第17話 「ねえ、私のヌードを撮ってくれない?」
精霊迎えのお盆が過ぎ、京都の夏の風物詩である五山の送り火も終わって、夏休みも残り少なくなった八月の下旬に、淳一が突然に言った。
「明日から二、三日、田舎へ帰って来るよ。だから・・・」
「うん・・・」
二人は図書館のロッカーに預け入れたものを取り出すのも忘れて、淳一の部屋へ直行した。
「暫しのお別れね」
「うん、そうだな」
そう言い合って、二人はベッドの中で裸の腹と腹とをぴったりと密着させ、鼻と鼻とを擦り合わせた最短距離で、たっぷりと、暫しの別れを夜まで惜しんだ。
「早く帰って来てね」
美穂が囁くようにぼそぼそ声でそう言うと、同じような囁き声で淳一が答えた。
「うん、解かっているよ。一分でも一秒でも早く帰って来る」
然し、三日経っても四日経っても、淳一は帰って来なかった。五日目に美穂は淳一のスマホに小言のメールを送った。無論、毎日、互いに状況報告のメールは交わし合っていたが、帰って来る催促をしたのは初めてだった。
「田舎の街で両親や姉妹に取り囲まれて、のんびりと何をしているの?浦島太郎になっても知らないわよ、其方の一日は此方の百年かも知れないんだからね!」
淳一の返信は他愛の無いものだった。
「いやぁ、久し振りに高校のクラスメイトと酒を飲んだり、幼友達と逢ったりして、なかなか忙しくて・・・」
「綺麗な女の娘と愉しくやって居るんじゃないの?」
「そりゃまあ、男女共学の高校だったから、可愛いクラスメイトも居るわ、さ」
「何よ、バカ!」
同窓会の流れ二次会で入ったパブで、嘗て写真部で仲良く一緒に活動した「タエちゃん」が隣に腰掛けて淳一に囁いた。
「ねえ、あたしの写真を撮ってくれない?」
「えっ?」
「あなたの写真は昔からとっても綺麗で、あたし物凄く気に入っていたの。だから、是非あなたに撮って貰いたいのよ、駄目?」
「駄目じゃないけど、でも、何故?」
「あたし、青春の終わりの一番綺麗な躰を撮って残して置きたいの、人生の記念の一ページとして」
「綺麗な躰?」
「そう」
「と言うことは?」
「そうよ、ヌードよ」
「えっ!」
思わず声を挙げた淳一の眼の前には、「タエちゃん」の愛称で親しまれた可愛い女生徒ではなく、二十四歳に成熟した大人の女性が居た。アルコールの酔いで潤んだウルウル瞳で見詰められて、淳一は了解の返事をした。
「じゃあ、明日の晩、あたしの部屋へ来てくれる?時間は六時で良いわ。準備は整えておくから」
翌日夕方六時、淳一が弾む心で彼女のマンションへ入って行くと、何と、部屋全体が黒い暗幕で被われて煌々とライトが灯り、スタジオ気分満点の雰囲気だった。淳一は小道具の花やロココ風の椅子を整え直し、嘗て写真部で覚えた口先き三寸のテクニックを使って撮影を始めた。
「素晴らしい躰やなあ!」
「肌が凄く綺麗だよ!信じられない程だ!」
「それ、それ、そのヒップのカーブ、それ、行くよ、ハイ」
馴れないヌードになった被写体の気分を解し、和らげ、盛り上げつつ、淳一は順調に撮影を続けて行った。青春の終わりの記念に、若い自分の躰の記録を残しておきたい彼女のことを思って、彼は、不都合な線は隠し、柔らかいライティングで肌の美しさを漂わせ、ソフト・フォーカスで眼元や唇の表情を創り上げて、ひたすら綺麗に、綺麗に、と撮り続けた。
やがて、少し疲れを覚えた彼女がコーヒー・タイムを提案して、冷蔵庫に入れて在ったサンドウイッチを二人で食べ始めた。その時、淳一は、全裸の躰に洗い晒しの浴衣を巻き付けただけの姿でサンドを食べる彼女に急に気を惹かれ、素早くカメラを手に取った。それまでに撮り終えたヌードとは全く違った表情が見えた気がしたのである。
「いやよ、こんなとこ、撮っちゃ」
彼女は疲れた顔を淳一に向けて言ったが、強いて止めはしなかった。
淳一はもう小道具は使わなかったし、口先テクニックも用いなかった。其処には二十四歳の成熟した女の、世界の何処にも無い綺麗な肉体が在った。彼がどうしても撮りたいと切実に思う何かが出現していた。彼女も言われるままにポーズを変え、ポーズが変わる度に見えて来る何か見定め難いものを淳一は黙々と撮り続けた。彼女はM字開脚とか大股開きと言ったエロティックな姿は撮らさなかったが、黒く艶やかに光るヘアは惜しみなく披露した。
二時間余りで撮影が終わった後、デジタルカメラの撮り終えた写真を見ながら、不意に彼女が言った。
「あなた、童貞なの?」
「えっ?・・・何だって?」
「だから、筆おろしは未だか、って聞いているの」
「ああ、終わってはいるが、然し、初心者だよ、未だ」
「そう・・・」
「どうしたんだ?」
「お礼をしなくちゃ、ね」
そう言いながら彼女は淳一の手を優しく取った。
一糸纏わぬ熟れる寸前の全裸に、レンズを通してではなく、裸眼の眼を射られた淳一は、我を忘れて、形振り構わず、彼女との肉の営みに突き進んで行った。それは、決して繰り返されることの無い二人の間の、それ故にこそ、互いに、無限に優しいひと時であった。
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