君は選ばれし者である

オーミヤビ

選ばれし者

 どこにでもいる、つまらない人間だと思っていた。

 きっと街中ですれ違ったとしても誰も振り返ることはないだろうし、ドラマの通行人を演出するエキストラみたいに取るに足らない存在なのだと思っていた。


 地元の小学校、中学校を卒業し、特段頭が良くも悪くもない公立高校へと入学して、きっと卒業後は名前を小耳にはさんだことがあるだろうかくらいの大学へ進学するのだろう。

 そして平凡な会社員をやっている両親と同じように、きっと僕もそのへんの会社に転がり込んで、特にこの世界に名を刻むこともなく一生をやり過ごしていくのだ。


 そう、僕は確信していた──あの時までは。


***


 生まれたころからこの町に住んでいるけれど、駅の近くにパチンコができた以外には何の変わり映えもない通りを歩き、これまた十数年変化のない駅の方へと進む。

 自転車や徒歩でも行けなくはない距離ではあるが、学校へは電車で通うようにしている。

 周りを見れば、特に変哲もなく、浮かない顔をした会社員やスマホに夢中な学生たちが見える。

 何も変わらない一日にふさわしい、何も変わらない朝がそこにはあった。

 

 ワイヤレスイヤホンから流れる最近流行っているらしいバンドの歌を聞き流しながら、ホームへの階段を下ろうとしたその時。

 ガクン、と視界が変動した。抗いようのない浮遊感が身を包む。

 何が起きたと足元を見れば、僕の足は階段の一歩先の空中を踏みしめており、すなわち僕は階段を転落しようとしていたのだった。


 音楽に夢中になっていたのだろうか、いや単に注意力が散漫になっていただけだ。

 踏みとどまるには前傾体勢が厄介となり、時代遅れなこの駅には掴みやすい手すりなんてものはない。

 最悪は頭からモロに着地することになるだろう。

 死すら過って、思わず目をつぶった。


 ……しかし、いくら待っても転落の衝撃を顔面が迎え入れることはなかった。

 おそるおそるに目を開けてみると、僕はいったいどうしてか、駅のホームのベンチにて座り込んでいるのだった。


「……はぁ?」


 ただただ言葉が出てこずそんな間抜けに声を漏らしながら、いったい何が起きているのだと困惑していると、次の瞬間。


『聞こえているか、少年よ』


 突然、声が聞こえてきた。

 思いがけず鮮明に聞こえてきた声に、思わず耳からイヤホンを取り外す。


『驚かないで、どうか落ち着いて聞いてほしい』


 依然と声は聞こえてくる。

 しかし周りを見てもその声に反応するような素振りを見せる人はいなかった。どうやら、この声は僕にだけ聞こえているらしい。

 固唾をのみながら、僕はその声に傾聴した。


 声の主は、己が未来人であると語った。

 声質は中性的で、口調も堅苦しいものであるのでどのような人間であるかは測りかねるが、何やら切羽詰まったような状況であろうことは声色から推測することができた。

 便宜的に男とするが、彼の話によると、どうやらこの世界はそう遠くはない将来、急激な技術革新が巻き起こり、人工知能が大幅な成長を遂げるらしい。

 そして賢くなりすぎたAIと人間とで、世界を巻き込む全面戦争が勃発すると言う。


『人類を超える知性を持ち合わせた人工知能だが、奴らには倫理観というものが備わっていない。その結果、奴らは人類の選別と称して凶悪な殺戮を決定したのだ。もちろん我々人類がその思惑に屈するわけにはいかない。しかし武力や実力で劣ることは事実だ……しかし君という存在があれば、その現状を打破することができる』


 そして僕は、人工知能との戦争に際して欠かすことのできない重要人物であるらしい。

『ゆえに、がやってくるまで、君の命は我々が守る』

 彼は、決意を固める様に力強い声でそう言った。


 どうやらいくら未来のテクノロジーとは言えども、未来人がこの現代にやってくることは不可能であるらしい。

 しかし僕を命の危険から遠ざけるための、ある程度の間接的な干渉は可能であるらしく、先ほど僕が転落から助かったのも干渉によって転落死という未来を掻き消したからであるらしい。

 まぁ、小難しいことは僕にはわからないけれど、しかしどうやらその干渉は一部の人間にしか有効でないらしく、つまりは僕は選ばれた人物であるらしかった。

 

 そう言ってみるとなんだかカッコイイような気がしてくるけれど、しかし選ばれし者の宿命とでも言うのだろうか、その後の僕は、たびたび命の危険に遭遇することになった。

 ある日は連続的な家屋の火災に巻き込まれそうになったし、ある日は雨上がりの土砂に飲み込まれそうになることもあった。

 またある日は住宅街に現れた刃物を持った不審者に遭遇するなんてこともあった。

 未来人によれば、これらのことは全くの偶然ではなく、人工知能による作為的なものであるらしい。人類が過去に干渉できるのなら、AIもまた過去に干渉することができるのだろう。暗殺者のような刺客を遅れない代わりに、事故や災害で僕を殺そうというのだ。

