで歩いているようなシーンを見たようです。
しかし「りつりんたい」って一体なんなのか? まあ妄想の世界に入っている母のことです。先生が言ったように「頭の中に嵐が吹き荒れている」状態なので、色んなことが浮かんできても不思議ではないなと流しながら、それでも「りつりんたい」という言葉が私の中に残りました。
他にも色々なことを言っていたはずのに、なぜか「二軒目の家」とこの「りつりんたい」はなぜか強く心に残ったんです。
後に「二軒目の家」になるマンションが建つよりもうちょっと前、母が病気をしてから何年か経った頃、たまたまテレビでこんな言葉を聞いてその文字を見て、私はびくっとしてしまいました。
「
多くの人がご存知のように、硫黄島で日本はアメリカと激しい戦いを繰り広げた地です。多くの方が亡くなっている最も激しい戦地の一つだったと思います。その地名も有名で、映画やドラマにもなっていますよね。
その硫黄島での戦いを指揮した方
その「栗林隊」がどうして「りつりんたい」だと思ったかと言いますと、高松に「栗林公園」という場所があり、それは「りつりんこうえん」と読むんです。テレビで見た途端に「これかも」と思ってしまいました。
その頃にはもう病気もすっかり良くなっていた母に「くりばやしたいって知ってる?」と聞いてみたんですが「知らない」とのことでした。もしかしたら何か知ってて、それがそんな風に頭の中で吹き荒れる嵐が引っ張り出したのかなと思ったんですが、全然知らないようでした。有名な部隊らしいので聞いた可能性とかはあるかも知れませんが、少なくともその時には母の記憶にはなかったようです。
そしてあまりにも気になったので、「栗林隊」を「りつりんたい」と読むのかどうかを調べてみたんですが、どうもそう読んだという記録は今のところ見つけられませんでした。「りつりん」と調べても高松あたりの地名やそこへ向かう船の名前、そんなものしか出てこない。
でも、なんだか内部の人はそういう呼び方をしてたんじゃないかという気もするんですよね。内部の仲間内だけで符牒のようにそう呼んでいたような可能性があるような。
戦争や軍隊に詳しい方で、そういうのを知ってる方はいらっしゃらないんだろうかと思いますが、私には知識もないし、そこまで詳しい知人もいないので分からないままです。
ですがあの夏、生死の境にいた母の何かがどこかにつながり、そんな色々なことを見たり聞いたりした可能性もあるんじゃないかなと思ったりはします。
テレビを見ていたらちょうど「硫黄島」のことをやっていて、そのことを思い出してしまいました。お盆は終わったけど、これもまた書けと言われているような気がしたので書くことにしました。
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