第七話 彼女に弱みを見せたい
「おっはよーマイブラザァ! わたしが男だったらいつか本当に兄弟になれたかもしれないのに、まったく残念で仕方ないよ!」
朝からトバしてんなぁ……。
僕は親友と穴兄弟にはなりたくないけどな。
「し、しし、親友!? や、やめてよ、朝からそういう恥ずかしいこと言われたらテンションおかしくなるじゃん……」
何故か急に赤面して潮らしくなる。
おお、意外な弱点発見か?
まあ、こういうタイプは案外、攻められると弱いよな。
「よく分かってるじゃないか! わたしを攻略したかったらガンガンせめるといいよ! あ、でも、何度も言うようにわたしは処女だから、そっちのほうは丁寧に頼むよ!」
何度も言うな。それも朝から。
けっきょく飯塚はいつもどおり中身の腐ったクソダサ眼鏡お下げだった。
相変わらず他に僕に話しかけるクラスメイトもいないし、少なくともギャルゲー世界に転移をしたわけではなさそうだ。
しかし、弱点か。
僕にも何か弱点のようなものを見せることができれば、翠川も納得して僕のストーキングをやめてくれるかもしれない。
とはいえ、僕の弱点って何だ?
「ブラザァは持たざるものだからねェ! 全身弱点みたいなキミに、これ以上の弱みなんてあるかなァ?」
ニヤニヤと飯塚が顔を近づけてくる。
なんか良い匂いするな。シャンプーの匂いか?
「はぁ……せめて、こういうところでもうちょっとドキッとしてくれたりしたらさぁ、そういうシャイさが弱みに繋がったりするんじゃないの?」
急に半眼で睨まれる。いやまあ、相手が飯塚だからです。
これが翠川とかだったらちゃんとドキッとします。
「そりゃァ翠川さんなら、わたしだって心のちんちんビンビンさァ!」
心のちんちんって何だ?
「ていうか、レックスでフォローしてる絵師さんのリスト見せてあげたらいいんじゃない?」
ぬぁ!? アレを見せろと!?
間違いなく僕の最もたる恥部ではあるが……。
「覚悟が足りんねェ、ブラザァ。それじゃァいつまで経っても翠川さんからは逃れられまいて」
またニヤニヤとしながら飯塚が顔を近づけてきて、今度は僕の前髪をふーっと吹き上げてくる。
うーむ、これは午後ティーの香りだな。
まだ朝礼前だと言うのに、イリーガルなやつめ。
ともあれ、ひとまず僕は一計を講じてみることにした。
その日一日を通じて悪い生徒を演じるのだ。
万引きの現場をおさえられたときのアレっぽい感じを演出しようという算段である。
例えば、授業中に先生の目を盗んでスマホいじりをしてみる。
イベントのあるときくらいしかまともにプレイしてないけどログインボーナスだけは毎日もらっているスマホゲーを起動してやったぜ。
どうだ? 見たか? 先生にチクりたくなったか?
翠川のほうにチラッと視線を向けると、彼女は頬杖をついて顔を前に向けながら、目だけでこちらを見ていた。
よし、少なくとも目撃はされたはずだ。
これで弱みポイント1にはなったのではなかろうか。
次に僕は体育の時間を体調不良を理由に見学することにした。
もちろん仮病だ。
しかも、またスマホを持ち込んでやったぜ。
さすがに男女混合ではないが、グラウンド自体は同じ場所を使う。
翠川がこちらに視線を向けた瞬間を狙うのだ。
そして、その瞬間に素早くスマホを取り出してゲームをしているふりをする——!
……よし、完璧だ。しっかり目撃された。
これで僕が仮病で見学していることが伝わっただろう。
そうだ、さらにこのまま体調が悪化したふりをして保健室に行くというのはどうだろうか。
我ながら次々と妙案が浮かぶものだ。
よし、さっそく体育教諭に打診してみよう。
「おお、熱中症か? 珍しいな。いいぞ、行ってこい」
先生はあっさり了承してくれた。
まあ、僕は陰キャではあるが運動はできるほうだからな。
日頃の就学態度が功を奏したといえよう。
翠川は……よし、見ているな。
僕は敢えて不適な笑みを浮かべながら、意気揚々と校舎のほうへと歩いて行った。
これで僕が実は品行方正を偽った不良生徒だということを印象づけられたであろう。
あとはこれをネタに翠川が僕を強請ってくるのを待つだけだ。
これで心の安寧も担保できた。我ながら素晴らしき演者っぷりだった。
せっかくだから、このまま保健室でここ最近の寝不足の解消でもすることにしよう。
――と、思っていたのだが、ここで新たな問題が発生する。
保健室の鍵は空いていたものの、保険教諭が不在だったのだ。
そもそも高校に上がってから保健室を利用したことがないのだが、勝手に休ませてもらっていいものなのだろうか。
さすがにベッドを使うのはまずいかな……。
「……先生?」
不意にレールカーテンで仕切られた向こう側からゴソゴソと何かの動く音がした。
どうやら先客がいたらしい。
女の子の声だった。何処かで聞いたことがあるような……。
――あ、そういえば、入るときに『失礼します』と言うのを忘れていたな。
そのせいで、先客は僕を保険教諭だと思っているのかもしれない。
どうしよう。先生はいないと伝えるべきかな。
「……やっぱり、薬貰っていいスか……」
苦しそうな声で言ってくる。
ははーん、女の子のアレというやつだな。
たまに妹にお腹を無理やりナデナデさせられているからよく知っているぜ。
こういうときは我慢せずにさっさと薬を飲んでしまうのがいいのだ。
僕は適当に薬棚っぽいところから鎮痛剤を取り出すと、洗面台のカップに水を入れて持って行ってあげた。
といっても、向こうは僕を保険教諭だと思っているだろうから、バレないようにカーテンの隙間から手だけ入れることにしよう。
「……誰だテメェ」
えっ、そんなにすぐバレる!?
