幕間【陽菜】 ある夏の日の話

 わたしにはずっと好きな男の子がいた。

 小さなころから通っている合気道の道場の息子だ。

 興味本位ではじめた合気道だが、周りは大人ばかりだったので、わたしはよくその男の子と一緒に稽古をした。

 小学校も同じだった。一年生のときは別のクラスだったが、二年生から一緒になった。

 それから六年生になるまでずっと一緒だった。運命だと思っていた。


 自分の恋心に気づいたのは四年生のころだ。

 彼は四年生になるころにはすごく背が伸びていて、男の子だけでなく女の子からもチヤホヤされるようになっていた。

 そんな彼を見ていて、すごく胸が苦しくなった。

 それが恋のはじまりだ。

 彼は中身に関しては本当にガキだったので、わたしの恋心はもちろんだが、周りの女の子のアピールにもまるで気づいていなかった。

 その点に関しては、悲しくもあったが少し安心もしていた。

 何故なら、わたしは彼の親友だったからだ。

 彼の隣には常にわたしがいた。

 彼の隣はわたしのポジションだった。


 そんなわたしに悪魔が囁いたのは、六年生の夏休みのことだった。


「お友達から恋人になるのは、大変よぉ?」


 わたしはかなり狼狽えた。

 親友からさらに仲良くなれば勝手に恋人になれると思っていたからだ。

 だが、悪魔こと我が姉が言うには、友達から恋人になるのはかなり難しいらしい。

 えらいことになってしまったと思った。

 わたしは悪魔に魂を売り渡すつもりで我が姉に相談した。

 姉こと悪魔はわたしに今からでも遅くないから女であることをアピールしろと言った。

 そして、隙があったらすぐに好意を伝えるのだと。

 そうすれば、すぐに恋人にはなれなくとも、男の子は勝手に意識してくれる。

 あとは煮るなり焼くなりお気に召すまま――。


 わたしは奮い立った。この夏休みに勝負をかける。

 切りすぎた髪は今さらどうしようもないが、何か方法はあるはずだ。

 わたしは綿密に計画を練った。


 ほどなくして、作戦決行の日は決まった。夏祭りの日だ。

 まずはお昼に二人っきりでプールに行こうと誘う。

 そして、普段は着ないような女の子らしい水着でアピールするのだ。

 きっと彼は意外なわたしの姿にドギマギすることだろう。

 それが終わったら、一度家に帰って浴衣に着替え、いよいよ夏祭りだ。

 わたしの浴衣姿に、彼のときめきはきっと最高潮に達するはずだ。

 そして、夏祭りを満喫するのである。

 あまり遅くなってはいけないが、屋台を回るくらいはできると思う。

 もしチャンスがあれば、一緒に花火をするのもいい。

 そして、隙を見つけて彼にわたしの気持ちを伝えるのだ。

 完璧な作戦だった。


 だが、現実はなかなかうまくいかなかった。

 ひとまず二人っきりで遊ぼうというところまではうまくいった。

 しかし、とっておきの水着を見た彼の反応は『なんだそれ、女装みたいだな』だった。

 思わずぶん殴ってしまった。

 まあ、手が出るのはいつものことだ。気にしてはいけない。

 それに、二人っきりで遊ぶプールはめちゃくちゃ楽しかった。

 いつもは彼の妹も一緒だったが、不思議と二人っきりのほうが楽しかった。


 プールのあとの夏祭りも、彼はなかなか辛辣だった。

 わたしの浴衣姿を見た反応は『動きづらくないか?』の一言だった。

 こいつ、マジで頭ン中はガキのままだな……。

 さすがにわたしもだいぶイラついたが、浴衣のせいでぶん殴れなかった。

 確かに彼の言うとおりだな、と思った。

 そして、やっぱり彼と二人っきりで回る夏祭りは死ぬほど楽しかった。

 

 残念ながら花火をする機会はなかったが、幸いにも帰りの道中で本当に周りに誰もいない完全なる二人っきりになる瞬間が訪れた。

 絶好のチャンスだ。

 わたしは彼の手を取り、深呼吸をして自分の気持ちを伝えようとした。

 しかし、わたしが口を開くよりも彼が口を開くほうが早かった。


『今日はめちゃくちゃ楽しかった』『こんなに楽しい日は生まれて初めてだ』


 最高の言葉だった。

 わたしは胸が高鳴り、頬が熱くなるのを感じた。

 ひょっとしたら、わたしが言うよりも先に彼が言ってくれるかもしれない。

 わたしがなによりも待ち焦がれた言葉を……。

 しかし、彼はわたしが思っている以上にガキだった。


『僕たち、このまま死ぬまで友達でいような!』


 絶望が待っていた。


 姉よ、悪魔よ、あなたが言っていたのはこういうことか。

 わたしはすでに取り返しのつかないところにいたぞ。


 気づいたとき、わたしは彼の手を振りほどき、反対の手に持っていた水風船をその顔面に投げつけていた。


『アッくんとは死んでも友達にならない!』


 そう叫んで、そのまま彼に背を向けて走り出した。

 涙がとまらなかった。

 わたしは彼の最も近くにいるのだと思っていた。

 だが、真実は残酷だ。

 わたしは自分の望む場所から最も遠いところにいたのだ。


 そして、絶望はひとつだけではなかった。

 涙に濡れて家に帰ったとき、そこに両親の姿はなかった。

 代わりにいた祖母は、わたしと同じように涙に濡れた顔で言った。


『悲しかろう。悲しかろうねぇ……』


 確かに、わたしは悲しかった。

 だが、祖母の言う悲しいは、また別の意味だった。


 その日、わたしは最愛の人を二人失った。

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