座る老婆

 前回の「立ち上がる死者」で座る形の棺桶の「座棺ざかん」について書いたんですが、ついでといってはなんですが、それについてのエピソードをもう一つ。


 うちの母親は戦前の生まれで、一時祖母と伯母たちと叔父と一緒に疎開をしていまいた。祖父と伯父は神戸に残って、いわゆる女子どもだけが避難した形です。当時は「学童疎開」で苦労した人も多いけど、幸いにも親戚の家に受け入れてもらえたので、家族と一緒に疎開できてよかったと思います。


 ただ、神戸の空襲で家を焼かれてしまい、戦後もしばらくはそこで生活をしていました。祖父の仕事が落ち着くまでは帰れなかったようです。伯父は大学生で京都の下宿先にいたので、三ヶ所に別れて家族が生活をする形が何年か続いていたようです。


 疎開先は広島のある町ですが、のんびりしたいいところだったようです。神戸では食べられなかった「白いご飯」も食べられましたし、おかずはそんなにぜいたくな物は食べられませんでしたが、食うや食わずという状態ではなかったそうです。ただ、うちの母親だけは子どもの頃の私よりひどい偏食で、しかも食べる物が他になくても「漬物」とか「トマト」とか嫌いな物は絶対食べず、おかずがない時は「ご飯に塩をかけて食べていた」という、なかなか根性の入った偏食ぶりを発揮していたと言っていましたが。


 いなかのことで、学校へ行くのも遠いところまで歩いて行ってましたが、その道も竹やぶだったり、田畑の間だったりと、いい道ではありませんでした。


 ある日、母親が一人でいつもの道をとことこと歩いて下校していた時の話です。もう薄暗くなってきた竹やぶの中をずっと歩いていくと、その先にある一軒の家がありました。三叉路にさしかかり、その家のところをどっちかに曲がって自分が住んでいる家の方向に進むんですが、その分かれ道のところになんだか妙なものが見える。


 ぼんやりとした灯りがつけられていて、その灯りが映し出したもの、それはじっと座ってこっちを見ているおばあさんでした。


「あれ、あそこのおばあさんって確か……」


 母は聞いた話を思い出してゾッとしてしまいました。


 そのおばあさん、その時より前に亡くなっているんです。


「なんでそんなおばあさんが座ってこっちを見てるの!」


 恐ろしくて逃げたくても道はそのおばあさんのところを曲がった先。後ろに戻ろうと思ってもそっちは竹やぶ。


「うわあああああああ!」


 まだ小学校ぐらいだったと思うんですが、子どもの母は目をつぶり、必死に走って家の方向に逃げました。


 そして帰ってやっと、それがどういうことだか分かったそうです。


 前回にも書いたように、座棺に亡くなった方を座らせるために、きちんと形が固まるまで布団でくるんで形を作っていました。そのためにそのおばあさんも、布団でくるんで座らせられてたというわけです。


 母は神戸の子なのでそんなこと知りません。なので亡くなったと聞いたおばあさんがそういう状態になっていることに、心底恐怖を感じたことだろうと思います。

 

 というか、どういう状況か分かっててもやっぱり怖いですよね、そうして亡くなった方が外の方を向いて座ってる状態って。もうちょっと家の中とか、せめて背中の方を向けて座らせるとかできなかったのかなあと、幼い母をかわいそうだなと思いながら、ちょびっとだけ笑ってしまったエピソードです。


 

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