第10話 領主の仕事
ジョバンニはわたしを見下ろした。
今朝、ペチコート姿を見られたことを思い出して、わたしは急に恥ずかしくなった。
ジョバンニも思い出したのか、少し顔を赤くしながら見下ろしている。
「ジョバンニ、誰だった?」
執務室の中からカンパニーレ侯爵の声がした。
「モニカお嬢様でございます」
「はぁ? クレメンティ伯爵令嬢の趣味は覗きか。悪趣味ですね」
「旦那様、いかがなさいましょう」
「つまみ出せ!! と、言いたいところですが、覗き見するほど、仕事に興味を持つ令嬢も珍しい。
その辺をウロウロされても困りますからね。
いいでしょう、中に入れてください」
へ? 中に、ですか。
中に入れられたら、わたし消されるかもしれない。
恐怖で震えていると、ジョバンニが手を差し伸べてくれた。
「お嬢様、立てますか? お手をどうぞ」
いつの間にか、わたしは恐怖で腰が抜けていたようだ。
*
執務室の中はたくさんの書物と、たくさんの書類がきれいに棚に収納されていた。
机の上には今必要な物だけが置かれている。
几帳面に整理整頓している様子を見ると、カンパニーレ侯爵の性格がよく表れた執務室だ。
項目別に仕分けしてあるから、資料の場所もわかりやすい。
ということは、怪しい書類も一目で見つけられるかもしれないわね。
そんな疑心暗鬼な気持ちで執務室の棚や書物を見回していた。
「興味があるなら教えましょう。わたしの仕事は領地の管理です。
それは、あなたのお父様も同じだと思いますが」
「農作物や税金を納めてもらったものの管理ですか?」
「簡単に言えばそう言うことですが、するべき仕事は多岐にわたります。
領地内での行政業務、法的紛争処理。その中に税金の納入管理も含まれます」
「うげっ、難しそう」
「うげっ?」
「いえあの…、すごく大変そうです」
「それから、辺境地は防衛も大切な仕事です。
戦いの最前線に出なければならないこともあります」
「あ、昨日の返り血は、戦いがあったから…」
「他に、夫人にもやっていただく社会的な仕事もあります。
宮廷や社交場での参加、宴会の開催、宗教的行事の開催、文化や芸術の支援など」
「それを、全部お一人でされているんですか?」
「だいたい一人でこなしています。
ジョバンニや、隣の領地の友に助けてもらいながらですが。
それでも、行政業務が追い付かないのが実情です」
「誰かを雇うことはしないのですか?」
「確かに人手不足ですが、即戦力にならない人間に教えている余裕はありません」
「だったら、自分でやると」
「業務に支障が出ると、領民の暮らしにも影響が出ます。
領民の暮らしを守ることが最優先ですから」
くそ真面目なんだわ。
全部自分で背負ったら苦しいでしょうに。
ふと、机の上の書類に目が留まった。
税金の管理なのか、計算式が書かれている。
その横には、裁判で使うのか『訴状』と書かれている。
きっと、領民の言い分を聞いたりもするのだわ。
こんなにたくさんの書類に目を通し、サインをする。
これは大変な業務量だ。
こういう事情なら、結婚契約書はさらりと目を通したくらいにして、
さっさとサインしてしまうのも、わかる気がした。
次から次へとやらなければならない業務量が多すぎるのだ。
わたしの父も忙しそうにしているが、父には母がいて要を取り仕切っている。
そうか、なるほど、夫人がする仕事って、掃除や料理だけじゃない。
領主を支えるパートナーにならなければいけないのだわ。
「そこにある書類をじっと見ていますが、あなたに計算式はわからないでしょう?」
「いいえ、寄宿舎で習いました。あまり得意じゃありませんが」
「習った? では、書類作成はしたことありますか」
「それなら、修道院の業務を手伝っていましたからできます」
「そうですか…、ジョバンニ、
クレメンティ伯爵令嬢に、業務の一部を教えてやってください」
「はい、旦那様、どのような内容を分担いたしましょうか」
「そうですねぇ。まずは、この領地のことを徹底的に頭に入れてもらいます。
住民台帳作成と税金管理」
「本来の夫人の仕事である社交界への参加は、いかがいたしましょうか」
「そのようなことに時間を割きたくありません。だいたいここには、来客がないですし。
執務室で仕事ができるのなら、こっちを優先してください」
うまくいけば、わたしは消されなくてすみそうだわ。
けれども、仕事をミスしたらわからない。
だって『即戦力にならない人間に教えている余裕はない』と言っているもの。
即戦力にならないと判断された時点で、首チョンパかも。
さっそく、わたし用の机が用意され、書類が積まれていった。
「はいこれ。はい、これも。これとこれも……」
こ、こんなにですか……。
初めて執務室に来たのに、量が多すぎませんか。
しかし、執務室を覗いてしまったのは誰がどう見てもわたしが悪い。
ここで断れる立場じゃない。
「まず、この地図を見て地区の名前を憶えてください。
最初は、地図を見ながらでも結構ですから。
住民の出生届、死亡届、移転などの書類を仕分けして、内容もチェックして、こちらにまとめてください」
うっ、なんだって?
カンパニーレ侯爵、そんなにいっぺんに言われましても。
「お嬢様、大丈夫です。わからなかったら、わたくしに聞いてください」
ジョバンニ。
あなた、天使なの?
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