第4話 黒髪黒目

滑舌を直そうと決意した夜から数ヶ月経った。

意識していれば発音なんて意外とどうとでもなった。唇や舌の動きが緩慢だったり、聞いた音がそのまま口から出せたりすれば良くなる。歯並びや顎の形なんてものは2歳児には関係なかった。


今の私の目標は外の世界を知ることに変わった。

泥だらけに汚れに行く兄とは対象的に、母はあまり外に出なかった。買い物もあまりしない。どうやって生活しているのか不思議だったが、たまにふらっと出かけては大量の食材を手にして帰ってくる。どうしてもすぐに必要なものは兄のガイが買いに行っていた。

私を連れていては2人とも買い物にならないので、どちらかが留守番という形になっていた。


そろそろ3歳になるとはいえ、まだまだ幼児の私から「どこから金が出てくるのか」なんて聞いたら怪しまれるのは明白だし、そんなものかと納得せざるを得なかった。

母は働きに出る様子もないし内職をしているところも見たことはない。毎日食事の用意と洗濯掃除と家事をしながら私とガイの相手をしている毎日だった。


だがやはり気になるのは事実。貯金があるのか、どこかから分けてもらっているのか、でもそれをどうやって聞こうか分からない。

そうして聞きあぐねたままさらに数ヶ月経って私が3歳になった頃、ガイが母に真剣な表情で話を始めた。


「俺、漁師になろうと思う」


「漁師?」


「うん。この村で生きていこうと思ったら仕事しないといけない。ずっと漁師のおっちゃん達と話してて、弟子入りさせてもらえそうなんだ」


どうやらまだ10歳にもならないガイは自分の進路を真剣に考えていたようだ。


「お父さんが残したお金じゃそろそろキツイのは何となくわかってたんだ。俺が家族のために働くしかないってずっと考えてた。だから俺が漁師になるのを認めて欲しい」


ガイは母に対して頭を下げた。

いつもやんちゃに汚れて帰ってくるガイからは想像できないほど真剣な表情だった。


「漁師…。他にないの?それにガイはまだ子どもよ。働くなんてそんな…」


悲痛な表情の母。10歳にもならない子どもが家族のために働かなければならないなんて前世なら考えられなかったが、これまでの数ヶ月でここはそういう世界なのだとなんとなく感じてせいか兄の決意を応援したい気持ちが強かった。

(私が小学校1年生の時なんて遊ぶことしか考えてなかったぞ)

そしてさらっと疑問が解消されたことに気がついた。父の遺産で今まで生活していてそろそろそれも尽きようとしているところなのか、と。

なら何故、そう感じざるを得ない。何故母が働きに出ないのか。チビの私がいるにしても、何かしら手段はあるはずなのだ。私は働きに出る母について行っても大人しくできる自信はあるぞ。


なんて考えもすぐにひっくり返される。


「だってお母さんは働けないじゃん。黒髪黒目だからって村のみんなは不気味がってる。俺がお父さんに似てるからみんな受け入れてくれるけど、母の話は誰もしてこない!俺が働くしか…俺が働かないと家族を守れないんだよ!」


……なんて言った?

黒髪黒目だから、村で働けない?もしかして黒髪黒目だからって差別されてるの?こんなに美人なのに?


「ガイ!」


母ははっとして私を見る。つられてガイも私を見る。そんな2人に見られているのが分かっていても、どんな顔をしたらいいか分からなかった。私も母と同じく黒髪黒目。きっと村人からは私も奇異の目で見られるのだろう。自然豊かでキラキラした世界が、少し色褪せたように感じた。

母とガイは揃って目を伏せ押し黙っていた。母は私に黒髪黒目がどう見られるか知られたくなかったのだろう。ガイは母と私に黒髪黒目の事実を口にしたことを申し訳なく思っているのだろう。

私は黙って見ているしかなかった。



「わかったわ。認めます。それと、ごめんなさい。あなたに私たち二人を背負わせてしまって、本当にごめんなさい」


きっと母は己の無力さと申し訳なさに苛まれている。

私の空気を読むスキルもこの時ばかりは発揮されなかった。


くぅ…。


私の腹の虫も空気が読めないらしい。針を落としても聞こえそうな沈黙の中、私の腹は食欲を訴えていた。


「ぷっ!ふふふ…ご飯にしましょう。息子の決意をこんなくらい空気で台無しにしたくないもの」


母は暗い空気を吹き飛ばすようにそう宣言し、台所に向かった。

ガイと私は顔を見合わせ苦笑した。


今日1番の仕事をした腹の虫に感謝しかなかった。

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