第二七話 彼女は激怒した

 何年かぶりに、あの夏の日のことを夢に見た。

 まあ、昨日の今日だからな。夢にも見よう。


 まったく、愚かなるは幼き日の僕ですよ。

 アンドー――翠川の立場からすれば、さぞ歯がゆかったことだろう。


 思えば、あの日の翠川は最初からずっと健気に僕に対する好意を伝えてくれていた。

 だのに、僕はラノベの無自覚鈍感主人公ばりのクソムーブをかまして彼女の心をズタズタにしてしまったのだ。

 今さら何と言って詫びようか。いや、詫びられたら逆に不愉快かもしれんな。

 とにかく、今一度、翠川と向き合わねばなるまい。


 僕はえいやっとベッドから起き上がると、朝の身支度をはじめた。


     ※


 始業前、机にカバンをおいて席に座ろうとすると、椅子の上に折りたたまれたメモが貼られていることに気がついた。

 中を見ると『昼休みに第一校舎の特別教室に来い』と書かれていた。

 第一校舎の特別教室といえば、選択教科の授業くらいでしか使われない教室である。

 あんな人気のないところに呼び出すとは、これは告白イベントに違いない。

 少なくとも飯塚はまだ登校していないからやつの仕業ということはなさそうだが……。


 ぐるっと教室を見渡すと、八鳥と目が合った。焦ったように顔を背けられる。

 なるほど、八鳥か。参ったな。モテる男は辛いぜ。


「おっはよーゥ、アサキくゥん! 今日もしっぽりずっぽりかい!? わたしも朝からぐっしょりべっちょりさァ!」


 ぐっしょりはともかくべっちょりは嫌だな。女の子の日か?


「おおォ! よく分かったねェ! おかげで今日は溢れるリビドーがとどまるところを知らないよ! あとでトイレにつきあってもらってもいいかなァ!?」


 そのネタは先週もやってますよ。一人で行きなさい。


「……ん? おやおや?」


 ――と、急に真面目な顔をして飯塚が僕の顔を覗き込んでいる。


「アッくん、何かに気づいた顔をしているね?」


 おいおい、こいつ、マジでどういう嗅覚してるんだ……?


「そうかぁ。ついにこの日が来ちゃったか。こいつは参ったな」


 何やら訳知り顔で腕組みをしながら、自分の席に座る。

 それ以降、飯塚は何やら物憂げな顔で窓のほうを見るばかりで、いつものようにウザいくらい僕に絡んでくることはなかった。


 ちなみに一限の途中、トイレには行った。


     ※


 第一校舎は職員室や図書室、それと各教科ごとの教員室と各種実習室ばかりの校舎で、少なくとも昼休みにおいては生徒が出入りすることはほとんどない。

 とくに八鳥が指定した特別教室は一部の選択教科でごくまれに使用されるだけの教室で、そもそも不要の立ち入りは禁止であると最初の学校案内で聞かされていた。

 こんなところに僕を呼び出すなんて、ひょっとしたら告白だけでなくエッチなイベントまで発生してしまうかもしれない。

 だが、すまない、八鳥よ。僕は運命の人と出会うまで童貞は大事に取っておくと心に決めているんだ……。


 ともあれ、特別教室である。

 八鳥はもう来ているのだろうか。教室にはもういなかったが……。

 ガラリとドアを開けると、中にはブラウスをはだけてスポブラ丸出しの八鳥がいた。

 ぎゃー! マジでエッチなイベントはじまってるー!?


「おー、来たか。いや、この部屋、アッチィんだよ。もう夏だな……」


 窓際の机の上に座り、パタパタと内輪で胸許に風を送っている。

 健康的なエロス! スポブラだから恥ずかしくない理論か!?

 ありがとう、神様! もう少し近くで拝んでもいいですかねぇ!?


「あ、あんまりジロジロ見んなよ……」


 急に腕で胸許を隠しはじめた。くっそー、あざとい!

 恥ずかしいならブラウスを着ればいいじゃん!

 そうやって恥ずかしがってる仕草でさぁ! 男を惑わしてさぁ!

 本当に、本当にありがとうございます!

 はぁ……あとはもう少しおっぱいが大きければなぁ……。

 ――いや、八鳥のおっぱいは現在進行系で成長中のはずだ!

 想像するんだ……たわわに実ったおっぱいを!


