第10話 領主の仕事

ジョバンニはわたしを見下ろした。


今朝、ペチコート姿を見られたことを思い出して、わたしは急に恥ずかしくなった。

ジョバンニも思い出したのか、少し顔を赤くしながら見下ろしている。


「ジョバンニ、誰だった?」


執務室の中からカンパニーレ侯爵の声がした。


「モニカお嬢様でございます」


「はぁ? クレメンティ伯爵令嬢の趣味は覗きか。悪趣味ですね」


「旦那様、いかがなさいましょう」


「つまみ出せ!! と、言いたいところですが、覗き見するほど、仕事に興味を持つ令嬢も珍しい。

その辺をウロウロされても困りますからね。

いいでしょう、中に入れてください」


へ? 中に、ですか。

中に入れられたら、わたし消されるかもしれない。

恐怖で震えていると、ジョバンニが手を差し伸べてくれた。


「お嬢様、立てますか? お手をどうぞ」


いつの間にか、わたしは恐怖で腰が抜けていたようだ。





執務室の中はたくさんの書物と、たくさんの書類がきれいに棚に収納されていた。

机の上には今必要な物だけが置かれている。

几帳面に整理整頓している様子を見ると、カンパニーレ侯爵の性格がよく表れた執務室だ。

項目別に仕分けしてあるから、資料の場所もわかりやすい。


ということは、怪しい書類も一目で見つけられるかもしれないわね。


そんな疑心暗鬼な気持ちで執務室の棚や書物を見回していた。


「興味があるなら教えましょう。わたしの仕事は領地の管理です。

それは、あなたのお父様も同じだと思いますが」


「農作物や税金を納めてもらったものの管理ですか?」


「簡単に言えばそう言うことですが、するべき仕事は多岐にわたります。

領地内での行政業務、法的紛争処理。その中に税金の納入管理も含まれます」


「うげっ、難しそう」


「うげっ?」


「いえあの…、すごく大変そうです」


「それから、辺境地は防衛も大切な仕事です。

戦いの最前線に出なければならないこともあります」


「あ、昨日の返り血は、戦いがあったから…」


「他に、夫人にもやっていただく社会的な仕事もあります。

宮廷や社交場での参加、宴会の開催、宗教的行事の開催、文化や芸術の支援など」


「それを、全部お一人でされているんですか?」


「だいたい一人でこなしています。

ジョバンニや、隣の領地の友に助けてもらいながらですが。

それでも、行政業務が追い付かないのが実情です」


「誰かを雇うことはしないのですか?」


「確かに人手不足ですが、即戦力にならない人間に教えている余裕はありません」


「だったら、自分でやると」


「業務に支障が出ると、領民の暮らしにも影響が出ます。

領民の暮らしを守ることが最優先ですから」


くそ真面目なんだわ。

全部自分で背負ったら苦しいでしょうに。


ふと、机の上の書類に目が留まった。

税金の管理なのか、計算式が書かれている。

その横には、裁判で使うのか『訴状』と書かれている。

きっと、領民の言い分を聞いたりもするのだわ。


こんなにたくさんの書類に目を通し、サインをする。

これは大変な業務量だ。

こういう事情なら、結婚契約書はさらりと目を通したくらいにして、

さっさとサインしてしまうのも、わかる気がした。

次から次へとやらなければならない業務量が多すぎるのだ。


わたしの父も忙しそうにしているが、父には母がいて要を取り仕切っている。

そうか、なるほど、夫人がする仕事って、掃除や料理だけじゃない。

領主を支えるパートナーにならなければいけないのだわ。


「そこにある書類をじっと見ていますが、あなたに計算式はわからないでしょう?」


「いいえ、寄宿舎で習いました。あまり得意じゃありませんが」


「習った? では、書類作成はしたことありますか」


「それなら、修道院の業務を手伝っていましたからできます」


「そうですか…、ジョバンニ、

クレメンティ伯爵令嬢に、業務の一部を教えてやってください」


「はい、旦那様、どのような内容を分担いたしましょうか」


「そうですねぇ。まずは、この領地のことを徹底的に頭に入れてもらいます。

住民台帳作成と税金管理」


「本来の夫人の仕事である社交界への参加は、いかがいたしましょうか」


「そのようなことに時間を割きたくありません。だいたいここには、来客がないですし。

執務室で仕事ができるのなら、こっちを優先してください」



うまくいけば、わたしは消されなくてすみそうだわ。

けれども、仕事をミスしたらわからない。

だって『即戦力にならない人間に教えている余裕はない』と言っているもの。

即戦力にならないと判断された時点で、首チョンパかも。


さっそく、わたし用の机が用意され、書類が積まれていった。


「はいこれ。はい、これも。これとこれも……」


こ、こんなにですか……。

初めて執務室に来たのに、量が多すぎませんか。

しかし、執務室を覗いてしまったのは誰がどう見てもわたしが悪い。

ここで断れる立場じゃない。



「まず、この地図を見て地区の名前を憶えてください。

最初は、地図を見ながらでも結構ですから。

住民の出生届、死亡届、移転などの書類を仕分けして、内容もチェックして、こちらにまとめてください」


うっ、なんだって?

カンパニーレ侯爵、そんなにいっぺんに言われましても。


「お嬢様、大丈夫です。わからなかったら、わたくしに聞いてください」


ジョバンニ。

あなた、天使なの?



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