 しかしそのような事態に陥っても、僕はなんとか生き延びることができている。それも全ては未来人の不思議な力によるものだ。

 どうやら僕は人類を救うその時まで保護の下にあるようだった。


 自分が選ばれし者だと知らされて、じっとしていられるほど僕は無責任でも無情でもなかった。使命感とでも言うべき感情が芽生え始め、今からでもできることはないだろうかと考えるようになったのだった。


 今からでも人工知能の開発を止めることはできないだろうか。

 AIが進化しすぎて謀反を起こすのなら、その大本を切ってしまえばいいという単純な発想であるのだが、しかし単純で幼稚な発想らしく、それはすぐに無理なモノだと痛感した。

 そもそもただの高校生が人工知能の開発をやめろだなんて言ったところで、相手にされるはずもないのだ。僕よりずっと年上の専門家たちがシンギュラリティだなんだと考察してもなおその開発が止まらないのである。もはや人工知能が人類を上回ることは必至だった。


 ならば僕は、その人工知能に対抗するための方法をいくらか学ぶことにした。

 銃や体術などの戦い方や、電子機器やプログラムについての知識、どのように人類を率いていくか……いつかに必要であろうことを手当たり次第に学んだ。

 

 何せ僕は、人類の命運を握っているのだ。

 もはや何の変哲もない高校生のままではいることはできまい。

 そんな固い決意と共に、変わり映えのない日常は一変することになったのだった。


***


 そんなある日。学校からの帰り道のこと。

 僕は相も変わらずどこの研究者のものか、あるいは研究者ですらなさそうな筆者による陰謀論を読みふけっていた。こんなものでも、いつかは人類を救うために役に立つかもしれない、という考えからだ。


 イヤホンから流れるSFチックなBGMを聞き流しながら歩いていると、そんな音楽を貫通するくらいの音量で「キャー」というような悲鳴が聞こえてきた。


 思わずそちらの方へ目を向けてみると、そこにはおそらく小学生くらいだろうかという背丈の男の子が、赤信号の横断歩道の真ん中でうずくまっていた。

 それに気づいていないだろう大きなトラックが、男の子目掛けて迫ってきている。


 近くには公園があり、男の子の体はサッカーボールが抱え込まれていた。

 おそらく車道に飛び出て取りに行ったのだろう。そこでトラックが迫ってきているのに気づいて、恐怖のあまり動けなくなってしまった……といったところか。

 周りの大人たちも気づいているようだが、しかし誰一人として動けないで、ワーワーと騒いでいるだけだ。

 

 ……助けられるのは僕だけ。


 ここしばらくで正義感でも養われたのだろうか、以前の僕では考えられないことに、僕は走り出して男の子の方へと走った。

 少しばかり遠かったもので、トラックももうすぐそこにまで迫っている。

 抱えて横に逸れるほどの時間はなく、僕は苦し紛れに男の子を歩道のところまで突き飛ばした。

 

 きっと横を見れば大きな鉄塊がそこにはあるのだろうが、でも、大丈夫。


 僕は選ばれた人物なのだ。愚直に突っ込んだものの、また未来人の不思議な力が僕を助けてくれるだろうという計算が心の中にはあった。

 今までのように、そこの公園のベンチにでも飛ばされるか、男の子と同じように歩道に飛ばされるに違いないと確信していた。


 しかし次の瞬間、僕は今まで感じたことのない衝撃を全身に喰らった。


 泣きそうな男の子の表情が映っていた視界は一変、トラック、横断歩道、どよめく歩行者たち……今の現状を俯瞰しているような光景が映った。

 

 そして耐え難い激痛が、僕は跳ね飛ばされたのだということを知らせた。


 ここから地面へ墜落すれば、死は免れない。

 

 でもそんなはずはない。

 僕は選ばれた人物なのだ。ここで死ぬはずがないのだ。

 人類を、世界を救わなくてはならないのだ。


「なん、で」


 自然とあふれた声に応答する様に、またあの声が脳裏に響く。

 時が止まったように連綿と思考が紡がれていく。


『我々は君以外に干渉することができない。ゆえにその子を救うことはできないんだ。過去に干渉するのはそう簡単なことではなくてね、あまりに芯のない運命を持つ人物にしか、その効果は発揮できないんだ』

「なんで、そんな。どういうことだよ。というか、その時まで僕の命を守るんじゃなかったのかよ」


 いったい彼が何を言っているのか理解できなかった。

 そしてその理解が間に合うことはなく、未来人は嬉々の滲んだ声で言葉を続けた。


『そうだ。今がまさに、なのだよ。人類を救うのは今君が助け出した、あの男の子なのだから』

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