「ハルちゃん……やっぱりこんなやつに惚れたらダメだぜ……」


 八鳥がめっちゃジト目で僕を見ている。

 というか、そうだった。

 僕も八鳥に報告しなければならないことがあったのだ。


「あん? なんだ? 先に聞くか?」


 うむ、実はかくかくシカジカこしたんたんでだな……。


「……はぁ!? ハルちゃんと実は小学校からの友達だったぁ!?」


 どうやらそうらしい。


「ま、マジかよ……それなら、ハルちゃんがおまえに惚れてたってのは、それこそ小学生のころからずっとってことか!? くっそ……どんだけ尊いんだよ……」


 八鳥が目頭を押さえている。

 本人は感動しているのだろうが、おっぱいが気になってまったく感情移入ができん。

 いいよなぁ……中途半端にはだけたブラウスから見える肩、鎖骨、そして、おっぱい。

 スポブラなところが残念ではあるが、それでも十分なエロティシズムがある!

 そうだ。八鳥がこの前の日曜日に買っていたあの赤いブラを脳内で投影するのだ……。


「あ、あのさ、マジであんまジロジロ見ねぇでくれるか? これ、古いやつだからカップが合ってなくてさ、その……アレがはみ出しちまってるから……」


 はぁ!? 馬鹿か!? なんでそれを口に出すんだ!?

 黙っとけよ! もう性的な目でしか見られねぇだろうが!

 僕を童貞だと思って舐めやがって!

 本当に、本当に、ほんっとうに……ありがとうございますっ!


 僕は思わずその場で土下座してしまった。

 感謝の気持ちを抑えきれなかった。


「こいつ、マジで頭がどうかしてんのか……」


 変質者を見られるような目で見られた。

 いや、でもさ、こんな人気のない場所で半脱ぎスポブラ姿になって男を誘う女子だって十分に変態だと思いませんか。


「べ、別に誘ってはいねぇだろ!?」


 いいや! 僕じゃなかったら襲いかかってるね!

 君の貞操が保たれてるのは僕が童貞を拗らせているだけだからと自覚してほしい!


「て、貞操とかいうな! そ、そりゃ、あたしも初めてはまだだけどさ……」


 ぎゃー! あざとい! この後に及んでまだやるのか!

 ダメだ。このままでは好きになってしまう。

 これは告白イベントではなく、告白させられるイベントだった!


「は、はぁ!? べ、別に、おまえなんかに告白されても、う、嬉しくなんかねぇし……」


 か、顔を赤らめてる……だと……!?

 マズい。こいつ、男を落とすための攻略本か何かを持っているのか?

 飯塚の猛攻でさえ受けきった僕の牙城が、このままでは崩されてしまう……!

 平静を保て……八鳥を飯塚だと思うんだ……。


 ――ダメだ! 飯塚はおっぱいがデカい!

 この状況におっぱいのデカさが加わったら僕はもう耐えられない!


「……なにしてるの」


 不意に、第三者の声が聞こえた。

 八鳥が僕の背後を見つめたまま硬直している。

 僕は恐る恐るゆっくりと振り返った。


 ――翠川だ。翠川が扉の向こうに立っていた。

 色のない瞳でこちらを見ている。こ、怖え。


「は、ハルちゃん!? こ、これは、その、そういうことじゃなくて……」


 あまりの緊急事態に、八鳥も露骨に狼狽えている。


「なんで、二人でこんなところにいるの」

「え、や、だって、ハルちゃん、あたしたちが二人で話をしてるとこ見るのイヤって言ってたじゃん? だ、だから、ハルちゃんがいないとこでしたほうがいいと思って……」

「それなら、なんで脱いでるの」

「そ、それは、この部屋、締め切られてるから暑くてさ……べ、別にアサキを誘惑しようとかそういうつもりはぜんぜんなくて、ほんとに、暑いからってだけで……」


 おいおい、余計なことを言ってんじゃないよ。


「アッくんは……」


 うお、いきなり矛先がこっちに向いた!?


「アッくんは、そういうオンナが好きなんだね……」


 まあ、確かに好きだ。それは否定できない。


「お、おまっ!」

「……マコトちゃん、わたしのこと、助けてくれるって言ったのに……」


 翠川が俯きながら、ギリリッと音が出るくらいに奥歯を噛みしめる。


「……アッくんも、マコトちゃんも……キライッ!」


 ドバンッ! ――と、ドアが閉められた。

 いや、反動が強すぎてまた開いたわ。ヤベエ。


「は、ハルちゃぁん……」


 八鳥が半開きのドアに向かって力なく手を伸ばしながら泣いている。わりとガチ泣きだ。

 ああ、鼻水が出てますよ……。


「ぼ、ぼまえ……!」


 ハンカチで八鳥の鼻を拭いてあげてると、ギュッと手首を掴まれた。


「ごのばばぼんどにばるぢゃんぎぎらばれだら、ぜぎぎんどっであだぢをだげよ!?」


 なにを言ってるのかさっぱり分からねぇ……。

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