いきなり腕を掴まれ、ぐいっと内側に引っ張られた。
その気になれば抵抗することもできたのだが、僕は道場稽古のくせで、受け身をとるようにそのまま身を任せてしまう。
そして、気づいたとき、僕は引っ張られた勢いのままベッドに乗り上げていた。
左手に柔らかい感触がある。
これは——おっぱいだ! 僕の掌におっぱいがある! ヒャッホー!
「……んなっ……!」
顔を上げると、見知った女子の顔が目の前にあった。
八鳥真琴だ。最近、何かと縁があるな。
いつもやぶ睨みのような目つきをしてるから怖い印象しかなかったが、今は目を見開いてることもあって少し印象が異なって見える。
じっくり見てみると、普通に可愛いらしい顔をしてるな。
左目の目尻に小さな涙ボクロがあるのもなかなかポイント高いぜ。
それに、大きくはないが形のいいおっぱいをしている。
現在進行形で触っているのだから間違いない。
「ど、どけよ!」
ベッドから蹴り落とされた。まあ仕方ない。
ラッキースケベのあとに待つのは暴力による制裁と相場が決まっている。
「ご、ごめん、不可抗力で……」
いちおう謝っておこう。
というか、持っていたコップの水をぶちまけてしまったので、僕も八鳥もビショビショだ。
「た、タオル持ってくるね」
左胸をギュッと押さえている八鳥に告げて、今度はタオルの捜索に乗り出す。
といっても、棚に積まれているのがすぐに見つかった。
何枚か取ってベッドに戻ると、八鳥はまだ胸を押さえたまま赤い顔で俯いていた。
「お、おまえ、マジでコロスからな……」
めっちゃ怒ってる。怒った顔もよく見ると可愛いじゃねぇか……。
まあでも、まずは濡れた服を拭こう。
あと、ベッドもちょっと濡れちゃったしね。
「じ、自分でやるって! 何なんだ、テメェは!」
八鳥にタオルを引ったくられた。
まあ、自分でやると言うなら任せよう。
——と、保健室の扉が開く音がした。
保険教諭が戻ってきたのかもしれない。
事情を説明しなくては……。
「……え?」
しかし、そこに立っているのはまったく別の人物だった。
翠川である。
何故、翠川がここに? まさか、追ってきたのか?
「……なにしてたの」
「えっ、あ、いや……」
しまった。このパターンは想定外だぞ。
僕は思わず八鳥のほうを振り仰いだ。
「あっ……あっ……」
八鳥はブラウスの胸許をがっつりはだけて体の内側を拭いているところだった。
けっこう可愛い系のブラジャーしてるんだな……。
――って、そうじゃなくてだな。確かに体が濡れちゃったら気持ち悪くてすぐにでも拭きたくなるのは分かるが、なにも今ここでやらなくてもさ……。
おかげさまで、色々と誤解されてもおかしくない状況になってしまった。
——いや、むしろ、その誤解を利用できるのでは……?
よくよく考えればこの状況、僕が望んでいた『弱み』になりうる可能性を秘めている。
「ぼ、僕は……」
冷たい瞳で見下ろす翠川に、僕は意を決して言った。
「八鳥さんのおっぱいにタッチした!」
「んなっ!?」
背後で八鳥が変な声をあげているが、無視する。
「そして、うっかり八鳥さんのブラジャーまで覗いちゃって、リボンつきとか可愛いのしてるじゃん……って、思わず興奮しちゃった挙げ句、今から襲いかかろうとしていました!」
「ちょ、おまっ……」
あとでぶん殴られるかもしれないけど、ここまできたらどうにでもなれだ。
「こ、このことは誰にも言わないでほしい……僕も、翠川さんの秘密は絶対に守るから……だめかな?」
これは『弱み』にならないだろうか。
八鳥を思いっきり巻き込んでしまったのは申し訳ないが、どうにかこれで僕と翠川は対等ということには……。
「……そういうことなら、いいよ」
ふいっと翠川がそっぽを向き、そのまま保健室を出ていく。
……許されたのか?
というか、マジで何しにきたんだ?
僕は首筋の汗を手の甲で拭いながら、八鳥のほうに向き直った。
八鳥にも謝らなければ。
結果的に僕のためにこの状況を利用することになってしまった。
しかし、八鳥は布団で自分の体を隠したまま、涙目で僕を睨みつけるだけで殴りかかっては来なかった。
「あ、あたし……」
恥じらいに染まった顔でこちらを睨みながら言う。
「そ、そういうことしたことないから、や、優しくしろよな……」
やめろ。余計に状況をややこしくするな。
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