中編


「未だ覚悟はつかないとおっしゃいますか」

「そこまで人でなしではないつもりよ。負債を抱えた実家持ちの女が嫁いでくるのも問題だと思うけれど、今回の場合は相手方が婿入りをする結婚なのでしょう? 問題しかないわ」

「相手が納得済なのですからよいではありませんか」

「負い目を背負ってこの先を生きていくなんて、いびつすぎるわ。どうしても婚約を回避できないのであれば、負債額を減らしてからにしようと思うのは間違っていないはずよ」


 だから日程を延期したいのだ。両親にはそう進言し、お相手のスロー子爵へ連絡をしてもらっている。

 先方のご両親は「そちらの状況を鑑みて、提案を受け入れるのはやぶさかではないが、肝心の息子が納得していない」と言ってきた。息子氏は譲らないらしい。曰く「もういい加減待ちくたびれました、先延ばしにしたところで結果は同じでしょう」とのこと。

 相手は次男で、そろそろ長男が子爵を継ごうかと考えているらしく、身の置き所に困っているのかもしれない。


(だけど、書面でのやり取りのみで、顔合わせすらしていないというのに、どうして私にそこまでこだわるのよ)


 謎である。

 問題は他にもあって、婚約者の名前はなんとダグラスというのだ。


 よりにもよってダグラス。

 秘めたる想いを一方的に抱いている執事、ダグラス・タームと同じファーストネームを持つ相手と結婚生活を送る。苦行でしかない。運命の神様とやらは意地悪がすぎる。


 婚約者のD氏は、父親から伝え聞くところによれば、とても優秀。貴族男子が通う学院では、入学以降ずっと学年首席を譲らなかったという。

 引く手あまたのなか、王宮で王子付きの仕事をしつつ、しかし普段は顔を見せない。いわゆる表立ってはできない陰の仕事を請け負っているともっぱらの噂だ。そんな噂が立っている時点でちっとも隠れていないとも思うが、それすらもフェイクなのかもしれない。



「そうだわ、どうあっても結婚を覆せないのだとしたら、いっそ『別居婚』というのはどうかしら」

「……はあ?」

「ほら、世の中にはそういった形態もあるでしょう? 奥方は領地で暮らし、旦那さまは都でお勤めをする。『亭主元気で留守がいい』っていうの。外国の本で読んだことがあるわ」

「それは庶民向けの物語で、貴族階級に持ち込んだところで認識が異なります」

「愛妾として囲われるよりはマシかなって」

「まだ愛妾などという戯言を持ち掛けてくる輩がいると?」


 ダグラスの声が低くなった。これは彼の機嫌を損ねたときのトーン。

 主にリズベットが異性の話をしたときに起こる現象で、よほどこちらを箱入り娘にしたいらしい。

 六つも年が離れているせいか、幻想を抱きすぎだと思う。リズベットを世間知らずの能天気に仕立てあげているのは、むしろダグラスのほうではないだろうか。


「わたしは認識していないわ。お父さまのところへ来ているかはわからないけれど」

「結構」


 不敵に笑った。

 ダグラスの顔は整っているほうだと思うけれど、この笑みは『腹黒い』とメイドの中でも評判だ。悪い方向での評価であるので、リズベットは安心している。ライバルは少ないほうがいい。


 出会いの少ない使用人たちが、職場結婚をすることは喜ぶべきこと。現にそうして家族で仕えてくれている者はいるし、応じて結束も固くなる。

 けれどダグラスがメイドと結ばれてしまうと、リズベットは祝福できそうにない。お相手の女性に対して普通に接する自信がないし、意地悪をしてしまいそうになる。我儘なお嬢様の爆誕だ。

 こういうのを『悪役令嬢』というのだ。

 いやちょっと違うかもしれないけれど。だが――


「……そうなると、家を離れたほうがスッキリするのかしら。見なくてもいいものを見るよりはマシよね」

「また何か見当違いのことを考えていらっしゃいますよね」

「失礼ね、今度はきちんと結婚のことを考えているわ。伯爵家を出てお相手に家に嫁げば気分も変わるかしらって」

「婿を取るお立場でしょうに」

「あ、そうだったわ」


 男子のいないグレニスタ伯爵家を継いでいくのはリズベット。それでいて愛妾として望まれる話が絶えなかった理由は、リズベットと一緒に伯爵位が付いてくるからという理由もあると思われた。

 伯爵位が国へ返還されるならそれはそれ、なんとか食いつないだとしたら、保たれた爵位を手に入れることができる。


「つまるところ、わたしってば爵位のおまけなのよね」

「どうしたんですか。自虐とは、らしくないことを」

「ダグは本当にわたしをなんだと思っているのかしら。わたしだって年頃の女なのよ、マリッジブルーにもなるものなのよ」

「ついさきほどまで、どうすれば顔合わせの日が延びるか考えていた方が、マリッジブルーですか」


 鼻で笑いつつ溜息を落とすという器用なことをしたダグラスは、ふと沈黙をつくる。常に毒舌が漏れるくちをいつになく長く閉ざしたのち、彼にしては珍しく慎重気味に問いかけてきた。


「ところでお嬢さまはご存じでいらっしゃいますか?」

「なにを?」

「ついにジムが結婚するそうです」

「まあ、もしかしてマキナと?」

「相手をご存じだったのですか」

「色恋に鈍いくせにって言いたいのね。気づくわよ、気づくに決まっているじゃない」


 家族総出で仕えている使用人一家は、親戚のような存在。

 なかでも、年の近い長男のジムには懐いており、ひとりっ子のリズベットにとっては兄妹のように気安い存在である。キッチンメイドのマキナといい関係を築きつつあることに気づかないわけがない。マキナが作る美味しいお菓子をジム経由で手に入れる率が上昇したここ数年は、いったいいつゴールインするのかヤキモキしていたのだ。

 お祝いはなにがいいかしらとソワソワしはじめたリズベットを見て、ダグラスは不審そうな眼差しを向けてきた。


「よいのですか?」

「なにが?」

「お嬢様はジムのことを好いていたのでは?」

「好きよ。――え、ちょっと待ってちょうだい、もしかしてその『好き』は恋情という意味で言っているの?」

「それ以外になにがあると」

「あるに決まってるじゃない。ジムとは子どものころから一緒に過ごしているのよ、お兄さまみたいなものだわ。むしろ、どうしてそういう勘違いができるのよ」


 あのダグラスが。

 優秀で、頭の回転がよくて、一を聞いて十を知ると言わしめたあのダグラス・タームが、何故そのような考えに至ったのか。

 ポカンとくちを開けてしまったリズベットを見て、これもまた珍しく動揺したようすを見せたダグラスが反論する。


「あなたはあの本を愛読していたでしょう。自分に重ねているのではないかと、ほかならぬジムがそう言っていた」

「どの本かしら?」

「決められた婚約者ではなく、傍にいる従者と添い遂げたいと願う令嬢の恋物語ですよ」

「!!」


 なんということ。たしかにジムにはそれを指摘されていた。兄がわりの男にはリズベットの心情などモロバレで。でもだからといって、それを本人ダグラスに言うだなんて。

 脳内にいるジムは「いい加減に観念して、ダグラスに好きって言えばいいだろう」とせせら笑う。ぐっと唇を噛みしめ、目線を落とす。


 頭から被ったままの大きなシーツは、しがらみのようにリズベットの体に未だまとわりついている。ぐるぐる巻き状態になっており、イモムシのようだ。いっそこのまま地中に埋まってしまいたい。


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