1-5

 寒陽さんと夜香さんに出会ったその日の夜。ご飯を食べる時もお風呂に入る時も、己の体にあるマナの存在を探すことに意識が向く。


 ツユクサさんからも『ほどほどにね』と笑われるくらいには気が急いていたようだった。


 でも分かるでしょう? 今までの絶望の生活から、私が渇望していた希望という名の『存在意義』を垂らされたら、それに縋りたくもなるだろうことは。


 そして存在意義に報いるために必要な『属性魔法の操作方法』を分かりやすく教えてもらえたとしたら、寝る間も惜しんで練習したくもなるものだろう。


「でも、難しい……」


 マナ溜まりという臓器は心臓の近く、胸の右側にある。そこに溜まっているマナを全身に巡らすのが最初に出された課題だった。しかし今まで生きてきて意識したことがなかったから、どうもその感覚が掴めない。


 早く、早くと気だけが急いて、いつの間にか夜が明けていた。


…………


「あらあら、きちんと睡眠は取ったのかしら?」


 次の日、ツユクサさんとの属性魔法の稽古が始まって早々にそう聞かれる。


「眠れはしませんでしたが、何ら問題はありません。」


 今までだって何度も徹夜して知識の探究に励んだりしていたのだ。そしてその次の日のガイスト狩りに支障が出た試しもないのだから、今回も大丈夫だろう。


「あらあら、そう。でもそれは若いから成せる技だろうから、これからはきちんと睡眠は取りなさい。」


「はい。」


「さて、言いたいことは言えたし、早速稽古を始めましょうか!」


「よろしくお願いします。」


 先程までの緩い気持ちから切り替えて、ツユクサさんに教えを乞う。


「さて、サクラにコツを教えてもらっているだろうから、私から新たに何か言うことはないわ。……ああ、でも一つ、言っておくわ。マナ溜まりも、私たちの体の一部よ。」


 そう言ってツユクサさんは私の様子を見られる程度に少し離れたところへ腰を下ろした。そこ、さっきまで椅子なんて無かったのに……。


 どうやらメイドのキンレンカさんが音も余分な動作もなく椅子を持ってきて、そこにツユクサさんが座ったらしい。なんてコンビプレー。拍手喝采ものだ。


 ……ああ、違う。今はそのことに気を取られている場合ではないんだった。


 ツユクサさんはマナ溜まりも体の一部と言った。何を当たり前のことを、とは思ったが、ここで急に無意味なことを言うはずがない。何かしらの意図があるのだろう。


 マナ溜まりも体の一部。それならまずは己の体に意識を強く持ってみることにした。外界を隔てる皮膚、その中に肉と骨、そして内臓。


 深呼吸しながら肺の存在を意識し、トクトクと揺れる振動から心臓を意識し、そしてその心臓の近くにあるマナ溜まり。うっすらと何かしらの力が凝縮されているその場所を少しの間で特定した。ああ、これか。


 そしてそこに凝縮されている力のようなものを、今度は全身に巡らせることに集中することにした。しかし、巡らせると言ってもどうやって巡らせる? そのイメージが湧かず、頭を悩ませる。


 考え方を変えるべきだろうか。そう思い至り、一旦マナ溜まりに集中していた意識を霧散させる。フッと現実に意識が戻ってきたような変な感覚になる。


「体を巡らせる……どうやって? 血管のようにマナを全身に巡らせる器官があるわけではないから……血管?」


 そうだ、血管は血を全身に巡らせるもの。それなら、マナを巡らせる器官が無くてもそれに沿うようにしてマナを流せないだろうか。


 そう思いついた私は早速もう一度意識をマナ溜まりに集め──さっきより容易にできた。コツを掴んだらしい──、強く意識して全身に張り巡らされている血管に倣ってマナを流していく。


