第2話


どれほど、眠りに落ちていただろう。

鉛のように重たい瞼を、無理矢理こじ開けると、薄暗い群青色に染まったテントの天井が、ぼやけた私の視界に飛び込んでくる。

何度か目を瞬かせ、多重にずれた焦点を合わせる。天井の隅に浮かぶ、小さな白熱の球体が、仄かにテント内を照らしている。燃えないんだろうか。

私は即席の寝台に寝かしつけられていた。全身から熱が引いた代わりに、手だけが異様に温かい。それに、手足の筋肉すべてに茨が詰め込まれたような、引きつった痛みが断続的に襲う。筋肉痛でも、こんな痛みに陥ったりはしない。


「(テントの内装の模様……これ、ハインバーグの紋章だ。やっぱり王国直属の騎士団か、兵隊ってところかな)」


となると、私を抱き留めてくれたヒース王子は幻覚ではないらしい。保護されたと安堵した直後に、妙な違和感が私の中に引っかかる。

ヒースは「曙のプリンシア」におけるメイン攻略対象の中心人物かつ、あけプリの看板キャラクターだ。

その性格は頭脳明晰だが冷静沈着を通り越して冷徹無情、表情差分はどこぞのファミリーレストランの間違い探しさながらの高難易度と揶揄されるほど。(因みに見分けポイントは眉間の皺の数とえくぼ、眉尻の微々たる角度だ。)

文字通り心臓が凍てついているような人物像であるだけに、序盤から私(もといライト)に対して、体を抱き留めるだの、保護するなどといった優しさの欠片を見せたことにやや驚きだ。


「(いや、でもこんな非常事態だし。王子様なのだから、弱り切ってる人に手を貸すくらいの人情は持ち合わせてる……よね。多分)」


否、私の思い出補正が入っていることは認めよう。さしたる問題ではないはずだ。

それより、私の記憶が正しければ、太陽の継承の直後に、かなり強烈なイベントがあった筈。

……駄目だ、上手く頭が回らない。中学生の時、たちの悪いインフルエンザに罹って、たこ焼きの宇宙人やハエ頭の美女や全身が顎と髭で出来ているオジサンと一緒に、ソファの上でボリウッドダンスを踊った夢を見た時と同じくらい、思考力が低下している。

とにかく今は現状を把握したい。視覚が頼りにならないので、聴覚を研ぎ澄ませると、テントの外から話し声が聞こえてきた。

おそらく、ザルツ村の惨状を確認するため派遣された、ハインバーグの兵士達だろう。


「──にしても酷い有様だ。黄昏の魔女の仕業だとして、斯様に惨い真似ができようか。埋葬された死体を確認したがね、ありゃ殆ど、どれが誰だか分からんかったよ」

「住民がたった一夜で全滅、生き残ったのはあの子供だけか。可哀想に、やつれてぼろぼろでなあ。そもそも男の子か、女の子か。あの子は」

「俺は男だと思ったんだがね。でなきゃあ、百人近くいる死者を、一人きりで埋葬できるような精神は持ち合わせちゃおらんだろ」

「いやいや、女こそ、いざ過酷な状況に放り込まれたら、逞しく動くものさ。うちのおっかさんがそうだもの。だとしても、よく五体満足でいられたもんだ」

「後で話を聞かなきゃならん。それにしたってヒース様が直々に足を運ぶなぞ、珍しいこともあるものだ。あの氷の王子様が、こんな田舎村の様子を確認にいらっしゃるとはね……」

「しっ、聞こえるぞ。そのあだ名で呼んだことがばれてみろ、削り氷の味付けにされちまう」


会話が不意に途切れた。重々しい足音が雪を踏みしめる音がして、お喋りをやめた兵士たちの鎧が擦れる音が響く。

不意にテントの天幕が開いて、噂の人物もといヒースその人が、私の眠るテントの中に入ってきた。二人ほどの兵士と、老いた医師らしい人物を伴っている。

ヒースは私を冷ややかな目で見下ろすと、「起きたか」と抑揚のない声で問いかけてきた。

老医師が「声は出ますかな?」と問いかけてくるので、「はい」と答えようとし、かすれた「へゃい」という返事が喉から漏れた。喉がからからに渇いていた。

バシネットとバイザーで顔を覆った兵士が、優しい声で「水をどうぞ」とコップを差し出してきた。聞き覚えがある気がしたけど、深く物を考える余裕はない。

「ありがとう」をどうにか告げて、がぶがぶと水を飲み干す。村の井戸も、死んだ村人達の血で穢されていたので、私は何も口に出来ていなかったのだ。視界がしょぼしょぼと歪んだ。

