第23話「人と機械と」

 シルバークルーザー内でトロンはベンチに座り込んでいた。彼女の頭部にある演算装置はやや熱を上げていた。周囲への警戒は閉ざされ、ひたすら演算に集中していた。

 ガシャン!いきなり隣で大きな音がなり、トロンの意識は帰還した。


《アルブレヒトですか……》

《どうした?いつになくしかめっ面だな》

《私はいつもこうですが……》


 トロンは心なしか睨むようにアルブレヒトを見つめた――眉は吊り上がり、黄金の瞳は鋭くなる。しかし、その仄かな怒りの対象は別にあった。

 そんなトロンの怒りを無視するかのように、アルブレヒトは大きく股を開いて間で手を組んだ。


《ユーのことか》

《現状、ユーの腕は神経の損傷が激しすぎる、サイボーグ化しても元のように動くとは……》

《……それは目標設定に誤りがあるんじゃないか?》


 アルブレヒトの言葉に、トロンは唖然とした表情をみせた。そして、それは真面目なトロンに明確な怒りをもたらした。席を立ち、反論しようとした彼女だったが、アルブレヒトが手を上げると、彼女は腰を下ろし、彼の言葉に耳を傾けた。


《俺達は起こったことすべてに対して、どこかに最高にスマートな解決策があると思ってる》

《それを今――》

《いいか?そんなものはほとんどの場合ない――あるいは思いついてもできない》


 トロンは言葉を失った。アルブレヒトを睨み、何か言い返そうとした。だが、目線はすぐに下がった。彼女自身の演算装置が、何度も同じ答えに到達していたからだった。


《いいか、焦って解決する必要はない。状況が変わるのを待ってからでもいい》

《……確かに、もうユーの腕の神経はこれ以上悪くなることはありません、でも――》

《それだ》

《?》


 アルブレヒトは、少し前のめりになってトロンの黄金の瞳を見た。黄金の瞳は何かを求めて光輝いていた。


《でも何かしたい、その気持ちを持っていることだけは伝えてやれ》

《……私はユーに同情するにはあまりにも安全な位置にいます》

《――だから、自分には何もできないと?》


 トロンのこぶしは強く握りしめられていた。金属がこすれ、ぎりぎりと音を立てていた。アルブレヒトはその手をモノアイをキュルキュルさせて覗いていた。


《そこまでいらだってるなら十分だ》

《この態度もユーを苛立たさせるだけかも》

《……とにかく話してみろ。現実はもっとシンプルかもしれん》

《……》

《失敗したらアルブレヒトに焚きつけられたとチクればいい》


 トロンの表情は仄かに緩んだ。彼女は先ほどまで熱を上げていた演算装置が冷めていたことに気づいた。

 アルブレヒトは立ち上がり、伸びをした。トロンも立ち上がり真似をする……そうしてトロンが立ち去ろうとした時だった。


《最後にひとつ……お互いが納得できる方針を立てろ……最悪、合理性は無視してもいい》


 ――


 シルバークルーザーは草木をなぎ倒し、突き進む。その船内の治療室でユーは窓の外を見つめ続けていた。けがをしているはずの利き腕の左手の感覚が薄く残り、左腕に刺さる点滴用の注射器の痛みだけが、当てつけのように鈍く広がっていた。

カンカン!ドアの向こうで金属と金属がぶつかる音が響く。しばし静寂が訪れる。


「……トロン入ったら?」

《失礼します、ユー》


トロンが歩くたび、彼女のスーツがシャカシャカとすれる音が響く。ユーは少し、眉をゆがめた。


「戦闘服のままなんだ?」

《すみません、先ほどまで哨戒の当番だったので》

「いいけど……」


 会話が途切れる。話している時は聞こえなかった医療機器の駆動音が、やけに響き渡った。


《調子はどうでしょうか?》

「……カルテが出てるからそれを見れば?」

《いえ感覚的な調子を聞きたいのです》

「そんなのトロンに言ったってどうせわからないじゃん――!」


 ユーの目に映るトロンの表情は透き通っていた。彼女の胸に溶けた鉛が流し込まれたような感覚が満ちる。


《――そうですね、私には感覚器もなければ神経も通っていません》

「そんな――んぅぅ!」


 あまりにもそっけなく返したトロンに、ユーの胸にかき混ぜられた感覚が満ちた。


《……私にはあなたの痛みはわかりません。その点滴の太い針の痛みも、腕を失う恐怖も》

「――!」


 激しい後悔と自身への怒りで、ユーの心は酸で溶けるような痛みを感じた。痛みでユーの顔に涙が浮ぶ――


《理として解することしかできません……無様ですよね》

「もういい……ごめんなさい」


 溶けつくしたユーの心はなおも、しみるような痛みが続いた。点滴の針の痛みなど彼女はとうに忘れていた。


《……だから、私達電子生命体ができることは、データを重ねることしかないのです》


 トロンはユーの右手を優しく両手で握り、指を一つ一つ触った。

 ユーの右手に冷たい金属の感触が伝う――いつも握っているエネルギー銃と本質的には変わらないというのに、なにか違う、わずかな熱を帯びているとユーは感じた。


「腕がもう動かないのが怖いの……何も作れなくなったらって」

《必ず解決策を探します。サイボーグ化でもマーセナリーの腕を奪ってでも》

「右腕も、失ったらって……」

《すべて盾で防ぐか、銃で先に敵の腕を潰します》


 トロンの淀みない回答に、ユーは面を喰らい、ついには涙を流し始めた……


「なん……で、そこまです……るの?」

《ただユーといたいからです、順を追って理由を説明することもできるでしょうが、意味はありません》


 トロンの真摯なまなざしは金色に輝いていた。ユーには少し、赤く見えた。


「私を守ってくれるの?」

《あなたが進んでくれるのなら……》


――END

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