背中に添えられた手

 こちらも一度は書こうかなと思ってやめたお話です。Iのおばあさんのことを書いたので、こちらも書いておこうかな。


 「深夜の病室に飛び込んできた何か」で母が入院していた個室、その手術を待っていた後半の期間の出来事です。


 個室でテレビやお風呂、トイレもついていた部屋だったので、私は交代の人が来てくれる時以外は、ずっとその部屋で生活しているような感じでした。

 手術までは約3週間の待機期間。この部屋に移ってから2週間ほど。よっぽどのことがなければ緊急手術はせず、予定の日まで待ってからの手術と言われていた、最後の1週間ぐらいの間のことだと思います。


 母は先生の言葉通り、頭の中で嵐が吹き荒れているような感じ。感情の起伏も激しくて記憶も混乱している。


「あそこにとまっとう鳥は何? ツバメみたい」

 

 そんなことを言うけど、指差すところには部屋の中の壁で、鳥がとまれるような電線も何もない。どうも幻覚を見ていたようです。


「ああ、あれは部屋がさびしいからってツバメのモビール吊ってくれとうねん」

「へえ、かわいいなあ」


 そうやって刺激することなく、テレビには風呂敷をかけて隠し、電気も薄暗くして、母ができるだけ興奮して血圧が上がったりしないように、適当に話を合わせて穏やかに生活をさせるようにしていました。


 ただ、その部屋の外、電線を見るといつもツバメが本当にとまっていて、私は学校の副読本に載っていたある歌を思い出しては胸が締め付けられるようでした。


「のど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁に足乳根たらちねの母は死にたまふなり」


 斎藤茂吉の歌集「赤光」の中の短歌で、文字通り、今まさに母が死の床にいるという歌です。


 母はきっと助かる、大丈夫だと思いつつも、夕方、少し暗くなってカーテンをすかそうと思うと外にツバメがいて、なんとも言えない気持ちになってました。


 そんな時間帯、昼間の強い太陽が沈み、そろそろ部屋の中に小さい電気をつけようかという時間帯になると、母がこんなことを言うようになったんです。


「お母ちゃん、お母ちゃんは? 今そこにおったのに」


 祖母は私が生まれるずっと前、母がまだ若い頃に病気で亡くなってます。もちろん病室に来ることなんてできない。


 母は意識がもうろうとして、朝も夜もない状態。お昼からうとうとと眠って、夕方になって目を覚ましたらそんなことを言うんです。


 そしてその続きにはこんなことも。


「姉ちゃんもおった」


 母の一番上の姉で、私が中学3年の時に病気で亡くなった伯母です。もちろんいるはずがない。さらに続きにこんなことも。


「お父ちゃんもおった。怖かった……。あの優しいお父ちゃんがすごい怖い顔して、こっち来たらあかんって睨む」


 祖父は祖母のさらに数年前に亡くなっています。やはりいるはずがない。


 母の話によると、祖父はどこかの橋か橋のたもとにいて、こっちに来るなとものすごく怖い顔で、母が行こうとすると睨むのだそうです。


「おばあちゃんは?」


 と聞いてみたら、


「ずっとそこで拝んでくれてた」


 と、ベッドの足元を指さします。


 おばさんはどうだったかちょっとよく覚えてませんが、確か祖父か祖母の近くにいたように言っていたと思います。


 そんなことを言う日が数日続きました。夕方になるといつもなので「またか」と不安になりながらも、祖父が来るなと言ってくれたり、祖母が必死に母のことを祈ってくれて、守ってくれているようで、その点は少し気持ちが楽になる気もしました。

 

 ただ、気になるのはその3人のことです。実は、祖父と祖母と伯母は同じ年齢で亡くなっています。そして母が倒れたのもその同じ年齢。その時には誰も口にしませんでしたが、後でその時は存命だった母のすぐ上の伯母も「あの年やったので怖かった」と言ってました。そのぐらいその年齢が厄年のように思えていたので、母ももしかしたらととても不安だったんです


 それで母のベッドに倒れかかるようにして、


「ママを助けて、連れていかんといて」


 と、泣くのをこらえながら下を向いて、じっと心の中で唱えていた時、ふっと誰かが背中に温かい手を当ててくれたような、励ましたような、そんなぬくもりを感じたんです。

 もちろん部屋の中には母と私の2人だけ、看護師さんも誰もいなくて、そんなことをしてくれる人がいるはずもありません。

 ですが、その誰かか何かがぬくもりをくれたことで、ほんの少しだけホッとしたのを覚えています。


 その後、手術も無事に終わり、なんやかんやとまだまだ色々ありましたが、結果として母は秋になる頃に退院して家に帰ることができました。その厄年を無事に乗り越えた、というにはまだまだ色々あったんですが、とりあえずその年で亡くなることはなく、さらに十年以上生きてくれたんです。


 母がかなり元気になった頃、母の兄、長男の伯父さんと、母のすぐ上の伯母、そして母の弟の叔父さんの3人が揃ってお見舞いに来てくれて、兄弟姉妹4人が揃うことになりました。そしてこの時が4人が揃った最後になります。


 そんなことを思ったわけではないんですが、せっかく揃ったから4人で写真撮ろうよと提案したものの、母が「こんな病人で寝巻きで嫌」と言ったのと、他の3人も「わざわざ病院で撮らなくていい」と言ったので撮れなかったんですが、最後に4人が揃った時にいたのが私だけなので、無理強いしても撮っておけばよかったかなと少し後悔しました。


 そして今回書いて思ったんですが、あの時、あの部屋にはもしかしたら4人だけじゃなく、祖父と祖母と一番上の伯母もいたんじゃないだろうか。ずっと3人は母を守るようにしてそばにいてくれて、あの時に多分祖母が「大丈夫」というように、私の背中を撫でてくれたんじゃないだろかと思うことはありましたが、きっとあの部屋で家族みんなが揃っていた気がします。


 今はみんなあちらに行ってしまったけど、こんなことがあったね、なんて話をしているかも知れない。そしてお盆に帰ってきて、私がこんなことを書いているのを見てくれているのかも知れません。


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