水で喉を潤すと、ヒースは私を見下ろしたまま問いかけてくる。


「ザルツ村のライトだったか。村で何が起きたか説明しろ」

「そ、れが……分からない、んです。夜中に、村の人達に起こされたと思ったら、何の説明もなく、水車小屋の地下にある氷室に閉じ込められて……」

「どうやって外に出た。密室であろう」

「は、排熱口の狭い通路から外に出ました。外に出たら、皆もう、死んでて……私……」

「説明もなく幽閉された理由は?」

「分かんないです……」


嘘はついていない。実際、記憶を取り戻すまで、ライトは村で何が起きたかなど、想像もつかなかった。

展開ストーリーを知っている私だからこそ、仇が誰なのかも、村で何が起きているかも知っている。ここで迂闊にべらべらと語るのは悪手だから、すっとぼける他ないことが歯痒い。

──けれど、分からないこともある。

村人達が私を閉じ込めた理由についてだ。本来のシナリオであれば、主人公のライトはベアロ、ナンシィと共に森の奥へと誘われていく。森の奥にある剣の結晶の前で、二人に「大人になったらどっちと結婚したい?」と問われ、選んだ方とデートをすることになる。ライトは夜、選んだ相手と森で逢瀬をする際、不意打ちを受けて襲われてしまい、為す術もなく気絶してしまう。

そして次に目を覚ましたとき、森から脱出してザルツ村に戻ると、村人全員が殺害され村を焼かれる……という展開であったはずだ。

少なくとも、水車小屋に閉じ込められたり、夜中に叩き起こされるなんて展開ではなかったはずだ。……つまり、本当に心当たりがないのである。

目を合わせられないまま、ぽつぽつと語る私の頭頂部に、冷え冷えとした視線が突き刺さる。


「ザルツ村のライト。貴様には「黄昏の魔女」の容疑が掛けられているといったら、その口も正直になるか?」

「シャブダッ!?な、なんでそんな話になるんですかっ!?」

「(くしゃみみたいに叫んだな)」

「(くしゃみみたいな声だったな)」

「……ザルツ村の惨状は確認した。魔獣が人間を捕食することは珍しくないが、家屋や田畑までをも執拗に破壊するような悪意は持ち得ない。

それに村人達の骸は、いずれも悪意をもって破壊された痕跡が残されていた。間違いなく、黄昏の魔女の仕業だ。

生存者は貴様一人だそうだな。黄昏の魔女が生き残りの人間のふりをして、あわれっぽいやつれた顔を作って我々に保護を求めている……そうは考えられないか?」


私は息を飲み、面を上げた。ヒースの冷えきった瞳と視線がかち合う。彼の双眸はまるで、「反論してみろ」といわんばかりであった。

兵士達の視線が、一瞬で憐れみから敵意に彩られた。数人の兵士が剣や槍に手をかけて身構える。……かなりの絶体絶命ヤバピンチだ。

状況だけ見れば、確かに私はかなり怪しいし、そう捉えれても仕方ない立場だ。けれど、聡明なヒース王子がこんな安直な推理で人を疑うものだろうか?

私が言葉を発しようとした矢先、不意に私の目の前に、半透明の板……「パネル」が出現した。

さながらそれは、会話テキストパネルの如く、四つの文章が順番に並んでいる。まるでそう、恋愛ゲームによくある、今後のルートを選択するための決定的な台詞の一覧のようだ。

幸か不幸か、このパネルは私以外、誰にも見えていない。どころか、時間が止まったように、皆凍りついてしまっている。もしかして、このパネルが見えている瞬間は、本当に時間が止まっているのだろうか?