 イメージは心臓から押し出される血。マナ溜まりからマナを押し出すようにして……


「……」


 ユックリと、しかし確実にマナが流れていくのが自覚できた。魔法を扱える人たちは皆これを当たり前のように出来るのか、と尊敬の念すら湧いてくる。それくらい、慣れないと難しいものだった。


 マナが回り始め、全身にマナが満ちてきたおかげか体がポカポカしてきたような気がする。


「エンレイ、その調子で巡らせ続けるのよ。今日はこれから一日中ずっとそれを続けなさい。」


 意識の外の遠いところからツユクサさんの声が聞こえてきた気がした。それに言葉なく返事をし、マナに集中している意識を途切れさせないように気を付ける。


「集、中……」


 それからしばらくして、マナを巡らせることにも慣れてきたあたりでツユクサさんはまた声をかけてきた。


「そのマナの巡りを無意識のうちにできるようになれば一人前よ。頑張りなさい。」


「……頑張り、ます……」


 拙くも会話ができるようになってきた。よし、だんだん慣れてきたぞ。


「あ、今マナの流れが滞ったわよ。」


 うっ、会話したことで一瞬空いた意識のブレをツユクサさんに見破られた。もう一度巡らせる意識を強く持つ。


「そうそうそのまま。」


…………


 それからもずっとマナを巡らせることを意識しながら一日を過ごした。巡りが滞るたびにツユクサさんに指摘され、慌ててまた巡らせる意識を強く持つ、といったように。


 最初は五分に一度指摘されていたが、それが回数を重ねるごとに十分、三十分、一時間と間隔が空いていき、眠る前くらいの時間にまでなればだいぶ巡らせながらの会話も行動も流暢になってきた。


「これなら明日にでもサクラを呼び出せるわね。任務の方も調整しておかないといけないわ。張り切っちゃうわよ!」


 ツユクサさんにもそうお墨付きをもらい、寒陽さんの予定調整もお願いした。ツユクサさんはといえば、それに俄然気合が入ったようだった。


…………


「……あなた、まだあれから一日しか経ってないのよ? 何故もう呼び出されたのかしら? まさかもうマナの巡りを習得したわけではないでしょう?」


 次の日。前回同様中庭で寒陽さんを待つと、彼女は現れたと同時に訝しげな表情を隠さず第一声、そう問うてきた。


「いえ、何とか意識をしながらなら巡らせられるようになりまして……」


「マナの巡りを覚える子供でも三日はかかるのよ? それなのに今まで魔法と無縁に生きてきたあなたが一日で習得できるとは到底思えないのだけれど……」


 と言ったきり、寒陽さんはジィッと私を見つめてきた。何かおかしなことを言っただろうか、と不安になりながらも、マナは巡らせ続ける。


「……フゥン、本当にできているみたいね。嘘ではなかったというわけ、か。それなら話は早いわ。次の段階に進むわよ。」


「はい! 師匠!」


「師匠はやめなさいっ!」


「はいっ、寒陽さんすみませんっ!」


 無意識のうちに思わず出てしまった師匠呼び。それに対して一喝され反射的に謝罪すると、寒陽さんは一瞬呆気に取られたようにキョトンとし、その後ハァ、とため息を吐いた。


「……サクラで良いわよ。師匠呼びは絶対許さないけど、寒陽さんと呼ばれるのも他人行儀で悲しいから。」


 お名前で呼んでいいだなんて、そんな素敵なことある!? あまりにも嬉しすぎてマナの巡りが一瞬止まってしまった。


「っ……!! サクラさん!」


「フフ、呼び方はそれで良いわ。でもマナの巡りは止めないことね。」


「すみませんっ!」


 誰かをお名前で呼ぶことに慣れていないからか、さっきから胸がドキドキと五月蝿く鳴る。カッカと頬も火照る。ついでにマナの巡りが血の巡りと共に早くなった。


「それで、エンレイ。次は巡らせたマナを放出するのが課題よ。」


 そう言ってサクラさんは真剣な顔を見せた。

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