第12話 二人で行こう!

 シュアンの兄弟姉妹に対する誤解が解けてから幾週かが経った。穏やかな日差しは徐々に厳しさを増しており、トキワの故郷で言う「夏」が訪れようとしている。


「それじゃあ、元気にな」

「無理するんじゃないよ?」

「うん……。兄さん達も」


 今、フミヅの街の入り口で家族に別れを告げているのがシュアン。茶色い瞳と癖毛を持った垂れ目垂れ犬耳のボーイッシュな少女で、我らが駄エルフと共に旅立つ相棒だ。

 ……何というか、割と多属性だな。


「私が付いてるんだから大丈夫だよ!」


 未だ過保護な様子を隠す気がないシュアンの長兄長姉に、トキワが胸を張る。


「だから心配なんだがな……」

「何でっ??」


 彼の心配は、正直尤もだな。何せ駄エルフなのだから。

 ちなみに二人とも銅一級へ昇格している。


「と、そろそろ出発しないとだね。それじゃ、シュアンちゃん、行こっか!」

「う、うん! それじゃあ、ね」

「お兄さん達、バイバイ!」


 道中の宿場町まで今日中に辿り着きたいと少し急足で門を潜る二人を、シュアンの兄弟達が優しい目で見送る。

 ずっと見守ってきた妹の旅立ちを、彼女の初めての友との旅立ちを。

 自分たちの分も広い世界をその目で見てきて欲しい。そしてどうか無事で戻ってきて欲しい。そんな祈りを込めて。


 彼らの思いが届いたわけでは無いだろうが、門を超えてしばらく行った先でシュアンが振り返る。

 それから小さく手を振り、少し離れてしまった友人の隣まで走って行った。




 時は流れ、翌日の昼。隣国との関所を超えて数時間ほど歩いた頃。

 嗅覚の比較的鋭い種族である二人は、風に混じるその匂いに気がついた。

 丘を登る二人にはまだそれは見えない。それでも、トキワには分かった。その懐かしい匂いの正体が。


「海、だね……!」

「ウミ……。これが、海の匂い……」


 前日に生まれて初めて故郷を出た彼女は、初めて感じる潮の香りに胸を高鳴らせる。

 幼い頃、商人から聞いたその場所がこの先にあるのだと知った興奮は、その足を本人の知らぬ間に早めさせた。


 トキワはそんなシュアンの背中を微笑ましそうに見つめる。


「うわぁ……」


 丘を上り切り目を輝かせるシュアン。その視線の先に広がるのは空よりもずっと深い青。


「あれが、海だよっ!」


 トキワが彼女の少し前に立って振り返り、笑顔で大きく腕を広げて友にとって初めての海をその身で示した。



 はてさて、二人が次の街に辿り着いたのは丘の上で心を動かしてから然程経たない頃だ。

 今は傭兵ギルドへの報告を済ませ、序でに聞いたお勧めの宿の一室で一息ついたところである。


「えと、ホントに良かったの……?」

「え? 何が?」

「その、部屋……。お金は大丈夫だよ……?」


 ベッドが二つ並んだ狭い部屋、シュアンが戸惑ったように聞く。早い話、早速駄エルフがやらかしたのだ。


 確かに心は百合の花が咲く乙女……乙女か? んんっ、兎も角少女のものだ。だが、今トキワは彼で示されるべき体を持っている。

 そしてシュアンは見た目こそ少年のようであるとしても、まごう事なき乙女だ。彼女の場合心も確実に乙女だ。


 それが宿で一つの部屋をとる。経済力に不安があるならばいざ知らず、今彼らのいる宿程度なら全く問題がない。

 シュアンからすれば困惑する他ないだろう。


(……あー、そういえば今の私、男だったっけ?)


 だったっけ? では無い。まったく、何時になったら自覚するのか……。


(まぁいっか! それより早く麗しのお姉様と愛しのキュートガールを探しに行かないと??)


 ……シュアンよ、強く生きてくれ。


「シュアンちゃん、私は街を見てくるけど、どうする?」

「私も行こうかな……。て、そうじゃなくて、部屋……」

「じゃあ善は急げだよ!」


 もう己の欲望で頭がいっぱいらしい。駄エルフはそのままシュアンの腕を引き、宿を飛び出して行った。


 ところで今トキワ達の繰り出していった街だが、名をカミアリヅの街と言う。フミヅと比べても何ら遜色ない、どころか少し大きな港町だ。

 建ち並ぶ家々は木造で、特に海に近い所は白く塗られたものが目立つ。

 そんなカミアリヅで暮らす人々には屈強な獣人が多い。次点で人族なのは、大抵の例に漏れずと言った所だ。


 ではそんな街で駄エルフの尋ね人が居そうな場所はどこだろうか?


「たのもーう!」

「こ、こんにちは……」


 その答えの一つが、港付近の酒場である。というか酒場でもやるのか、それ。


 後ろに続くシュアンの頬が幾らか朱に染っているが、駄エルフは当然気が付かない。

 それよりも彼のセンサーに反応した何かに夢中だった。


「いらっしゃい。まだ準備中だから、もう少し待っててくれるかい?」

「はい!」


 元気よく返事をする駄エルフの瞳に映るのは、黒い毛の三角猫耳。そしてその持ち主の美女である。

 エプロン姿の彼女はスレンダーで背が高く、黒い瞳の猫目が印象的だ。

 別にケモナーという訳ではない駄エルフだが、強気そうな美人の猫獣人は別らしい。席に着いた今は女性の黒い尻尾を見つめてニョニョしている。


(うん、良い……)


 そんな四十秒で支度しろと言われそうな事を考えていて良いのか? シュアンに呆れた目で見ているぞ?