私はおそるおそる、宙に浮かぶパネルを見上げ、文章を読む。


【私が黄昏の魔女だなんて何かの間違いです!お願い、信じて!】

【随分と皺の少ない脳みそで私を疑うんですね】

【そんな演技が出来るほど、黄昏の魔女は器用なんかじゃない】

【助けてナマステー!私は黄昏の魔女なんかじゃないんでスッテー!】


思わず鼻と喉から同時に変な音が出た。具体的には「は」と「の」と「お」が重なったみたいな変な声だった。

おい、なんだこの一番最後の選択肢は!どれもこれも地雷臭がたっぷり臭ってるけど、一番最後はとびきり頭が悪いで済ませられるような台詞ではない。

何を思ってこんな選択肢をわざわざねじこんだんだ。今日びこんなサムすぎるダジャレ、酔っ払いの中年でも口にしない。

……だが一方で、悪魔の尻尾を生やした、もう一人の私が耳元で囁く。


『この緊張感で破裂しそうな空間で、こんなふざけた台詞、言ってみたくない?』


言ってみたい。ものすごく、声を高らかにして叫んでみたい。

不敬罪で斬首一発どころじゃないが、関西生まれの私の血が騒ぐ。

緊迫したシリアスな場で、しょうもない一発ギャグじみた一言。確実にスベること請け合い。

でもこの場にいる皆が動揺したら、すこぶる愉快なんだろうなという悪い好奇心が、私の背中をばしばしと押してくる。

なんだったら私は絶大な体調不良で判断能力がイカレていた。


「……………………………………………た」

「た?」

「助けてナマステー!私は黄昏の魔女なんかじゃないんでスッテー!」


言った。言ってしまった。言葉を発した瞬間、宙に浮かんでいたパネルは消失していた。

場の空気が凍りつく。全員の目がゴマのように点になって、私を凝視している。ヒースも呆気にとられて私の顔を食い入るように見ている。

口に出した後で我に返り後悔したけど、覆水盆に返らず。果たして今からでも土下座は間に合うだろうか。そもそもこの世界で土下座の意味は通用するのか。

私が上体を起こした時、ヒースがぼそりと声を漏らした。


「その言葉、まさか古代からハインバーグに伝わる【潔白の宣誓】………!?」

「は?」

「その祝詞は、自身が真に潔白で高貴な血筋である人間にしか使えないもののはずだ。貴様は何者だ、ザルツ村のライト!」


なんだそれは。今度は私が凍りつく番だった。

兵士達も次々に「こんなに滑らかに【潔白の宣言】が使えるなんて!」「普通の人なら一単語紡ぐだけで舌を噛み悶え苦しむという話では?」「しかも祝詞を発したのに体は無事だ!」とざわつき始める。

待って、私の知らない話を続々と繰り広げないでくれ。冷徹のヒース王子がこんな形でオーバーリアクションを披露するところなんか見たくなかったぞ。

ばっとヒースが手で制し、兵士達はやっと口を噤んで平静を取り戻す。


「……【潔白の宣言】が使えたということは、少なくとも貴様は黄昏の魔女ではない。不躾な発言を撤回しよう」

「は、ハァ。誤解が解けて良かったです」

「まさか聖なる言葉【サンスクリット】を使う者がいたとは驚きだ。このハインバーグでも話者は殆ど残っていないはず。いるとすれば、それは太陽の手の持ち主、すなわちプリンシアのみだ」


その言葉を聞いたとき、私の脳が急速に記憶の引き出しを叩き、ひとつの知識を引きずり出した。

──忘れていた。曙のプリンシアには、とんでもない爆弾が隠されていたことを。

そう、その名も【インドルート】である。

曙のプリンシアは、歴代を通してこのカルトルートが存在する。インドを想起させる選択肢ばかりを選ぶと、全てがインドになるのである。具体的には、舞台も音楽も人物も全てがインドになり、最後には踊って歌って全てが終わる。舞台設定も人物設定も全部がインドネタを盛り込んだ滅茶苦茶なネタと化した「現実改変」が発生してしまうのだ。

そのエンディングをハッピーエンドと呼ぶ人もいれば、全てのストーリーの中でも最悪のカルトバッドエンドだと評する人もいる。

叔父のヨシテルは五日間の徹夜を経てこのインドルートシナリオを作成したらしい。何故誰も止めなかったのか。しかもかなりの高確率でインドルートに到達しやすいことが、曙のプリンシアが高難易度恋愛ゲームとして評価される所以である。


「(まずい!もしかして私、初手からインドルートのフラグを踏んだ!?)」


そしてインドルートには、私が必ずといっていいほど避けなければならない要素がある。

インドルートに進むと、「黄昏の魔女」がのだ。黄昏の魔女がカレーの妖精というふざけた設定に置き換わってしまうし、黄昏の魔女そのものの存在が抹消されてしまう。

なんだったら、ザルツ村は「ゲキカラ村」という名前に変えられてしまい、カレーの泉が湧く観光スポットに成り代わってしまう。

それだけは絶対避けなくては!私の愛した村がカレーの妖精に滅ぼされたなんて、あまりにも救いがない世界にだけは変えてはならないのだ!


「(回避しなくては………だけは回避しなくてはッ……!)」


神妙な顔で話し合うヒース達の横で、私は一人静かに悶絶した。



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曙のプリンシア〜叔父の作った乙女ゲー、インドルートを回避せよ〜 上衣ルイ @legyak0810

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