「待たせたね。何が食べたい?」


 そうこうしている間にすべき事を終えたらしい。女性は壁にかかったメニューを指して聞いた。

 メニューには料理名と番号、料理を示す絵が書かれている。


「んー、どうしよ。シュアンちゃんは決めた?」

「まだ、だよ」

「それじゃあ……お姉さん、お勧めは何ですか?」


 彼らの正直な所を言えば、どれがどんな味かよく分からないから決めようが無いとなる。トキワはこの世界の食材についてまだ知らない事ばかりであるし、シュアンにしても干したものではない魚介を食べた経験が無い。


「魚醤が平気ならウルミンがお勧めだよ。今の時期はアナサゴを使ってるね。あとは、コチョボグチのフライかな」


 ウルミンは醤油を使った煮物を指す。今トキワ達のいる地域では非常に一般的なもので、所謂家庭の味と言われるものだ。アナサゴやコチョボグチは魚の種類なのだが、味については、まあ、駄エルフの食レポに期待してくれ。生憎と私は人間と同じような食事は必要としないのでな。

 気に入った『お姉様』のお勧めだ、この駄エルフが選ばないわけがない。


(魚醤は食べたことないけど、黒猫耳お姉様のお勧めだし、頼まないわけないよね!!)


「じゃあ、それ両方お願いします!」

「僕も同じやつで?」

「けっこう量があるけど大丈夫かい?」

「あ、じゃあ―― 」

「大丈夫です!」


 本当に大丈夫か? そんな大食らいな所など見た事が無いぞ?

 そんな私の期た、不安を他所に、トキワ達は歓談を続ける。主にはこれからの予定や店に来るまでの街並み、海についての話だ。二人は心だけで言えば乙女と少女、それなりに姦しくしている。

 とは言え、そこは荒くれ者の集まる酒場。女性も慣れたもので、特段気にした様子はない。ついでにチラチラと女性を盗み見る駄エルフの視線も気にした様子はない。

 手際良く調理を進め、彼らの元へ配膳する。


「はい、お待ちどうさん」

「ありがとうございまーす!」


 並べられたてんこ盛りの料理はまあ、地球の日本人相手なら特段説明の必要が無いくらいありふれた見た目だ。それが2セット。憐れ、シュアンが明らかに動揺している。


(ご飯欲しくなるなぁ、これ)


 残念ながら彼の求めるものはメニューに見当たらない。少し残念そうにながらも、二股のフォークを手に取る。正直な話、そこでは無いと思うのだが……。


「それじゃあいただきまーす!」

「いただき、ます」


 そしてトキワの習慣にすっかり染まったシュアンと共に手を合わせ、料理を口に運んだ。


「あ、美味しい! 魚醤はちょっと臭みがあるけど、これくらいなら平気かな?」

「僕はちょっと苦手、かな……?」

「じゃあ私がもらうね!」


 この駄エルフ、正気か……? 煮物だけでも数人で分けるような量だぞ……?

 い、いや、いつもの様に何も考えていないだけかもしれない。一先ずはその内心を覗いてみよう。


(んー、アナサゴだっけ。白身に魚醤がよく染みてるね。塩気と甘みがよく合う! カサゴっぽい味なんだけど、食感はアナゴ?)


 ……うん、ふっつうに食レポしてるな? やはりコレは何も考えていないだけな気がするぞ。

 つまりは、もう少ししたらお腹が膨れて伸びる駄エルフを拝めるわけか。

 と、そんな事を言ってる間にコチョボグチのフライの方へ手を伸ばしたな。


(こっちは、めちゃ大きいし三等分にしてあるけど、カレイだよね? どう見ても。美味しく無いわけないやつ!)


 駄エルフはカレイの唐揚げが好きらしいな。地球でよく食べられサイズの倍はあるが。ふむ、私も食べられないわけでは無い。暇になったら食道楽というのも良いかもしれん。

 ……しかし、ペースが落ちないな。


「あ、さっきウルミン貰ったし、代わりにフライあげるね!」

「い、いいよ。僕、これだけでお腹いっぱい……」

「そう?」


 物凄く不思議なそうな顔をしているが、シュアンの反応が一般的だぞ? 獣人としては少食かもしれないが、少なくとも人族やエルフ族の感覚なら。

 とは言え、だ。流石にコレら全てを食べ切る事は出来まい。店の女性も持ち帰れる様に包みの準備をしているくらいだ。


 ……なんて考えている時が私にもあった。いや、おかしいだろう。物理的に、何故その身体にあの量が入る? この駄エルフ、あれから更におかわりまでまでしてしまった。フライなど、一皿二匹分あったのだぞ? 訳がわからない。これまでで一番不可解だ……。


「はぁ、美味しかった!」

「す、凄いね、トキワ君……」

「あ、ああ。まさか完食しちまうとは……」

「???」


 だからキョトンとするな!


(あっ! しまった!)


 今度はどうした。もしや気づいたか? 自分の異様な食事量に。


(黒猫耳お姉様に引かれてる……! 良くない! もしかして食べ過ぎた??)


 もしかしなくても食べ過ぎだ! というか気づき方、はまあ駄エルフだから仕方ないとして、私は見逃さなかったぞ。今メニューを見て次の料理を選んでいたな??


「アー、オナカクルシイナー、タベスギタナー」

「「……」」


 いや、大根役者にも程があるだろう……。普段もう少し演技できているだろうに、時折おかしな事になるのは何故なのだ……。


(よし、コレで……なんで苦笑いされてるの??)


 何故あれで良いと思った?

 ……はぁ。

 まあ、何はともあれ、無事会計を終えて二人はその酒場を出た。顔も覚えられただろうし、彼のピンク色な目的にも、多少は近づいたのではなかろうか。近づかなくて良いと思うが。


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